朝日カルチャー京都 3/13 (1)

3/13、地震直後に天野が初めて話した
講座のテープおこしをしました。

何度も涙が出た、記念碑的な講座です。
読みながら、いっしょにやってみてください。(純)

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     @朝日カルチャー京都 2011/3/13 天野泰司

(出席をとったのは)こうして一人一人が今ここにいられることがどれだけありがたいか、
そのことの確認なんです。

連絡がとれない方が未だにたくさんあり、
こうして「いらっしゃいましたね」と確認できるありがたさ。
私たちが毎日ありのままに過ごしている日常がどれだけありがたいことか改めて思います。

被災された方々の一刻も早い回復を願うばかりですが、
同時に、遠くにいる私たちがどういう気持ちを被災された方にあつめていくか、も
とても大きなこと。

ネット上で日本の状況が大きく報道されていて、
観測史上最も大きいだろうといわれる地震があって、混乱があるにもかかわらず
日本人は秩序を守って、お互いを助け合って
さまざまな支援が自然に行われていることに、世界中が注目している状況にあります。

私たちが個人として、日本の中の一人として、また人類の一人として
どういうふうに立っていくのかを心に留めて、
生活をしていくことが大きな支援になることを思い、最初に少し瞑想をしていきます。

[左右ゆらし]…体を左右に、ゆっくりとゆらしながら

テレビを見ていると、何度も辛い映像が繰り返し放送されます。
でもそれは、今ではない。その場にいる人達は次のステップに移っている。

不安や心配が重なっていくと、その気持ちがより相手を不安にさせてしまう、
ということがあります。
では明るい気持ちでいたらいいのか、というとそういう訳でもない。

ただ何もない、できるだけ澄み切った心の状態に近づけていきます。

晴れ渡った、何もない感じをできるだけ作っていく、
そのことを瞑想といいます。
心に浮かんできたいろんな情景、悲しみ、不安、そうしたものを
ひとつひとつきれいにしていきます。

左右に揺れていると、感情のゆれが自然に出てきます。
出てくると、感情のとどこおりが消えていきます。
ある感情にずっととどまっている、不自然な状態から
次々に感情が動いていく、自然な状態に戻っていきます。
ただ、まかせていく。
その中で、できるだけ澄んだ感じを見つけていく。
もともと澄んでいる。

ゆっくり止まっていって、まだ体に残っている感情の波を
もう少し洗い流していきます。


[顔をなでる]…ゆっくり顔をなでるように、洗っていきます。

心の波はまず表情に出ますね。習慣化した感情の固定は、
表情を作っていく元になっています。
顔全体をゆるめて。
なでながら、いろんな動きが出てきたりしますので
自然にまかせていきます。

やわらかく、おだやかに。
元々の、ゆるんでいる感じを取り戻していきます。

私がゆるんでいく、ということは
私だけではなくて、私のまわりの人もゆるんでいく。
そうして遠く離れたどこかの人にも、
そのゆるみは、実は伝わっている。

[頭をなでる]…そのまま、頭をなでます。

[胸をなで下ろす]…手を重ねて、
息を吐きながら、ゆっくり胸の前をなでおろします。

だんだん心の落ち着いていく感じ、
そして、心の澄んでいく感じを味わっていきます。

新聞、テレビを見て知ったことであっても、
そのことで大きく心を痛めたり、
不安や心配が高まっていくことがあります。
そういう、心にひっかかるものは、体の緊張となって現れます。
繰り返しおだやかに、こうして体をなでたり
手をあてたり、していくことで
不要な緊張、ずっと続けていなくても本来かまわない、
本来は流れている、自由に動いている
そういう自然な動きを取り戻していきます。

私たちであればやさしくできますが、
渦中にいる方に同じようにやってください、というのは
なかなか難しい。
こうやって、まわりで見ている人が
心を落ち着けて、冷静に対応していく重大さ。
非常に大事な感じが、今、あります。

ひとりひとりが、
だんだん、静かな感じになっていく。

そして、日本全体が静かな感じになっていく。
そして、その静かな波が地球全体に広がっていく。

ほっと胸をなでおろす感じ。

胸に手をあてたまま、楽にゆっくり、息をします。
[首をなでる]…ゆっくり手を離して、首筋をなでます。
あごのあたりから、首の前のほうへ。

[自由に動く]…体をゆるめ、おだやかな波の中に漂います。

自然の流れにまかせて、澄んだ感じ、透き通った感じ、何もない感じ。
そこに戻っていきます。
気持ちよく。


私たちはみんな、同じ一つのいのちの流れの中にあります。
そして、それぞれの波の中に。
それは体が、こうして全体として揺れているのと同じ。
体全体が一つの波の中にあり、体の部分部分がそれぞれの波の中にまたある。

それぞれの自分の役割がある。
大きな流れの中で、どこかひとつでも欠けることができない。
本来の流れというものを思い出して、ただ無心に
澄んだ感じに戻って、おだやかに、その流れに身をまかせるように。

だんだんにゆるみが深まっていきます。
ひとつひとつ、こわばっていた感じが抜けて
もともとの自由な感じ
元々の生き生きとした感じ
元々のまっさらな感じ
元々のやわらかな感じ
元々の暖かな感じ
元々の豊かな感じ
元々の、元々のなかにもどっていきます。


[瞑想]…少しずつ揺れが小さくなって、掌をおなかのあたりに合わせていきます。
形はとくにありません。落ち着いた、安定した感じがあれば結構です。
背骨をすーっとまっすぐに、ゆるんで、すーっとぶらさがるような感じで
わずかな揺れが残っています。
視線は遠くを見て、おだやかに閉じる。

呼吸はゆっくり、自然な呼吸で。
おだやかにゆっくり、息を吐いては、また気持ちよくおだやかに息を吸い込む。

心の中は、何もない感じ。ただ、澄んだ感じだけがあります。

…改めて、自分を抱きしめていきます。
手を開いて、遠くから自分を抱えるようにして、
胸に、またはおなかに、手をあてたい場所に手を重ねます。

楽に息をしながら、体の中をゆるめていきます。
ゆったりした呼吸を感じて、体の中の自然な動きを感じて。

ゆっくり手を下ろして、ぽかん。
静かに目をあけます。

掌をこすり、顔をなでて、胸を撫で下ろす。
最初と同じことをもう一度やってみた時に、すーっと通る感じがあればいいです。

瞑想というのは、例えば
どなたかが元気になりますように、というような願いがあったとしても
そのままその願いをもってくるのではなくて、
その人と波をなんとなく合わせた中で、できるだけ真っ白にしていく
ということの繰り返しなんです。
今回も非常に大きなことですから、なかなか
真っ白にしていくのは大変な面がありますが、
繰り返しみなさんが続けてやっていただくことが、
大きな力になります。

後半は少し立って動いていきましょう。(前半 了)

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京大入試

2011


2011年の京都大学の入試問題が
試験時間中にヤフー知恵袋に投稿されました。

それを一番に見つけたのは京都大学新聞社。
私が受験した頃は
京大新聞と言えば「合格電報」がすぐ連想されますが、
今はインターネットで合格発表があるので
どうしているのかと思いきやなかなかやってくれますね。

産経ニュースによると
「京大新聞が、投稿に気付いたのは2月26日の正午過ぎ。
英語試験終了後、メディア向けの試験問題配布を受けた学生記者が、
問題文の出典をネットで調べていたところ、
問題そのものが質問サイト「ヤフー知恵袋」に投稿されているのに気付いた。
午後0時19分、ツイッターに「京大入試 試験問題流出か?」
と書き込んだところ、ネット上で話題になった。」
のだそうです。

事の善し悪しはともかく、
京大入試レベルの問題でも
質問をすればすぐに回答を返してくれる人がいるという
この事実をまず賞賛すべきように私は思います。

そして、どこそこに責任があると苦情を言うより前に、
せっかくですから、京都大学の入試問題にチャレンジしてみてもらいたいと思います。

例えば英語。
次の文章(1)(2)を英訳しなさい。

(1)「楽しいはずの海外旅行にもトラブルはつきものだ。
例えば、悪天候や自然災害によって飛行機が欠航し、
海外での滞在を延ばさなければならないことはさほど珍しいことではない。
いかなる場合でも重要なのは、冷静に状況を判断し、
当該地域についての知識や情報、さらに外国語運用能力を駆使しながら、
目の前の問題を解決しようとする態度である。」

(2)「人と話していて、音楽でも映画でも何でもいいが、
何かが好きだと打ち明けると、たいていはすぐさま、
ではいちばんのお気に入りは何か、ときかれることになる。
この問いは、真剣に答えようとすれば、かなり悩ましいものになりうる。
いやしくも映画なり音楽なりの愛好家である以上、
お気に入りの候補など相当数あるはずであり、
その中から一つをとるには、残りのすべてを捨てねばならない。」

いかがでしょうか。
これをさっと回答できる人に巡り会って
短時間のうちにお返事をもらえるって、
もし、ネットがなければ奇跡みたいなことですよね。

私たちが今手にしている豊かさ。
それは、物質や情報の量の多さではなく、
おそらく、本当に大切なものと、
直接出会うことがとても簡単になってきたことです。

例えて言えば、インターネットの環境は、その試験用モデルみたいなもの。
私はコレが知りたいと思えば、必要な情報に、さっと出会うことができます。

それと同じように、
「私が本当に求めている何かが、実は今すぐ手の届くところにある。」
もしかすると、そのことに大勢の人が一斉に気づくために、
センセーショナルな事件が必要だったのかもしれません。

「夢は叶うものです」と言うと
「そんなに簡単にか叶うなら誰も苦労しない」
とおっしゃる方もあるかもしれませんが、
簡単に叶ってしまうからこそ、
私たちは今、様々な問題に直面しているのだとも言えます。

多くの方が、本当に求めているものはどこかすごく遠く、
手の届かないところにあると思い込んでいて、
そんなものにはとうていたどり着けないと簡単にあきらめてしまいます。
そして、その代償として、
ちょっとがんばれば手が届きそうなものを是が非でも手に入れようとします。
でも、その夢は本来の夢ではなくて、すり替わってしまった夢です。
またそのすり替わった夢のために無理な努力を続けることは、
自分が苦労するだけではなく、全体に迷惑がかかることです。

無理な努力を続けていると、夢はどんどん違った方向に走り出していきます。
例えば、カンニングをしてでも大学に通りたいと思ったとすると、
「私の実力では大学に通らない」ということが
意識しない心の中に空想されてしまいます。
そして、おそらく実行してしまった後には、
「カンニングはいけないことだけれども、仕方なくやってしまった、ごめんなさい」
というような気持ちを持つのではないでしょうか。
その自分を責める気持ちも「私は罰せられる人」という連想につながり、
そのことが叶うようにものごとが進んでいったりするのです。

今回の事件で幸いだったのは、
すぐに取り調べを受けて本人が正直に語ることができたことです。
もし、これが明るみに出ないで合格していたとすると、
そのあとにはより大きな苦しみが待ち構えていたはずです。
場合によると、その自分を罰しようとして苦しみを求める夢が
何人もの人を巻き添えにしてふくらんでしまうこともあるわけです。

ですから、ひとまずは、この事件を知った大部分の人が、
「だれかさんが携帯でカンニングしたのね」とわかった時点で、
どこかであーよかった。と思っているのです。

はじめは私も組織的犯罪の可能性を疑っていました。
京大の入試問題を解きながらネットに投稿できる余裕なんてあるはずがないと。
それが、一人の浪人生の単純なカンニング行為だとわかったことで、
どこかほっとするところがありましたし、
大ニュースになり全国の人々が注目する中でごく簡単に発見されたことにも、
どこかほっとするところがありましたし、
取り調べが進む中でひとりの青年の心の葛藤が浮かび上がってきたことにも、
どこかほっとするところがありましたし、
きちんと警察の取り調べを受けたことで、
過った行いに起因する苦しみ、いわゆる業のようなものが
多少なりとも浄化されているだろうことに、
ほっと胸をなでおろすような感じがするのです。

彼が成し遂げた快挙は、
その全国民的な「あーよかったな」感を醸し出したことで、
それは、そうとうに純真な心の持ち主でなければ、
なかなかできるものではありません。

私たちが、意識するとしないとに関わらず、
「京大の入試問題、ネットの掲示板で!」みたいなことは
日本中のほとんどの人の無意識にインプットされることになりました。
京都大学やインターネットはこれからも注目の的です。
そして、なんとなく自分が過って行ってきた
過去の行為に対するちょっとした「ゆるし」みたいなものが
日本中に行き渡ってくれたかなと思っています。
そのことが、これからどんな働きとなって
表に現れてくるのかがとても楽しみな今日このごろです。

夢のことは、『気功の学校 自然な体がよみがえる』(ちくま新書)に詳しく書いているので、
ご一読ください。

写真は、入試当日に京大構内にに出現した「折田先生像」です。
京大と言えば「自由の学風」。その学風を築いたのが折田先生です。
折田先生については折田先生を讃える会をご覧ください。


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うごいてやすむ 重版です

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おかげさまで
『うごいてやすむ 幸福になる気功』が
4度目の重版になりました。

気功と整体のエッセンスが
一つにまとまった画期的な本です。
健康について大切なこと、
誰もが最低限知っておきたいことが
この一冊にぎゅっと詰まっています。

ところが、さらっとやさしく書いてあるので、すーっと読めてしまう。
そこが難点といえば難点で、
やさしいイコールあまり内容がないと勘違いされやすい面があります。
整体に関しては、野口晴哉さんが整体の神髄をまとめた『体運動の構造』や
海外に留学した息子さんに宛てて整体の心得を書いた『健康の自然法』
(共に全生社)などが下敷きになっています。
それが劉漢文先生の禅密気功や
古来からある各種かんたん気功と自然に結びついて整理されているところに
この本の特徴があります。
つまり、これが気功だ、これが整体だ、というような壁を全て取り去って、
ただ健康に生きていく、
つまり幸福な生活を送るために最低限必要なことを、
気功や整体の専門家ではない一般の読者向けにまとめてみたのです。

私たち気功協会が活動を続けている大きな意味がここにあります。
単に気功という伝統文化を普及・継承するのみではなく、
心や体の面で今必要なことを分野や流派に関係なくシンプルに整理し、
その最重要ポイントを気功として広く社会全体に再提案しているのです。
ですから名称は別に「気功」でなくてもかまわないのですが、
では別に「○○法」としたところで、
小さな流派が一つ増えただけのことで終わってしまいます。
そこで、諸流諸派に伝わる秘技・秘伝が
庶民の健康法として整理公開されてきた気功の歴史を振り返って、
そのまま「気功」として進化させ続けているです。
ですから「天野さんの気功」のように言われるのは気功協会の本意ではなく、
そのうち気功というものも要らないようになって、
ただみんながが仲良く、
そして気持ちよく生活を続けているようになることが
私たちが目指していることです。

そうして最終的に調和した世の中を目指していくと、
一人一人の健康と自立がとても大切なことに改めて気がつきます。
弱ければ守ろうと身構え、
恐れや不安があれば薬、武力、権力など外側の力を頼ったりもし、
頼り続けていれば自らの力がさらに弱ってしまいます。
私たち一人一人が自らの力で心身の調和を保つようになれば、
そうした依存の連鎖はどんどん減っていくでしょう。
それは努力して実現するものではないところがポイントです。

ありのままの自然の変化(うごいてやすむ)を知り、
余分な力を抜いたまま、
楽しんでその自然の流れに乗っていく。

そうしたコツがこの一冊にきちんとまとまっています。
手に取ってじっくりご覧ください。

ちょしゃ 天野泰司

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気功の学校・氣楽編 四十九

二〇一一年の気功の学校の授業が始まりました。
今年の京都は雪が多く、初日の新春の会も雪の降る中、
全国から集う受講生の熱気に包まれたスタートになりました。

気功の学校で学ぶのは、知識や技術というよりは、
知識以前の何か、あるいは技術以前の何かです。
その形もなく表現もできない何かのことを「気」と呼び、
仮に言葉や姿勢や運動を通じて
気の働きを学んでいくのが気功の学校です。
「気」とは「自然の働き」と言い換えてもいいでしょう。
自然は身の回りのどこにでもあり、
私たちの体の中ではっきり働き続けています。
そのあまりにも当たり前で忘れがちなものに改めて気づいていくのです。
ですから、気功の学校では
たくさんの知識や方法を覚えるのではなく、
できるだけシンプルな素材を使って、
その時々の変化を学ぶようにしています。

京都に住むようになって一年半ほどになりますが、
ここにいると千年ほどの人々の営みが
あたりまえに身の回りにあることに気づかされます。
立春の前日の節分には、各地で古式にのっとった追儺式が行われます。
特に有名なのは吉田神社の節分祭で、
奥宮の大元宮から京大正門あたりの道路までびっしり夜店が立ち並び、
蕎麦の河道屋や湯豆腐の順正など老舗の屋台も毎年顔を連ねます。

大元宮には全国津々浦々の八百万の神々が祀られていて、
節分の時に神殿の前に立つ厄塚に触れると、
全ての神々と感応し、厄や心の中の鬼が祓われるのだそうです。
節分祭は
「厄神が荒ぶることなく山川の清き地に鎮まる」ために執り行われます。
厄であっても神。気功にも通じる神人和楽、
人天合一の精神は、様々な形で途絶えないように護られ、
千年以上の時を越え、繰り返し繰り返し伝えられているのでしょう。


 NPO法人気功協会運営責任者 天野泰司

Yoshidasetubun

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気功の学校・気楽編 四十八

娘たちが通っている、一燈園小・中・高等学校の
「秋の学習発表会」がありました。

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見所が多く素晴らしい舞台でしたが、
中でも中高生が演じる能「紅葉狩」は見応えがありました。
前半では美しい女性の優雅な舞が、
後半は鬼の形相に変わって激しい立ち回りとなり、
刀で切られた鬼が直立不動のまま
真後ろへバタンと倒れる「仏倒れ」で幕となります。
この舞台のシテ(主役)は鬼で、
鬼を切り倒す平維茂はワキ役です。
正義の味方が必ずしも主役でなくてもよいというのは、
精神衛生上とてもスッキリするものがあります。
能の主題は、幽玄で目に見えない世界を目の前に作り出すことにあり、
そのために主役は鬼や亡霊であることが多いのでしょう。
また、面をつけることで表情の変化を極端に減らし、所作も最小限にして、
そのできるだけ何もない中から、こんこんとあふれてくる何かがふと立ち現れてきます。

目に見えない何かを体験するためにシンプルになっていくという面では、
気功も能に似ています。
余分な力を抜いて単純な動きを繰り返していく中にふと、
隠れていた体の自然の働きが立ち現れてくることがあります。
急にぽかんとなり、夢なのか現実なのか、動いているのかいないのか、
考えているのかいないのか、私はあるのかないのか。
今までそこにあったかのような境界がふっと消え、そしてまた元の感覚に戻ると、
何も変わっていないのだけれども何かが変わっているのです。

発表会の取材に来ていた方が
「生徒の目の輝きが違う」と言って驚いていたそうですが、
その輝きは何かによって磨かれたものというよりはむしろ、
元々ある自然がそのままに花開いている美しさとでも言うべきものでしょう。
感動の多い一日でした。

NPO法人気功協会運営責任者 天野泰司
※ 写真の前シテ 天野たま

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気功の学校・浜松

『気功学校 自然な体がよみがえる』(ちくま新書)出版記念講座&合宿
「気功の学校・浜松」が 2010.11.27-28
駅前のアクトシティ浜松と奥山の方広寺で開催されます。

11月27日(土)午前中の入門講座は、浜松駅直結の
アクトシティ浜松・研修交流センター401会議室で開催します。
新幹線で移動すると
東京からも大阪からも約90分ほどで浜松に着きます。
この入門講座では、基本の基本(=核心)を押さえておきます。
各地からのご参加をお待ちしています。

お昼休憩を各自とっていただいた後、
続いてアクトシティ大ホール南側から、
専用バスに乗って奥山・方広寺へ向かいます。

ちょうど27日の土曜日の午前中には、地元引佐町観光協会の主催で
秋の花街道紅葉ウォークが方広寺近辺で開催されるそうです。
とてもいい季節ですので、気功を学びながら紅葉も楽しみましょう。

方広寺は後醍醐天皇の皇子、無文元選禅師が開いたお寺。
無文元選禅師は、道を求めて中国へ渡り悟りを開きますが、
その道中、天台山方広寺にも行かれたようです。
日本に帰って土地の寄進を受けた時に、ここは天台山の方広寺に似ていると、
寺名を方広寺とされたそうです。

今回の合宿のタイトルは「ゆるゆる合宿」
ゆるす+ゆるむ=ゆるゆる です。

どちらも、とてもシンプルで簡単なことなのですが、
一生懸命になって求めれば求めるほど、そこから遠ざかってしまうものです。
ですから、今回の「ゆるゆる合宿」では、
心身のリラックスした状態をずっと保ちながら、
ただ、ゆったりと流れている今を味わっていきます。

『気功の学校』で紹介しているシンプルな気功、
本堂での座禅、精進料理
心身の緊張をやさしくほどいてしまう穴追いのてあて、
朝の光の中での散策と気功、
そして、心と体の両面をやわらかくほどきながら、
ゆるゆるを、身をもって体験していくことになるでしょう。

入門講座・合宿ともにあと5〜6名参加可能です。
詳細・申込はこちらから


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気功の学校・氣楽編 四十七 

Tokeidai

最近、受験勉強の面白さを思い出しています。

ともすると役に立たないものの
代名詞のようにも言われる受験勉強ですが、
内容はどうであれ、
ある目標のレベルに向かって自分の能力を引き出す訓練としては、
とても面白いところがあります。

当時、志望のコースに京大の農学部を選んだのは、
家が農家だったのと、
大学を見に来て学食や環境が気に入ったという程度の理由で、
ただなんとなくここに行こうと心に決めていました。
京大の学食は北に行くほど美味しいというジンクスがあるのですが、
私が選んだ農学部は京大の中でもいちばん北側にあり、
ほうれん草のおひたしやじゃこおろしなど、
好きなものを自由に選べるカフェテリアスタイルが気に入りました。

志望校が決まってからも、勉強はそこそこしていたのでしょうが、
特別に努力したという記憶は残っていません。
記憶にあるのは高校の近くにあった本屋さんに立ち寄っては、
勉強法の本を拾い読みしていたことです。
当時、一冊の本を読み切るということはほとんどありませんでした。
文字を目で追っているとたいてい
猛烈な眠気が襲ってきて先に進めなくなるのです。
計算も得意ではなかったし、読書や国語は大の苦手でした。
そこで、なんとか楽に勉強ができないものかと
本屋さんで勉強のコツの部分だけを収集していたのです。
覚えたいものは寝室の天井に貼るとか、
重要事項をテープに吹き込んで眠りながら聞くとか、
まゆつばで誰も手を出さなかったような勉強法を
いろいろと楽しんでいたように思います。
そうして、知らないうちに
潜在意識を上手に使う勉強法にはまっていたようです。

そして、大学四回生の時に朝日カルチャーセンターの講座で、
気功と出会いました。
全身の余分な力を抜いて楽に動く(=放鬆)。
大脳を深くリラックスさせて心の静かな状態を味わう(=入静)。
受験勉強からの続きで、「そーか、そーか」とうなづいてはみるものの、
それが実感として味わえるようになったのは比較的最近のことで、
ずいぶん回り道をしたようにも思います。

それは、
今まで気功の適切な地図やガイドがなかったからだと
私は思っています。
私が二十年以上かかったことを、一年で伝えたい。
骨格だけなら一日で手渡したい。
ふと出会っている一瞬でも本質は伝わる。
そうした思いが、今の「気功の学校」のレッスンを生み出し、
新書『気功の学校』を書かせました。

最近は手作りのPOPを持って書店をまわっています。
『気功の学校』が積まれているのを見て嬉しくなり、
売れ具合を見てワクワクし、
店員さんが喜んでくれる表情を見て幸せになります。
それから受験参考書コーナーもついでに一巡し、
最近の動向を確認します。
気がつくと娘も受験生。
なんだか振り出しに戻ってきたみたいです。

NPO法人気功協会運営責任者 天野泰司

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7時間目の予習

新刊『気功の学校』
7時間目のレッスンは、
自然の力に目覚める。

「願いをかなえて幸せになる」ための時間です。

Mikanchan


伝統的な気功の中で
「人天合一」と言われてきた
気功の最終的な目標があります。

「天人合一」とも言われますが、
師匠の劉漢文先生は、
人→天
の順序に特別な意味を持たせていました。

まず「私」から始める、
そこに気功の真意があるのだと。

「先天に還る」という表現も
ほぼ同じことを指しています。

そうして暗示的に使われる言葉の中に
隠されてきたごくありふれた重要な真実があります。

特殊な能力ではなく、
だれもがあたりまえに持っている心の力、
それが「願いをかなえる」ということ。

7時間目まで読み終えてみると、
世の中の見え方がちょっとだけ
変わっているかもしれません。

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6時間目の予習

新刊『気功の学校』
6時間目のレッスンは「生活の中で」

Seikatunonakade


暮らしの中で
役立つ気功を紹介しています。

生活が豊かになると
24時間365日が豊かになります。

朝目が覚めてから、お布団に入ってぐっすり眠るところまで、
一日のリズムに合わせて楽しめるような構成にしてみました。

そうして、生活の一コマ一コマを
大切にし、ゆとりをもたせていくことと合わせて、
もうひとつの大切なポイントがあります。

それは、
気功を生活の中の一コマとして
日常のあたりまえの習慣にしていくことです。

気功が生活の一部になると、
生活全体が気功のように
楽でスムーズなものになっていくからです。

自分の生活リズムに合わせて
簡単なことを楽しく続けてみましょう。

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5時間目の予習

新刊『気功の学校』
5時間目は、
「気功と健康」。


Kikoutokenkou


何かあった時のための
家庭の救急箱として
必要なことをギュッとコンパクトにまとめてみました。

健康に関することは
『うごいてやすむ 幸福になる気功』(春秋社)に
わかりやすくまとめていますが、
今回新しく書き加えたのは、

・ グリーフケア
・ 介護と高齢者のケア
・ ガンと難病

の3つです。

一つ一つが大きなテーマですが、
気功は、いのちの働きに直接アクセスするので、
どんな分野にでも応用ができます。

「どんな時にも、自分でできることがある」
それが、気功のとても頼もしいところでもあります。

5時間目は
『うごいてやすむ 幸福になる気功』(春秋社)と合わせて読んでいただくと
とても理解が深まります。
今、出版社(春秋社)も在庫切れなのですが、
まだ重版が決まっていない状況です。
みなさんからも、どしどし重版リクエストのラブコールを送ってみてください。

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