気功の学校・気楽編 四〇

Yoshidaj
(2009正月 吉田神社にて)

京都北白川に引越します。

話は去年の秋分にさかのぼります。
京都大学こころの未来研究センター教授・鎌田東二さんと
京大時計台をスタート地点として、
吉田山、瓜生山、狸谷不動、赤山禅院を経て修学院まで歩いた
「東山修験気功散歩」の時に、
偶然ある会員さんが住んでいたお宅が
空き家になっているのを見つけました。
吉田山に鎮座する吉田神社、大元宮、宗忠神社、稲荷社
の各社で鎌田さんがホラ貝を吹き、丹羽さんが五十鈴を振り、
いいお参りをしたなあと思っていたところ、
山麓の大正時代の古い町並みが残る住宅街で
鎌田さんが仏師の今村九十九さんの仕事場を探し始めました。
ちょっと迷いつつもなんとか工房にたどり着き、
今村さんは、ちょうど増長天の制作をしているところでした。
なるほど、こんなおちついたいい場所から
掘り出されていくのだなあ
と感心して、しばらく見とれていました。

さて、今村さんの工房を後にして山を下ろうとした時に、
その会員さんのお宅を偶然に見つけてしまったのです。
そのお宅は売りに出される直前でしたので何度か中を見せていただき、
大文字山が正面に見えるロケーションの良さに惹かれて
かなり悩んだのですが、結局見送ることになり、
それから家探しの流れに火がつきました。

自宅と事務所とを、ある程度区切りながらも一つにしたい。
そう考えると、家のサイズが大きくなりすぎてまるで豪邸です。
でも求めているのは贅沢さではなく、使いやすさと環境の良さ。
そのあたりのバランスでずいぶん悩みました。

そんな中でネットで見つけたのが、北白川伊織町の二戸一の町家です。
瓜生山に近く、すぐそばを桜並木のある疎水が流れる閑静な住宅街。
すぐに家族全員で見に行き、全員が気に入りました。
これは私たち家族と気功協会にちょうどピッタリだと。
それからいくつもハードルがあったのですが、
一つ一つ乗り越えて契約成立。
合板で囲ってしまった洋室の一つを本来の和室に戻し、
呼吸できなくなっている壁を呼吸できる素材に戻し、
京都風のお庭を復活させる。
今、そうした工事を進めているところです。
元々気の場も環境も良いところですが、つい先日埋炭も済ませました。

二階には小さなベランダがあって、窓からは大文字が見えます。
そういえばパソコン前のボードには、
吉田山で撮った大文字山とベランダの写真が貼ってあったのを思い出しました。
家主さんは町家専門の設計事務所をされていて、
そのご自宅が吉田山の麓。
お庭をお願いしたのは、吉田山に事務所を構える
古い気功仲間の福村祖牛さん。
こうなるとどうしても吉田山にお礼参りに行きたくなります。

そうそう、事務所の引越は七月二十二日。
ちょうど日食の日で、ここから新しい何かが始まるような予感がしています。
京都にお越しの節はぜひ伊織町の新事務所にお立ち寄りください。

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2009遠足総会 千二百年の峰から

2009年5月31日
NPO法人気功協会の総会が比叡山で開催されました。

11:00から延暦寺会館のロビーで受付、11:30に樹林の間に移り
5才から78才までの32名が小さな円になって会議がはじまりました。
L1110205

今回の議題の中心は、事務所のお引っ越し。
2009年7月22日に
京都市左京区北白川伊織町34-3
の町家に事務所を移転する

ことが、
移転にかかる改修や引越の予算も含めて
満場一致の拍手で承認されました。

会議を終えて、精進料理の昼食をとりながら簡単な自己紹介。
食後は、腹ごなしの気功と
山を楽に歩くためのてほどきを少々。

登りは、持ち上げる足をできるだけゆるめて、
下りは、股関節をゆるめて重心を落とし、
一歩一歩動きを止めず連続したひとつながりの動きに。
急な登り下りは、胴体の伸び縮みを使って、
全身の力を上手に利用する。

最後に、今年度に「やりたいなあ」と思うことを
みなさんに過去形で紙に書いてもらって
延暦寺会館での2時間はあっという間に過ぎました。

参加者が一人増えて33名になり、
根本中堂にお参り。
先ほど書いてもらった「やりたいこと」をご本尊さんの前にそっとおそなえして、
てあての気持ちでのお参りをみなさんでしました。
根本中堂は、仏様と参拝者との高さが同じになるようにつくられていて、
高いも低いもないということが暗示されている珍しいお寺ですが、
普通に参拝される方は、自分より高貴な存在の仏様にお願いする
という気持ちでお参りされているのではないかと思います。

ところが、お願いにあたることはもう既に
過去形で紙に書いてお供えしてありますから、
それ以上にお願いする必要もありません。
ただポカンとして、無心に手をあてているのと同じような心持ちで
同じ高さの仏さんと向き合う。
そうすると、そこに仏さんとのお互いの気の交流、
いわゆる「入我我入」がおこります。
ただそっと座り、てあての気持ちになって手を合わせ、
自然に手が離れたような感じがしたらそれでお参りも終わります。

根本中堂のお参りを終えて、
戒壇院の前で気功をしました。
桓武天皇の助力により、
南都奈良に一極集中していた僧侶の資格認定制度の弊害に風穴を空け、
天台独自の基準により僧侶の資格を出すことが可能になったことは
当時とても画期的な出来事だったと思います。
そのおかげで、
比叡山からは、法然、親鸞、一遍、日蓮、道元、栄西など現代日本の仏教の礎を創った
改革僧が次々と巣立っていきました。
そのことに思いを馳せ、
ふりこからはじめ、
天地を貫き、気を広げたり収めたりして、
からだにまかせて自由にゆっくり舞うような気功をしました。

Kaidanin

午前中の曇り空がうそみたいに晴れて、
杉木立からのの木漏れ日が綺麗でした。
写真で観ると大きな光の球が集まっているみたいですね。

バスやケーブルでの下山組はここで解散。
午後2時半頃にケーブル比叡山駅を通過。
しばらく砂利道を下り、
千日回峰行の中心、無動寺明王堂にお参りして般若心経を唱える。
東海自然歩道を歩いて途中、手をつないで気を一つにめぐらせる。
桜の茶屋跡からトンネルをくぐって
音羽川に添った谷筋の林道を下り、
大鳥居から京都一周トレイルの道標と
造形大マンデーワークショップの赤→に添って
瓜生山山頂、そして白幽子巖居跡へ。
禅病で苦しんだ白隠は、この北白川山中に白幽子を訪ね、
内観気海丹田の法を習い、回復した旨が看板に記されている。

ざっくり簡単に言うと、
ここで白幽子は白隠に
ゆるむことの大切さを伝えたことになります。
修行に一生懸命になりすぎているのだから
心身をゆるめて、自然に丹田に気が集まるようにしなさいということです。
そのあたりのことが白隠の『夜船閑話』に記されているので、
本を読んで実行してみた人が大勢いるのではないかと思います。
すると、ここは日本の気功の発祥地とも言える。
そんな話をして、
思い思いにただゆるむという気功をみなさんとしてみました。

さらに尾根筋を歩いて、
7時前京都造形芸大の屋上に全員無事到着。

気功協会の新しい事務所はもうすぐそこです。
そして、契約そのものは翌日の6月1日スタート。
奈良の仏教界の堕落と腐敗に立ち向かい
聖徳太子が篤く敬った仏教の原点に立ち戻ろうとした
比叡山の千二百年の不滅の法灯。
その灯りを心の中にうつして、
みなさんと歩いて麓まで運んで来たような気持ちがして、
心も体もとても自由で軽々とした感じがしました。

眼下に広がる京の町を見下ろして解散。
近くのレトロな銭湯、白川温泉に入って垢をおとし、
帰路につきました。

とてもシンプルで充実感のある遠足総会でした。

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新型インフルエンザをどう活用するか

新型インフルエンザが流行しているらしい。

新型だから免疫を持っている人が少ないという理由で、
弱毒性と確認されていながら、厳重な感染拡大防止策が取られている。

ここ高槻でも、保育所、幼稚園、小中学校が休校、
高齢者介護施設、障害者通所施設が休所、
図書館、公民館他社会教育施設が休館、
市の主催行事が全て中止、
という通達が5/19に出ている。

大きな薬局ではマスクが品切れ。
マスクと手洗いの励行以外に
生命力を高め、免疫力を活性化させるような
対応を考えてもよいように思う。

さらには、
呼吸器を丈夫にするのに適した今の時期に、
インフルエンザにかかることで、
体質改善を図るという積極的活用法まで考えておくと、
インフルエンザを過剰に恐れる必要はなくなるのではないか。

WHOによると
メキシコで発生した今回の新型インフルエンザ(H1N1)の
死亡率は0.4%と推定されている。
死亡例に多く見られるのは、
他の病気治療等をしていて
免疫力が落ちている例が多いと聞く。
また、日本で感染した症例では
特に重い症例が多数報告されている訳ではない。


そこで、冷静に現状を見据え、
体の力をつけていくために、
誰でもすぐにできることを提案しておこう。


■ 眠りを深くする ■

充分な休養ということがよく言われる。
ところが、体力が落ちている場合に、
ただ休んでいるだけでは、体の活力を呼び覚ますには不十分で、
効率的に休み、体力をつけていく工夫が必要だ。
オススメは、後頭部を温めたり、手をあてたりすること。
後頭部は生命力の源のようなところで、
呼吸、脈、眠りなどの生命維持に関係する中枢になっている。
その生命力のセンターのようなところを
活性化させるのにいちばん簡単な方法を紹介しておく。

手のひらを枕のようにして後頭部にあてて休む。
そして全身の力をできるだけ抜いて、
呼吸を楽にする。

手のひらの暖かさが後頭部に伝わってきて、
体の奥の方がゆるんでいく感じになるので、
そのまま楽な姿勢でしばらく休むといい。
もちろん眠ってしまってもかまわない。

ただ、じっとしているのと違って、
短時間で体が元気になったような感じがしてくるのは、
後頭部の生命維持機能が活性化した証拠。

こうした効率期な休み方を身につけると、
深く眠れるようになって、お目覚めもスッキリ!
眠りが深くなると体力も免疫力も自然についていく。

マスクもいいけど、
後頭部にてあてをして休むこと。
この積極的な方法を活用してもらうことで、
予防と同時に体の元気も高めることができて
一挙両得。
せっかくなので、ぜひ試してみてもらいたい。

■ 病を活用する ■

そうして、体の抵抗力が養われていると、
病気にかかっても、たいした不安もなく、冷静に対応ができる。
そして、病気にかかることを積極的に活用できるようになる。

私たち人間は、ずっと無病でいることはありえない話で、
なんらかの病気にかかりながら成長していく。
そして、様々な病気の経過を通じて
身体機能が大きく成長することが知られている。

病気を活用することに関しては、
野口晴哉著『風邪の効用』(ちくま文庫)
天野泰司著『生まれて育つ いのちの気功』(春秋社)
などを参照してほしい。

例えば、インフルエンザにかかった場合に
まず、発熱、頭痛などの症状が共通して発症する。
さらに咳や鼻水などの呼吸器系の症状に発展する場合が多い。

すると、発熱することで、全身の消毒ができる。
ふだんなかなか熱を出せない人も、熱が上がると
全身の代謝も上がっている状態になるので、
それだけ体が活性化し老廃物の排泄もスムーズに行われやすくなる。
また頭痛がおこることで、先ほどのてあてと同じように、
中枢から全身への指令が巡るようになりやすい。

さらに、咳や鼻水が出てくれば、しめたもので、
そうした呼吸器がよく働いている状況を
自力で乗り越えることで、呼吸器が丈夫になり、
基本的な体力がしっかりと付いてくるのだから
こんなチャンスを活用しない手はない。


薬で症状を抑えてしまうと、こうした体力向上の効果は期待できない。
タミフルを飲んでも、発熱が1日短くなる程度で、なおかつ副作用の危険性も大きい。

病気に対する基本的な考え方や
対応を考え直す時期にきているだろう。

家にじっとしていないで、
心地よく体を動かし、楽しいことに打ち込み
ストンと眠るようにしとて、
しっかりと休むような生活を提案したい。

『うごいてやすむ 幸福になる気功』(春秋社)を読んでみてほしい。


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維摩経偈

Marumado

気功の学校 氣楽編39の補足として
『一燈園日日行持集』より
維摩経の要約となっている
維摩経偈を紹介しておきます。

左の写真は、礼堂に安置された
七才の聖徳太子像。厨子の中に
手のひらに乗るような小さなお像があります。
丸窓のところの灯籠には、
広隆寺、比叡山、日向大神宮の灯と合わせて、
天香さんが灯した火が燃え続けています。

維摩経偈

智度は菩薩の母なり 方便を以て父と為す
一切衆の導師 是に由って生ぜざることなし
法喜を以て妻と為し 慈悲心をもつて女と為す
善心誠実の男 畢竟空寂の舎
弟子は衆の塵労なり 意の所転に随う
道品は善知識なり 是によって正覚を成ず
諸度は法の等侶にして 四摂を妓女と為し
歌詠法言を誦し 此を以て音楽と為す
総持の園苑 無漏法の樹林
覚意淨妙の華 解脱智慧の果
八解の浴池には 定水湛然として満てり
布くに七浄の華を以てし 此に欲するは無垢の人なり
象馬五通に馳せ 大乗を以て車と為し
調御するに一心を以てし 八正路に遊ぶ
相具以て容を厳り 衆好をもって其姿を飾る
慚愧の上服 深心を華鬘と為す
富は七財の宝を有ち 教授して以て慈息し
所説の如く修行して 廻向するを大利と為す
四禅を牀座と為し 浄命より生ず
多聞にして智慧を増し 以て自覚の音となす
甘露法の食 解脱味を漿となす
浄心を以て操浴し 戒品を塗香となす
煩悩の賊を摧滅して 勇健なること能踰ることなく
四種の魔を降伏して 勝旛播を道場に建つ
起滅無きことを知ると雖も 彼に示すが故に生有り
悉く諸の国土を現ずること 日の見ざる無きが如し
十方無量億の如来を 供養し奉れども
諸仏及び己身に 分別の想あることなし
諸仏国及び衆生の 空なるを知ると雖も
而も常に浄土を修め 群生を教化す
あらゆる衆生の類 形声及び威儀
無畏力の菩薩は 一時に能く尽く現ず
衆の魔事を覚知して 而も其行に随う事を示せども
善方便智を以て 意に随って皆能く現ず
或は老病死を示して 諸の群生を成就し
幻化の如くなるを了知して 通達して礙あることなし
或は劫尽焼を現じて 天地皆洞然たり
衆人に常想あり 照して無常なるを知らしむ
無数億の衆生 倶に来つて菩薩を請ずれば
一時に其舎に到って 化して仏道に向かわしむ
経書禁呪の術 工巧諸の技芸
尽く此事を現行して 諸の群生を饒益す
世間の衆の道法 悉く中に於て出家すれども
因つて以つて人の惑いを解て 而も邪見に堕ちしめず
或は日月天 梵王世界の主と作り
或時は地水となり 或は復風火と作る
劫の中に疾疫有らば 現じて諸の薬草と作り
若し之を服する者有らば 病を除き衆毒を消す
劫の中に饑饉有らば 身を現じて飲食と作り
先ず饑彼の渇を救い 却つて法を以つて人に語る
劫の中に刀兵あらば 之が為に慈悲を起し
彼の諸の衆生を化して 無諍地に住せしむ
若し大戦陣有らば 之を立つるに等力を以てし
菩薩威勢を現じ 降伏して和安ならしむ
一切国土の中 諸有る地獄の処には
輙ち往いて彼に到つて 其の苦悩を勉済す
一切国土の中 畜生相食噉すれば
皆生を彼に現じて 之が為に利益を作す
五欲を受くることを示し 復現に禅を行う事を示す
魔心を憒乱せしめて 其便を得ること能わざらしむ
火中に蓮華を生ずるは 是希有と謂いつべし
欲に在つて而も禅を行ず 希有なること亦是の如し
或は現じて淫女と作り 諸の色を好む者を引き
先ず欲の鈎を以て牽いて 後に仏智に入らしむ
或は邑中の主と為り 或は商人の導
国師及び大臣と作つて 以つて衆生を祐利す
諸有る貧窮の者には 現じて無尽蔵と作つて
因つて以つて之を勧導し 菩提心を発さしむ
我心憍慢の者には 為に大力士を現じ
諸の貢高を消伏して 無上道に住せしむ
其れ恐懼の衆有らば 前に居て而も慰安し
先ず施すに無畏を以てし 後道心を発さしむ
或は淫欲を離るる事を現じて 五通の仙人とな為り
諸の群生を開導して 戒忍慈に住せしむ
供事を須むる者を見れば 現じて為に僮僕となり
既に其意を悦可せしめて 乃ち発すに道心を以てし
彼の須むる所に随つて 仏道に入ることを得せしめ
善方便力を以て 皆能く之を給足す
是の如きの道は無量にして 所行涯り有ることなく
智慧辺際なく 無数の衆を度脱す
仮令一切の仏 無数億劫に於いて
其功徳を讃歎すとも 猶尚お尽くすこと能わず
誰か是の如きの法を聞いて 菩提心を発さざらん
彼の不肖の人と 癡冥無智の者を除く

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気功の学校・気楽編 三十九

2009haru

一燈園・春の集いに参加しました。
一燈園生活を始めた故西田天香さんのお誕生を祝う集まりで、
毎年四月に京都山科の一燈園で開催されています。

朝一番に、小・中・高生を中心に営まれる
聖徳太子祭から集いは始まります。
娘のたまちゃんが小学二年で編入した時の四月に、
この聖徳太子祭に参加して
子どもたちのまっすぐな祈りに大感動して以来、
聖徳太子祭のひそかなファンになりました。
そして聖徳太子さんにも親しみをおぼえるようになりました。
どんな方か直接お会いしていないので判りませんが、
「和を以て貴しと為す」から始まる十七条憲法、
冠位十二階、三経義疏などが歴史の教科書でもおなじみですし、
一万円札に刷られた杓を持ったお姿はとても印象に残っています。
その三経義疏ですが、三つのお経の注釈書という意味で、
法華経・勝鬘経・維摩経の三つについて
それぞれ聖徳太子さんが書いたものと言われています。
法華経はよく知られていますね。
勝鬘経は王の娘で在家の女性信者であった
勝鬘婦人が説いたお経と言われていて、
維摩経の方は在家の長者維摩が病気になり、
文殊菩薩が見舞いにいって問答をするという
奇想天外な物語になっています。
天香さんがお好きだったのがこの維摩経で、
自分が偶然たどりついた新生涯の生活が
維摩さんの生活と重なって見えていた様です。
そしてその維摩の生活を実践した先達として
聖徳太子さんにも特別な親しみを感じていらっしゃったようです。

ではその維摩さんはどんな生活をしていたのでしょうか。
資産家でお金はある、妻子もある、
賭博や遊びにも通じ、色街や酒場にも足を運ぶ。
ところがそんな維摩さんを
諸天や菩薩を含め、あらゆる階層の人々が尊敬してやまない。
それは
ありとあらゆるものを方便として用い、
人々をいつの間にか正しい道や悟りの境地に導いてしまうからです。
天香さんの生涯は欲の世界とは無縁でしたが、
出会った人々の心が自然に清浄となる
という意味では
まさに維摩さんと同じ生き方をしていたことになります。

今年の春の集いは「一燈園の事業の現況と課題」と題して、
一燈園を母体として生まれた研究、出版、工務、農事、劇園の
五つの株式会社の社長さん達のお話がありました。
全てを捨てきった一燈園の無所有の立場から、
実生活に必要な事業や経済活動をどのように扱うかが大問題。
そしてここ一燈園では「食うため」ではない
本来の経済活動のあり方が
祈りのように模索され続けていることに深く感じ入りました。
そして、気功協会という事業体は
そんな活動が出来ているのかと、
ふと我が身を省みる良い機会になりました。

数々の国家的大改革を為し日本の基礎を築いた聖徳太子さんと、
維摩さんと、
天香さん、
この三人が一つにお祀りされる春の集いは、
たぐいまれな集まりであることは間違いはありません。  

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春の大掃除

3月27日、28日、29日の三日間
お掃除に精を出したように思います。

27日は、ちょうど新月。
東京の目黄不動の山田住職が呼びかけている、
セブンジェネレーションウォークのスタートの日。
ネイティブアメリカンのセイクレッドランやロンゲストゥォーク
に触発され、箕面から東京までを歩くという企画。
みなさんは、朝八時に箕面の滝に集合し、
約20名が東海自然歩道を高槻の気功協会事務所まで
大きな荷物をしょいながら歩き続けてたどりついたのが、
予定より二時間ほど遅れた、七時半頃。
みなさんを気持ちよくお迎えするために、
午後から普段使っていない二階部分も含め
子どもと二人で事務所の大掃除。

みなさんが事務所に揃って
歩き疲れをほどく、からだほぐしも含めて
約30分の最短バージョンで新月瞑想の会を開催しました。
丹羽ゆかりさんの唄と五十鈴で幕開け、
お唄が終わって、
「お願い」が「お誓い」になったときに願いが叶います。
という丹羽さんの話がとても印象的で、
今回の新月瞑想の流れは、
「お願い」が「お誓い」になる、
という流れで進んでいきました。
まずは、足をなでてゆるめる。
「よくがんばってくれたね」「ありがとう」と
心をこめてほぐしていきます。
自分はいちばん身近な他人。
そう思って、ていねいに心をこめておつきあいしていくと、
体もとってもよろこんでくれます。

足全体、足裏、足の指、膝、足首、股関節、腰、肩、腕、首、背中と
順々にゆるめていって、お腹に気をまとめて一段落。
そして、七世代先にこんな風になっているといいなあ
ということを想い浮かべて、
その幸せな感覚を味わってもらうことにしました。

そのまま、首を楽にして、
ゆっくり腰をまわしていきます。
みなさん長い道のりを歩いてきているので
じきにぽかんとしてきます。
そのままだんだんに円を小さくして、
まっすぐになり、
夢が叶っている時の幸せな感覚を味わう瞑想をしました。


本当の「お願い」を見つけると、
「天命」のようなものとなって「自らがなす」ものがはっきりと見えてくる。
そして、「お願い」は「お誓い」になる。
歩くという行動そのものが、
すでに「お誓い」になっている。

そんな話をしながら、
瞑想へと誘導していき、
ふっと静かな時間をみなさんと一緒に味わいました。


翌28日は、
朝八時に、京都へ向けてみなさんが出発するのを見送り、
子どもと一緒に、また隅から隅まで事務所の大掃除。
掃除を終えると、
十時半から夕方四時半まで個人レッスン。
おひとりおひとりと、むきあっているが、
前の方の続きを、次の方が受け継ぐようにして
みんなつながっていて、どこにも切れ目がない。
六時間無意識のクリーニングが続く。

簡単なお掃除と片付けをして、
近くの銭湯、千代田温泉でひと風呂浴びて
体もさっぱり。


今日29日は、
自宅の大掃除。
生協で、よつばのエアコンクリーニングをお願いしていたのが、
ちょうど今日だったことが判明。
子どもと一緒に、コタツを上げて布団を干し、カーテンにしていた布を外して洗い、
そこらにちらかっていた荷物を一度全部かたづけて、タンス横のほこりとカビを拭き取り、
エアコンのお掃除と一緒に、壁や天井まで磨き上げ、一部屋まるまるピカピカに。

ともかく
新月からのこの三日間、
ものすごい勢いでお掃除をしたように思います。

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気功の学校・気楽編 三十八

Tshoko

ラクパ・ツォコさんの講演を聞きました。
ツォコさんは、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所の代表。
国際宗教同志会総会の記念講演として
「チベットの現状」を堪能な日本語で語っていただきました。
会場は京都山科の一燈園。
ちょうど西田天香さんの誕生日にあたる二月十日でした。

資料として配られたチベットの地図を見ると、
今の中国政府が定めているチベット自治区の倍ほどの広さがあります。
日本の約七倍の広さだそうです。
チベットの伝統的な呼称では
アムド、カム、ンガリ、ウ・ッアンの四地区がありますが、
青海省、四川省、雲南省などの各省に
分割して組み入れられて統治されていて、
本来はパンダの生息地もチベットなのだそうです。

ツォコさんがしめくくりの話の中で強調されていたのは、
決して対岸の火事ではないということ。
そしてアジアの中で日本がどのような態度を取るかが
とても重要だということでした。
人道的な見地から
善光寺が聖火リレーのスタート地点を辞退したことは
世界中の大きな注目を集めたそうです。

チベットが過去にどのような侵略を受け、
徹底的に文化や民族性までも破壊されて来たかについては、
初代日本代表のペマギャルポさんが二〇〇八年六月に出した
『中国が隠し続けるチベットの真実』(扶桑社)に詳しいので、
一度お読みになってみてください。

そして、ダライ・ラマ法王の亡命五十周年を前に、
チベットおよび周辺広域への外国人の立ち入りが全面的に禁止され、
非常に緊迫した状況下にチベットはあります。
大切なことはありのままの真実を知ることで、
そこから問題となっているものごとは
自然に解決に向かっていくのだと思いますが、
報道やインターネットにまで徹底的な規制と検閲が行われ、
過剰なまでの情報操作が行われている中国では、
十二億の人民の多くが
「ダライ・ラマはペテン師」と信じて疑わないという現状があり、
そこに疑問を感じた方からの質問も飛び出しました。

とても嬉しく感じたのは、
在日中国人・チベット人友好会ができるというニュースで、
二月十四日に結成式があり、約百名が集まり
「中国人とチベット人が何ら対立していないことを
世界に伝えるために、このような会合をもっと開くべきだ」と
多くの人が提案したそうです。
少なくとも日本の中では、
中国人もチベット人も
お互いに理解し合い敬意を持って協力し合っていける
という事実が持つ意味はとても大きいと思うのです。

西田天香さんは、
争いのない生活を求め徹底して実践してきた方ですが、
そのたった一人が、
争いの種になることをしない生活を生き通したという
「事実」が、
日本やまわりの国々に与えた潤いというものは
あまりにも大きくあるように私は思うのです。


ダライ・ラマ法王日本代表部事務所WebSite 関連記事はこちら

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『気功入門』増刷です!

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『からだの自然が目を覚ます 気功入門』(春秋社)

おかげさまで
また増刷が決まりました。

2004年12月20日に初版が出てから、
満4才、今回で第9刷。

みなさんに愛され続け、
すくすくと成長しています。

本当にありがとうございます。

印刷前の見直しのため
全編、読み直しています。

もうお読みになっている方も
本棚から取り出して、
ページを開いてみてください。

また違った発見があると思います。

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環境省から

独立行政法人 環境再生保全機構から、
環境省の政策提言募集のメールが届きました。

環境省のホームページを覗いてみると、
常時提言を募集しているようでしたので、
さっそくこんなメールを送ってみました。
以前、高槻市に提案した内容が下敷きになっていますが、
全国規模で考えていくともっと楽しくなってきます。


《 提案 》

主要駅前にサイクルセンター

車優先の社会のために便利さを得ましたが、
失ったものも大きいことは誰もが認めるところだと思います。
ガソリン資源の消費や排気ガスによる汚染のみならず、
自動車事故により怪我や病人を生み出し、
またのんびりと心を開いて街を歩いたりする楽しみが
車の利用増のために生活の中から消失してきているように思います。
また、車になれてしまったことで、
近くでのちょっとしたおでかけや買い物にも
車を使うようになって自分の足を使うことが少なくなり、
健康上も車から離れた生活がもたらす恩恵はかなり大きなものでしょう。

人間は正直な生き物ですから、
快適かどうかということがものごとを大きく動かしていくだろうと思います。

つまり、今は車が快適と思うから車を使うことになるわけで、
自転車の利用を促進しようとすれば、
自転車を使う事が快適で楽しいように
道路や街を整備していくことが大切になるでしょう。

今、車社会の影響で車を使いにくい街中はむしろ空洞化しています。
その空いてきているスペースを使って、
サイクルセンターを各地に設置していくことを提案します。

最近の傾向として、
駅前には2時間を越えると300円もの料金のかかる駐輪所をよく見かけますが、
違法駐輪は減っても自転車の利用はむしろしにくい状況になっているとも言えます。
そうした、違法駐輪のしめ出しではなく、
市街地には
気持ちよく自転車を利用してもらうための
設備やクルー(職員)を配置していくことが
自転車の利用を促進する大きな力になることでしょう。

そして、郊外型のショッピングセンターが
広い駐車場とセットになっているように、
街中のサイクルセンターにいけば、
自転車で出かけるのにちょうどよい
気持ちのよい自然派のショップや
お食事どころなどがモールのように集まっていて、
エコな情報を発信するNPOセンターがあったり、
チャリティーコンサートなどが開かれるような中規模のホールなどがあり、
また施設周辺は一定の緑化を進めていきます。

大きな駅前には、最低一つのサイクルセンター。
これで、日本の環境意識はものすごく変わると思いますし、
空洞化して来た中心部が自然と共生しながら活性化するでしょう。

ぜひ実現させてください。

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オバマ大統領就任に想う 自由と責任

すばらしい就任演説でした。

人間がお互いを想い、助け合い、
全力で理想に向かって歩んでいく方向を
全米のほとんどの国民の心に深く焼き付けた演説であったことは確かで、
世界を現実に動かす、とても大きな力となっていることは、
評論家や専門家がなんと言おうと、もう疑う余地がありません。

Asahi.comで就任演説の原文和訳を見ることができます。


オバマ大統領は、

What is required of us now is a new era of responsibility
「今私たちに求められているのは、新たな責任の時代だ。」

と、「責任」ということをはっきりと言っています。
そして、「責任」は「自由」と表裏一体の関係にあります。

2009年の「気功の学校」のレッスンが
1/12からスタートしていますが、
受講生からも積極的な質問メールが多く、
そのやり取りの中から、
自由と責任について私が書いたものを転載しておきましょう。


自由と責任

自由と責任はワンセットです。
責任のない自由はありません。
自由のない責任もありません。

例えば、責任のある仕事を任せられた場合には、
結果をださなければならないという大変な面もあるけれども、
自己裁量で自由にできる部分も同時にあります。
そして責任のない、言われた通りにする仕事よりも、
自由で責任のある仕事の方がやりがいがあることが多いものです。

さて、本題のご質問に戻りましょう。
「相手の責任にしたとたんにせっかくの縁を絶ってしまう。
というお話しがありましたが、それはどうしてですか?」
というご質問ですね。

相手の責任にする。
それは、自分の自由を放棄することです。
目の前の出来事に本来善悪はないのですが、
仮に、悪いと思えるようなことがおこり、
その原因が相手に10中8、9あったと感じたとしましょう。
そして、「これはあなたのせいだからなんとかして」と告げたとします。
ここで、あなたはその方との間に生じた縁に抵抗し
その縁から生じる大きな自由を手放したことになります。

少し話を変えましょう。
例えば、重い病気になり入院したとします。
病気も本来必要に応じて生じる体の反応ですが、
そこで、「先生なんとかしてください。私の病気を治してください」と医師に告げたとします。
ここで、あなたは医者に自分のいのちを預け、
病気との縁に抵抗し
その病気のために得られるであろう心身の自由を手放したことになります。

私たちは様々なことを相手のせいにして、
いったい何を守ろうとしているのでしょうか。
何がこわいのでしょうか。
そして、同時になぜ相手を威嚇して、こわがらせるのでしょうか。

生命は自ら変化し続けているものですから、
安定不変ということは死を意味します。

ところが、私たちにはなぜか
その安定不変というものを求めやすい風習があります。
「せっかくのものをだいなしにした」と相手の責任にするのがそれです。
自分の感じた恐怖を、他人に転嫁しているわけです。
何のプレッシャーも与えることなく、
相手が自分から詫びようとする場合には話は別ですが、
相手に謝罪させ、何らかの責任をとってもらうということは、
戦争や侵略の構造とまったく同じものです。
つまり力でもって、相手を痛めつけ、封じ込めようとしているのです。
私はあなたのせいでこんなに不利益を受けたのだから、
当然あなたも同じように不利益を受け、私と同じ苦しみを味わうべきですと。
これは、一見正当に見えますが、
この連鎖構造のままでは、
世の中に増えていくのは苦しみばかりで、
お互いに傷つけ合うことが続いていくことがわかります。

直接相手に言うか言わないかという問題ではありません。
「相手のせいだ」と思っている心自体が、
お互いの自然な関係を不自然に縛り、
自分自身の心身も縛ってしまうのです。

そのことを講座の時に
「相手の責任にすることで、せっかくの縁を絶ってしまう」と
表現したのではないかと思います。

大切なのは、真実をありのままに見ることです。
自分に関係するあらゆることは、
今、ここに存在している自分が責任を持っています。
それは、あらゆることに対して
自由があるということですし、
自分が変わることで、身のまわりの全てが変わる
ということでもあります。

気功の学校では
「自己責任で自己中心」という
ありかたを目指していきます。

それは、
真実をありのままに見ながら、
自分が最も良いように主体的に変化することによって
世の中が適正な方向へ変化していくことを意味します。
これが、縁が正常に働きだし、
幸せが増えていく新しい連鎖構造で、
ありがたいことに、今すぐ誰もが始めることができます。

頭での理解は必ずしも真実の把握にはなりません。
むしろ弊害になる場合もあります。
わからないものはわからなくてもいい。
わかったと思ったら、むしろそのことを疑った方が良いかもしれません。

私の経験としても、
体を通じて理解していくのが近道だと思います。


天野泰司 拝

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