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気功の学校・氣楽編二

 伊勢のお話をしましょう。
 年末の伊勢合宿は気功協会の恒例行事になっています。神宮と言えば、伊勢神宮を指しますが、内宮と外宮の正宮が2社、別宮、摂社、末社等合わせて125社全てが神宮というように、伊勢全域に渡る霊的なネットワークを形成しています。
 江戸時代のお伊勢参りは特に熱狂的で、文政12年には年間500万人が伊勢に参宮したと伝わっています。これは、当時の人口の5分の1にあたります。なぜこれほどまでに伊勢は庶民の心を引きつけたのか、伊勢信仰の本源は何か。伊勢の旅からひもといていきましょう。
 さて、正宮の正式な参拝ルートは下宮から内宮ということになっています。下宮におまつりされているのは豊受大神。この神様は食物の神様で、毎日二回、神様の食物を下宮で作っては内宮まで運んでいます。
 神宮では自給自足が徹底していて、自前の塩田を持ち、毎回火起こし棒で火を起こして調理をしています。また、20年ごとに、各社を全て建て直すという式年遷宮を続けるために、広大な山林を持ち、数百年先の将来のことを常に考えながら植林を続けているというのも他ではまず考えられないもので、自然を保ちながらの理想的な植林のモデルとなつているようです。
 一方、内宮は天照大神をおまつりしています。こちらは太陽の神様。アマテラスとは、すべてをあまねくてらすという意味ですね。
 冬至の日には、内宮の入り口にかかる宇治橋大鳥居の正面から昇る朝日を拝むことができます。感動的で、ジーンときます。
 冬至の太陽は特別な意味を持っていたようです。一陽来福(復)、陰の極みから陽がまた復活して戻ってくる。つまり、私たちの本性、「光」の蘇りという祈りがここに秘められているのです。
 冬至の日の出という、自然界の光の再生にふれ感動するとき、私たちの魂の光も再び息を吹き返すのです。それは、いわば私たちの無意識の中に眠っている本来の願望に気づき直していくことに他なりません。
 野口晴哉さんは『人間の探求』という著書の中で、整体を指導することは、その人の本性、エネルギーの起点となっている無意の願望を直接観ていくことだという意味のことをくり返し説いています。そして「徹底的に追いつめていけば、人間の一切の行為は種子を播くことと食べることの為に行われていることが判る。花と団子の世界といってよい。しかも一切の圧縮エネルギーのもとは性の抑圧である。(中略)自己保存の本能も種族保存の大きな欲求から見ればその手段にほかならぬということである。(中略)自分の生命さえその為には捨てるのである。そこに生命の延長発展がある。」と言っています。
 伊勢にはおおらかな性の文化があったことをご存知でしょうか。イセはイモオセ(妹背)を語源とし、男女陰陽の原理そのものを示す土地です。門前の古市が遊廓として全国に名を馳せただけではなく、下宮・内宮も陰陽のペア、そして2つの敷地交互に社を建て替える遷宮も場の陰陽をなしています。土地そのものをおまつりしていることは、敷地に白石が敷き詰められ、正殿床下に立つ心御柱が祭祀の中心であることからもよく分かります。陰陽の働きが随所にめぐらされた伊勢信仰に庶民パワーがドッと動くのは頷けます。
 さて、その性というものを、純粋に昇華させていく道を開くことが気功でも大切なことです。その準備として自然に笑うということを「気功の学校」の基本レッスンにしています。
 内から笑いがあふれてきて、肚の底から大笑いすると、抑圧されていた性のエネルギーが楽々開き、とってもすっきりします。神話の天岩戸開きは私たちの本源を見つける比喩になっているようです。
 笑門来福の伊勢の旅にまたどうぞおこしください。

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