ある親子と話をした。
感じたことをまとめておく。
多かれ少なかれ、誰にも共通する面がありはしないかと思う。
子どもは日々変化成長を続けている。
それは、内に伸びていこうとするエネルギーがあるからだ。
子どもを導いていくためには、子どもの変化のスピードの一歩先を行かなければならない。
一般に、母は子どもの心配をするのが仕事のようなところがある。
しかし、「心配の心は相手を縛る」という単純な心の原理がほとんど知られていない。
こんなに勉強しなくて大丈夫か、テレビばかり見て、いつもだらだらしてやる気がないのは心配だと言う。
ところが子どもに直接聞けば、皆自分なりに節度を持って考えて行動しようとしている。
親はその微妙な変化の兆しに気付き、そこに光をあてるような言葉の使い方を身に付けるべきだ。
誰も、だらだらしていて本当に気持ちが良いはずはない。
誰もが、日々より良い方向へ自ら伸びていこうとしている。
そして、瞬間瞬間に変化がある。
ところが、また勉強していないじゃない。だらだらしているんじゃないの。いつまでテレビを見ているの。
というように親が子を見ていると、子どもは勉強したいのに勉強ができない。
だらだらしたくないのについだらだらしてしまう。
テレビなんてつまらないのについテレビに向かってしまう。
というように自分が本当にやりたいことができなくなってしまう。
人は、無意識にその認められたように振る舞おうとする。
単純に言えば、良い人だなあと認められていれば良い人になり、
だらしないと認められ続ければ、だらしのなくなりやすい。
回りから言われ続け、思われ続けていると、ふと「私って……なんだ」と思い込んでしまう。
自身の謙遜は1つの美徳だが、謙遜のつもりで、「うちの子は……」と子どものことを悪く言へば、
やはりそのように認めたことになる。
どんなに小さくても、自分とは異なる一人の人格であることは忘れてはならない。
ふと思い込んだことは無意識の中で働き続け、意識で打ち消すことは難しい。
それは意思より無意識の力がはるかに大きいからだ。
お母さんの子どもの認め方はとても大切だ。
子どもはその認められた方向に伸びていく。
だから、不安の可能性ではなく、
希望の可能性にいつも光を当てていくような心の角度が必要だ。
例えば、あまり勉強していないのにそこそこ点が取れているなら、「頭が良いんだね」という面を認めれば良い。
ずーっとテレビを見続けているのなら「忍耐力があるね」という面を認めて行けば良い。
どんなにだらだらしているように見えても、自分からやりたいことがあれば自発的に動いていくことに皆快感がある。
だから自分からやりたい。
ところが不思議なことにそのやりたい気持ちが子どもに起こったタイミングに、お母さんの気持ちもたいていシンクロして気になり出す。
そして「何々しなさい」とつい言ってしまう。仮に口に出さなくてもついそう思ってちょっとこわい目になっていたりする。
すると自発の芽は踏みにじられ、成長のエネルギーは内側に凝固圧縮されることになる。
これは口と思考の単なるクセ、習慣である。そして幸運なことに習慣は改善していくことができる。
まず第一に、「子どもはいつも変化成長しようとしている」ということを認めていけばよい。
認めるためには、その変化成長していることを分かる必要がある。
「あー今日はこんな成長があったなあ」ということが必ず1つや2つあるものだ。
子どもの感覚は繊細で優れている。そして変化成長ののスピードも子どもが圧倒的に速い。
その子どもの成長を認めていくためには、親自身が感覚を磨く必要がある。
初めはあまりよく分からなくても、毎日「今日はどんな変化や成長があるかな」という心で子どもに接していくと、細かな心の変化成長にも気付くようになる。
こうなればしめたものである。的確に余裕を持ってその伸びているところを認め、自発的に伸びていく方向へリードできるようになる。
最も良いのは、親自身が日々成長し続けている姿を子どもに示すことである。
成長し続けている人は、人の成長を自然に導く。
これは言葉以上に影響が大きい。
親子を例にあげたが、人と人とのお互いを認めあい、導きあう関係は皆同じである。
おたがいを縛りあう習慣は今ここで、ふっと手放してしまいさえすれば良い。
気功では自分の成長を自分で導いていく。つまり一人二役。
変化成長し続けている自分と、その変化成長の一歩先を認めてあげている自分とがいる。
その変化成長を認めるにもやはり希望の可能性を見ていく心の角度と的確な観察力が必要だ。
気功で身に付けていくのは、自分で自分をより好ましい方向にリードしていく力である。
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