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August 2005

気功の学校・支笏湖

sikotuko1
支笏湖はずっと雨もようだった。
小雨の中を歩いたり、
霧の中の林で気功をしたり、
水の気配が色濃かった。

今回は一燈園の話から始まった。
気功協会設立と一燈園のご縁。
一燈園創設者西田天香さんの北海道開拓を通じての気付き。
などが自然に浮かんできて、
「無一物中無尽蔵」という天香さんの言葉から
原点のゼロに戻っていく授業がスタートした。

全てを捨てて無一物になれば、
尽きることの無い無限の働きとひとつになる。

自分が無くなれば、全体が自分。

というような意味だが、

講座は、まず、余分な思考の働き、
観念を捨ててみることから始まった。

一日目は、あくびでゆるんだあと
相互活元を体験してから、
雨の中を散策。

ふと、気になるものを思考をはたらかせずに
ただ見る、
ただ感じる、
ということをして、
普段との感じ方の違いを味わって見た。

雨でも宿に帰れば、いつでも温泉に入れるのがありがたい。

夜は、潜在意識のクリーニングとしての、
背骨のてあて。

相互活元は外側の動きが大きく
てあては内側の動きが大きい、
どちらも、生命の働きをお互いに高め合い、
生命本来の自発的動きを呼び覚ますもの。
本質は変わらない。

二日目は
ゼロから1へ。
自然の動きに馴染んでいく。

晴れ間がのぞいたので、
休暇村の近くの野鳥の森を散策。

ふりこ、波、円の動きで
樹木や湖など自然の気と交流し、
視野の広がりと共に行き渡っていく気を感じる。

夜は潜在意識の自然をテーマに
願望実現法の具体的メソッドを体験。
気功の意念の用い方と重なるので、
一度は習っておきたいものだ。
また、この日はちょうど満月だった。

最終日は「教える」
全体と同調を取り、自らが整う
ということが「教える」のポイント。

今回は、自分がリード役になってみんなの気が自分に集まっていることを
ひとりひとり体験してもらった。

ふりかえるとあっと言う間の3日間。
そして、満ち足りた充実感がある。

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気功の神髄5

第五回目となった「気功の神髄」講座。

この日のメインは、
気功の願望実現法「消植法」。

この消植法は、本来は禅密功を行う前後に必ず行っていたもの。
そうした、気功以前に行う作法のようなものは儀規と呼ばれ、いくつかある。

今回は、その1つ「秘歩」も実習した。
神聖な空間に足を運ぶ形である。

消植法の方は、「諸漏漏尽」と言って、
私たちは尽きることのない災いを持っているという前提を確認し、
その災いを消し去り、福の種を植えるという、
無意識の積極的な働きをサポートするもの。

心の中の嘘偽りのない本当の願い=「心願」を起こすことから禅密功は始まるのだ。
仏教の言葉で言えば、「発菩提心」ということになるであろう。
心の中の本来の輝きを求めていくのである。
これは広い意味での心願であり、気功は悟りの道ということができる。

また、例えば「健康」というものも心願となる。
どのような願いでも嘘がない心からのものなら心願である。

では、偽りの願いというものがあるのだろうか。

その第1は、他者との比較や争いである。
無意識では、全てがつながりあっているのだから、
他の誰かが痛みを受けて、自分が痛みがないはずがない。

その第2は、反動としての願いである。
私はこんな目に会ってきた、だから…。という願いは、
感情の条件反射的なものが多く、
心からそう思っているかと考え直してみると
たいていはそうでないことが多いものだ。

この2つは注意して考えてみる。

願いなんてない。
と言われる方もあるかとは思うが、
そう決めてしまわないで、
よく探してみてほしい。

意識がきめこまやかになると、
心の安定度が増すだけではなく、
自他の細かな苦しみもまた、たくさん目に見えてくるものだ。
まさに「諸漏漏尽」である。

そこに、ふたをしておくことは
解決への道ではない。

心からの願いを探すという習慣そのものが、
私たちの無意識の掃除と種まきの習慣になっていくのである。

そして、本当の願いというものは自然と叶っていくものだ。

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