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January 2006

気功の再建築

気功の学校・2006春季

既に、
準備科「新春てあての会」、
課外授業「健康の学校」
までが終了しました。

そして今、改めて、
基礎科「エレメンタリー」、
本科「教える」
のプログラム再編成が、
そして、気功の再建築がはじまっています。

気功の特徴は、
日常的にだれもがやさしくできることです。

無理のないやさしいことを繰り返しながら
心と体の働きが自然に高まり、
その能力が広がっていく方向に導いていく、
コンパクトで、末長く楽しめる国民的な体操。

気功とはこのようなものです。

気功という1つの決まった形が元々あるのではありません。
心身の眠っている力、からだの自然を呼び起こすための、
だれもができる心身訓練法の全てを気功と呼んできたのです。

ですから、
今大切なことは、
膨大なやり方の中から
その全体の土台となる基本原理を抽出し、
ポイントを絞り込むことです。

課外授業「健康の学校」は、
玉石混交の膨大な健康法を
そうした視点で絞り込んだ内容になりました。
そして、その内容はそのまま気功につながっています。

私たちが目指すのは、
さらにデイリーに、
日々楽々と楽しめるものです。

シンプルで味わいがあり、
末長く続けていくことができる。
そんな基本セットを
気功の学校・受講生のみなさんと一緒に
まとめていきます。

気功の学校・基礎科と本科にご期待ください。

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自ずから健康になる

明日から2日間は「健康の学校」。

氣道の長谷川淨潤さんを招き、
著書『東洋医学セルフケア365日』の内容にそって
健康法のエッセンスを学ぶ講座だ。


「健康の学校」は、
そこにいらした方が自ずから健康になり、
また、人を健康に導いていくようになる学校だ。

「自ずから健康になる」というのは、
「からだの自然に任せる」ということだ。
そして、
「自ずから健康になる」ことができれば、
他人の健康を導くことは自然とできてしまうことだ。

長谷川さんは、著書の冒頭で、

 「何かに頼るのではなく、
  自分の体や心の内側にある生命力(自然治癒力)に
  自然とまかせて生きていこう」

と、主張されている。
その上で、

 「多くの方が悩む心身の症状に対して
  最も効果の高い東洋医学のエッセンス
  と言える内容になったのではないか」

と、述べている。
ただ効果が高いだけではなく、簡単だということもポイントだ。
簡単だから自分ででき、自分でするからまた効果が持続しやすい。
そして、人に伝えていくこともできる。

この講座は値打ちの中身だ。
『東洋医学セルフケア365日』(ちくま文庫)も
手元に一冊あるとなかなか重宝する。

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気功の学校・氣楽編三

takachihono
 温泉はお好きですか。
 今年のお正月は霧島に行ってきました。霧島は今なお活発な火山活動を続けている山々がいくつも連なるようにして集まっているところで、山麓のいたるところに温泉が湧いています。川全体が温泉になっている所や、温泉の滝などもあり、あちこちからもうもうと煙が上がっています。ともかく温泉の湧出量は半端ではありません。霧島の地に立つと、大地が秘めているエネルギーがそのまま伝わってくるかのようです。私たちの想像を絶するような巨大な力が確かにここにある。そう思えるのです。
 霧島の最高峰は韓国岳ですが、そのシルエットの美しさから、霧島の雄峰は高千穂峰だと言われます。この高千穂峰は天孫降臨神話の舞台だとも伝わり、その象徴として山頂には天逆鉾が立っています。確かに山麓の高千穂河原から高千穂峰を眺めると、なんとも神々しく、その場を立ち去りがたい感覚に襲われます。

 自然の造形の美しさは、私たちの心を動かし、また気を動かします。
 特別な仕掛けやからくりがあるのではなく、ただ、そのようにあるというだけのことに全身が震え、我を忘れ、心を洗われるのです。
 人知を超えた大きなそして精密な働きにはっと気付くのでしょう。それは言葉をつくしても語ることができない本質的な体験を含んでいます。

 自然と共生していこうという積極的な姿勢のことをエコロジーと言いますが、さらに本質的に自然と調和した生活を目指していこうという動きは当然にあり、ディープエコロジーという考え方もだんだんに広がってきました。
 アルネ・ネスというノルウェーの哲学者がディープエコロジーの提唱者ですが、ネスさんの考えは私たちの気功の考え方とたいへん近いものがあります。ディープエコロジーの七つの特徴を簡単に紹介します。

(1)自然界全体はお互いにつながりあい影響しあっていて、一つの気の織物のようになっている。
(2)生きとし生けるものの全ては、みなその生命力を花開かせようとする働きを等価に持っていて、そこに優劣は無い。
(3)多様だからこそ生命の変化発展の可能性があることを認め、争い奪い合うのではなく共生の方向を目指す。同様に、人間の生活様式、文化、職業、経済も多様性を認めあう。
(4)どの生命が偉いとか、尊いとかの順位づけはない。
(5)汚染をしない。資源を枯渇させない。
(6)複雑で精緻な自然の働きはすばらしく、それを見習った社会システムを目指す。
(7)中心からではなく、各地の自律的な動きによって自然環境は守られていく。

 以上の七つです。
 また、ディープエコロジーとトランスパーソナル心理学が結びついた、トランスパーソナルエコロジーというものもあるそうです。

 それはさておき、大切なのは、心身の余分なこわばりを脱ぎ捨て、自然の中に裸で飛び込み、一つになること。霧島の温泉はやはり魅力的です。
 泉質では湯之谷温泉、自然環境では旅行人山荘に軍配が上がりそうです。

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健康の学校

3651/28-29に
「健康の学校」が開講されます。

健康が大切なことは誰もが認めます。
しかし、どのように健康を保ち、
病気になったときにどのように対応すれば良いか
という具体的な方法、
そして、そもそも健康とは何かという基本的な部分に関しては、
本当に知っておくべきことがまだまだ知られていません。

私たちは、健康の大切さを語る時に、
健康観の大切さを同時に説いています。

心身本来の働きが十全に働いていることを健康と見て良いのですが、
例えば、悪いものを食べて吐き出すのは、
胃袋の働きが十全に行われているということですから、
健康の証となります。
吐き出せなかった場合には、腸の働きが十全であれば下痢をします。
下痢も出来なかった場合には、皮膚の働きが十全であれば、
発疹が出たり、汗から毒を出したりします。
こうして考えていくと、病気というもののほとんどは、
全て体の自然の働き、それも今の全力を挙げて精いっぱい頑張っている働きだ
ということが分かっていきます。

そうして、健康というものの観方、健康観が変わっていくだけで、
健康な人はぐんと増えてしまいます。
「健康の学校」の第一の目的は、その健康観の快革です。
病気の働きを知ることで、病気を活用してより元気になることができるのですから、
ぜひみなさんに知って頂きたいのです。

では、実際に病気になったら何をしたら良いのか?
その回答は、全力を挙げて頑張っている体の働きを助けてあげれば良いということになります。
様々な症状や原因になっている心身のこわばりに応じて、
具体的に自分でできる簡単なことがたくさんあります。

病気になる原因はたいてい自分自身にあるので、
自分で自分の症状を改善していこうとする心はとても大切です。
自分から改善しようと思えば、
病気の元になっていた生活習慣なども自然に正されてしまうのですが、
誰かに治してもらうつもりでいると、
自分の不摂生や運動不足などはついそのままにして、
また悪くなったら治してもらいにいくというサイクルを不断に続けやすいのです。

だから、まず自分で何が出来るかという意識が大切なのです。
毎日一時も離れることがないのですから、
自分の体は自分自身が一番良く知っています。
ただし、自分でできるためには簡単である必要があります。

そこで、簡単な方法で、体の働きを高める方法を
ピックアップしてまとめておくと良いのです。
それも、症状に応じて、体のある部分の働きを高める方法を知る。
胃が働いている時(例えばお腹が痛い時)は胃袋の応援をし、
肺が働いている時(例えば咳が出る時)は肺の応援をすれば良いのです。

例えば、胃袋の調子が悪い時は、
膝から下を温めるとすぐ楽になります。
膝から下は消化器系の働きを高める重要ポイントなのです。
すると、そのことを知っているだけで、消化器系の病気にはほとんど困らなくなります。
お腹が痛くなったら「脚でも温めようか」ということだけで簡単に治ってしまう。
そうして、体の働きを高めることで治ることを繰り返していると、
その症状を繰り返すことを通じて、体はどんどん丈夫になっていきます。
そしてあまり繰り返さなくなります。

症状を抑えるだけだと、
その症状が無くなったとしても、別の病気に変化しやすいのです。
例えば、皮膚病を抑えると呼吸器の病気になりやすいことなどはよく知られています。

根本的な解決方法は、
ただ、体のある部分の働きを、
その時の状況に応じて助けてあげることなのです。
毒があるなら、その毒を排泄していく体の働きを助ける。
病原菌がいるなら、その病原菌をやっつける体の働きを助ける。
そうして、体の働きそのものを助けるようにしていくと、だんだん丈夫に、
そして病気にも冒されにくくなっていくのです。

長谷川淨潤さんの「東洋医学セルフケア365日」という本には、
だれもが簡単に実践でき、
日々活用していくことで、健康度をどんどん高めていく方法がまとめられています。
それも、いろんな症状に応じて、まとめらているのでとても参考になります。

「健康の学校」では、
この冬から春に重要な季節の健康法や実際のQ&Aも含めて、
実践的な部分をまとめて紹介して頂きます。

みなさんお楽しみに。

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変化と成長

ある親子と話をした。
感じたことをまとめておく。
多かれ少なかれ、誰にも共通する面がありはしないかと思う。

子どもは日々変化成長を続けている。
それは、内に伸びていこうとするエネルギーがあるからだ。
子どもを導いていくためには、子どもの変化のスピードの一歩先を行かなければならない。

一般に、母は子どもの心配をするのが仕事のようなところがある。
しかし、「心配の心は相手を縛る」という単純な心の原理がほとんど知られていない。
こんなに勉強しなくて大丈夫か、テレビばかり見て、いつもだらだらしてやる気がないのは心配だと言う。
ところが子どもに直接聞けば、皆自分なりに節度を持って考えて行動しようとしている。
親はその微妙な変化の兆しに気付き、そこに光をあてるような言葉の使い方を身に付けるべきだ。

誰も、だらだらしていて本当に気持ちが良いはずはない。
誰もが、日々より良い方向へ自ら伸びていこうとしている。
そして、瞬間瞬間に変化がある。

ところが、また勉強していないじゃない。だらだらしているんじゃないの。いつまでテレビを見ているの。
というように親が子を見ていると、子どもは勉強したいのに勉強ができない。
だらだらしたくないのについだらだらしてしまう。
テレビなんてつまらないのについテレビに向かってしまう。
というように自分が本当にやりたいことができなくなってしまう。

人は、無意識にその認められたように振る舞おうとする。
単純に言えば、良い人だなあと認められていれば良い人になり、
だらしないと認められ続ければ、だらしのなくなりやすい。
回りから言われ続け、思われ続けていると、ふと「私って……なんだ」と思い込んでしまう。
自身の謙遜は1つの美徳だが、謙遜のつもりで、「うちの子は……」と子どものことを悪く言へば、
やはりそのように認めたことになる。
どんなに小さくても、自分とは異なる一人の人格であることは忘れてはならない。
ふと思い込んだことは無意識の中で働き続け、意識で打ち消すことは難しい。
それは意思より無意識の力がはるかに大きいからだ。

お母さんの子どもの認め方はとても大切だ。
子どもはその認められた方向に伸びていく。
だから、不安の可能性ではなく、
希望の可能性にいつも光を当てていくような心の角度が必要だ。

例えば、あまり勉強していないのにそこそこ点が取れているなら、「頭が良いんだね」という面を認めれば良い。
ずーっとテレビを見続けているのなら「忍耐力があるね」という面を認めて行けば良い。
どんなにだらだらしているように見えても、自分からやりたいことがあれば自発的に動いていくことに皆快感がある。
だから自分からやりたい。
ところが不思議なことにそのやりたい気持ちが子どもに起こったタイミングに、お母さんの気持ちもたいていシンクロして気になり出す。
そして「何々しなさい」とつい言ってしまう。仮に口に出さなくてもついそう思ってちょっとこわい目になっていたりする。
すると自発の芽は踏みにじられ、成長のエネルギーは内側に凝固圧縮されることになる。
これは口と思考の単なるクセ、習慣である。そして幸運なことに習慣は改善していくことができる。

まず第一に、「子どもはいつも変化成長しようとしている」ということを認めていけばよい。
認めるためには、その変化成長していることを分かる必要がある。
「あー今日はこんな成長があったなあ」ということが必ず1つや2つあるものだ。
子どもの感覚は繊細で優れている。そして変化成長ののスピードも子どもが圧倒的に速い。
その子どもの成長を認めていくためには、親自身が感覚を磨く必要がある。
初めはあまりよく分からなくても、毎日「今日はどんな変化や成長があるかな」という心で子どもに接していくと、細かな心の変化成長にも気付くようになる。
こうなればしめたものである。的確に余裕を持ってその伸びているところを認め、自発的に伸びていく方向へリードできるようになる。

最も良いのは、親自身が日々成長し続けている姿を子どもに示すことである。
成長し続けている人は、人の成長を自然に導く。
これは言葉以上に影響が大きい。

親子を例にあげたが、人と人とのお互いを認めあい、導きあう関係は皆同じである。
おたがいを縛りあう習慣は今ここで、ふっと手放してしまいさえすれば良い。


気功では自分の成長を自分で導いていく。つまり一人二役。
変化成長し続けている自分と、その変化成長の一歩先を認めてあげている自分とがいる。
その変化成長を認めるにもやはり希望の可能性を見ていく心の角度と的確な観察力が必要だ。

気功で身に付けていくのは、自分で自分をより好ましい方向にリードしていく力である。

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受容と創造

ookusu
明日9日は新年初講座
新春てあての会。

受容と創造が今回のテーマになりそうだ。

受容と創造は陰陽。
受容だけでも創造だけでも働きはないが、
受容と創造がそこに同時におこる時に、新しい生命が生まれ出る。

心と体にもこの、受容と創造のプロセスが同時にあることが、
生き生きとした満ち足りた生活のために大切だ。

そして、その鍵になっているのは潜在意識である。

受容の逆は、否定、拒絶、無視、対立などであるが、
これらの結果としておこることは、
無意識の中でその否定したものが大きく強調されるということだ。
つまり、受け入れることができなかったいやなことは
無意識の中でそのいやなことが強調されるように働くということだ。
そして、私たちの行動はその大部分が無意識の反映として行なっているという事実がある。

極端に言えば、
受け入れられなかったいやなことというのは、
それ自体がマイナスの願望として実現される方向に働くとも言える。

だからこそ、潜在意識のクリーニングはとても重要だ。
そして、体をゆるめるということがその助けとなる。
その体がふっとゆるんだタイミングに心もゆるもうとする。
そこが、受け入れるタイミングだ。
どんないやなこともある別の側面から見るとなんらかの意味を持つものである。
その輝いている面を見て、
素直に、そしてあっさりと「ありがとう」と言ってしまうのは、
なかなか上手な受け入れ方だ。

受け入れてしまうと余分な抵抗感が消えて、潜在意識の縛りから自由になる。
つまり、体が楽になる。
こうした習慣が身に付いてくると、いやなことはいやなことで依然としてあるが、
いやな感じが続いているということが非常に少なくなる。
これは受容の成果である。

受容のあるところには創造がおこる余地が生まれる。
無意識の中に種をまいていくのだ。
無意識にまく種は、心も体も魂も同時に喜ぶことである。
その心からの本当の願いを見つけることは、
言うなれば、本来の自分に戻ること。
本来の自分に戻れば、心も体も生き生きとして輝き出す。
輝きが大きくなれば、もはやかげることはない。
受容力も必然的に大きくなる。

しかし、雑草が覆い茂る中に種をまいても、日が当たらず枯れてしまう。
まず余分なものを刈り取る。
そこに種をまく。

受容と創造のプロセスを、
午前、午後一日のリズムの中で
参加者のみなさんと共に楽しみたい。

*写真は宮崎市清武の大楠。樹齢約900年。
 樹幹が洞になっていて、中は8畳ほどの広さ。
 正月の帰省の折に立ち寄りました。

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2006年 ゆとりと飛躍!

新年あけましておめでとうございます。

一年間の成果を土台に、気功協会も
また、新たなスタート地点に立ちます。

2006年は、ゆとりと飛躍の年になりそうです。
気功では、ゆとりが力を生み出します。

気功は、潜在力の自覚と発現のプロセスです。
自分の中に元々ある力にまず気付いていくこと、
そして、その力を引き出し、
活用していくことが気功の本質なのです。

新年初講座「新春てあての会」からそのスイッチは入ります。
そして、年間を通じて、その流れはとどまりません。

着実に基礎を押さえ、楽々と楽しみながら、ぐんと実力がついてくる。
そんな講座が展開していくでしょう。

今年もご期待ください。

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