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気功の学校・氣楽編 六

Katube_s
奈良県吉野郡に
佛眼寺という浄土宗のお寺があります。
そのお寺のご住職勝部正雄さんは、
初めてお会いしましたが、
一目見てその謙虚さがお顔からにじみ出ているような方です。
京都文教小学校の校長先生でもありますが、
一燈園とご縁があり、
四月の恒例行事「春の集い」で
「今の世を生きるために」という題で
教育をテーマにした講演がありました。

一燈園は、去年創立一〇〇周年の節目を越えて、
これからの柱は教育という結論を出したそうです。
気功協会も5つの柱の一つが教育ですが、
「気功の学校」という講座タイトルも
本来の教育ということを意識したものです。
その意味で、今回の勝部さんのお話はとても感動もし、
また私たちの活動の参考にもなるものでした。

話は、一九七七年のある象徴的事件の手記からはじまり
一九九八年の須磨での中学2年生の事件、
旅客機テロ、尼崎の列車事故までを、
「自立」という一つの軸で見ていくものでした。

どれも大きなニュースになり、世間を騒がせたけれども
そこから何を学び何を変えたかと問われると
他人事で済ませてしまっている面がないかと反省させられます。

浄土宗を開いた法然は、幼少時に父を失います。
夜襲に遭った父は九才の法然に
「恨みを持って恨みを返したならば恨みは世々に尽きがたし」
と仇討ちを戒め、
「自分が襲われる因は自分にある。
全ての人が救われる道を探し、悩んでいる多くの人々を救って欲しい。」
と遺言を遺して息を引き取ります。

仇討ちが当然という世にあって、
この遺言は少年法然の心を動かし、
当時の世の中を大きく動かしたわけです。
これが約八百年前。
自分におこっていることの責任を
他人のせいにせずに自分でとるということの強さは、
どこからもびくともしません。

それに比べてみて、
現代の知恵が集まっているはずのアメリカはどうだったでしょうか。
事件直後に「テロの撲滅はテロと同じ」と言った方があるそうですが、
「目には目を」では争いに終わりがありません。

「自他が断絶し、一面的合理性から不合理なものを排除してしまうことが、これらの事件を引き起こしている」という勝部さんの話にとても共感しました。

少年の事件に戻りますが、
重大な事件の当事者となった少年たちが言っていることが同じだというのです。
「オレの青春を返せ」「私の青春は空白である」「透明な私」と。
誰も、自分の足で生きていきたい。
ところが自分の足で歩くことができない。
答えが先に見えていて、その正しいレールの上を巧妙に歩かされているようで、
外れようにも外れようが無くそのとおり進むしかない。

「今の世を生きるために」という話の中の「今の世」を
勝部さんはこのように映し出し、
その結論を
「私が私という原点に還る」
「ありのままの、あたりまえをみる」
そうしたことに気付かせてくれること、
一時でよいからそうした感じに戻っていく時間を持つこと。
というようにまとめられました。

気功、瞑想、てあて
などはそのような時を過ごすことではないかと
私は思っています。

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