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気功の学校・氣楽編四

harunotudoi
 今回の気楽編では、一燈園の話をしましょう。

 一燈園とご縁ができたのが、ちょうど二〇〇〇年の春。
長女が、小学校二年に上がる時に、地元高槻の公立の小学校から山科の一燈園小学校に転入したのがご縁で、今春には上の娘が中学二年生、下の娘が小学四年生になります。
 先日は、子供たちの作品展と男子は剣道、女子は日舞の発表会がありました。
 一燈園の学校では、学校の正課として、日舞や剣道、高校生は仕舞と能などがあり、伝統的な所作や礼節を自然に身に付けてしまうカリキュラムになつています。
 お能は三年ほど前から取り組み始めていますが、正式な装束や面をつけて舞うもので、年々レベルが上がり見ごたえがあります。
 そして、今回の圧巻は日舞の「鶴亀」。華やかな着物姿の中学一、二年生。その踊りの素晴らしさに会場全体が息をのみました。

 今回の発表会を見てもそうですが、一燈園の学校を見ていると、最近学校が荒れて教育が問題だとか、子供たちの集中力が無く学力が低下しているとかいうことは、どこか別の国の作り話のような感じがしてしまいます。
 この目の前にいる子供たちの目が輝いている、この学校全体が生き生きとした学びの場に、そして、安心できる生活の場になっているという事実がそう思わせるのです。
 こんな学校がここにあります。という、ただそれだけのあたりまえのことが、漠然とした不安を抱えがちな私たちを、心の底から勇気づけてくれるのです。それだけ、ただあたりまえにあるということが難しい時代だということなのでしょう。
 気功が目指しているものは、この「ただあたりまえにある」ということです。そう申し上げるとたいそうがっかりされる方がありますが、自然というのは「ただあたりまえにある」ということに他なりません。そのあたりまえを目指していろんなことをしているのです。

 一燈園には、その名もずばり「一事実」という短文があります。
 「ここに一つの事実あり」から始まるこの「一事実」は、毎朝の瞑想の時間や節目節目となる行事の時にみんなで唱えます。私が始めてこの「一事実」を聴いたのは、二〇〇〇年の春の集いの時でした。四月中旬のおだやかな春の日、子どもたちと一緒に疎水を越え、一燈園の門をくぐります。庭はよく手入れされていて春の花が咲き、山々の緑が鮮やかです。手のひらにのりそうな小さな子どもの聖徳太子のお像をお堂からそのお庭の正面に遷し、小中学生を中心にお祈りが始まります。「一事実」を唱和する小学生の声は特に元気です。
 そのはきはきとした、勢いのある無邪気な声を聴いていると、ぐっぐっと心が動いてくるのですが、その一事実の言葉が耳に入ってくるにつれて、さらに目頭が熱くなり、心が洗われるような大きな感動を覚えました。
 「一人あり!十字街頭に立つ!人なれども光明をうけて活ける者の如し!或は合掌して何物かを拝し!或は人の家に入りて下駄を揃え庭を掃き!便所を清め納屋を整理す!…」と子供たちの高らかな声が自然の景観の中にしみ込んでいくのです。

〈次回、気楽編五に続く〉

一燈園の学校 燈影学園のホームページはこちら

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