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気功の学校・氣楽編 十三

約三百年もの間平和が続いた江戸時代。
物質的に見れば現代と比べて決して豊かとは思えませんが、
当時日本を訪れた外国人の記録をひもとくと、
「地上の楽園」とまで賛美される
幸福感に満ちた庶民の生活がそこに見てとれます。

渡辺京二さんの著作『逝きし世の面影』(平凡社)を最近読みましたが、
例えば黒船に乗って開国を迫ったペリーが下田に立ち寄った時に
「人々は幸福で満足そう」と述べていて、
明治初期までに日本を訪れた外国人識者の記述が共通して、
日本の庶民のあまりの明るさと親切さにびっくりしていること、
そして将来西欧文明がこの国にもたらすだろう混乱を予見していることは
とても面白く思いました。

当時の世界各国の中でも、
庶民の最下層にまで行き渡っていた
あふれるような微笑みと思いやりは他にあまり例がなく、
その見るからに幸福そうな生活の上に新しい文明を持ち込むことに
罪悪感さえも持っていたことはあまり知られていませんでした。

私はこの本を読んで、
「あ〜、何も難しいことはないんだな」と直感しました。

『うごいてやすむ 幸福になる気功』(春秋社)を書いてからは、
「気功の目的は生活の幸福です」とあたりまえのように言うことが多くなりましたが、
その「生活の幸福」は
既に百年以上前の日本中に蔓延していたというのですから、話しが早い。
たかだか百年分の時間を遡ることで、
私たちは幸福な生活と確実にめぐりあうのです。

さらに、物質的な豊かさは十二分にあり、
また情報は瞬時に行き交うようになっている。
これはむしろ好条件です。

また、いろんなところで問題が表面化していることも、
時代の変化の兆しと見ることができるように私は思います。

もちろん課題もあります。
渡辺さんは前出の著作の中で
「私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、
人間の生存をできうる限り気持ちよいものにしようとする合意と
それにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ」
と述べていますが、
まさにこの事実に立ち戻るということがキーポイントなのです。

二〇〇四年の夏に、南風楽天という食堂で
「夢のプロジェクト」という「投げ銭」企画があったことをふと思いだしました。
ヱビスの生を片手に、気功協会、氣道協会それぞれの夢を語り合うという
不思議な設定の楽しい催しでした。
「投げ銭」と言っても銭形平次みたいなのではなくて、
帽子なんかを回して観客は自分でこれぐらい思う額のお金を声援として入れるのです。
とりたてて目立った企画ではなかっただけに、
意識から消え去るのも早く、
ストンと潜在意識に落ちていたようです。

最近になってあちこちでひょっこり顔を出します。
そうそう、1杯の生ビールを
とことん美味しく飲もうとする氣道協会の創意工夫に、
私は脱帽した記憶があります。 

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