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朝日カルチャー京都 3/13 (1)

3/13、地震直後に天野が初めて話した
講座のテープおこしをしました。

何度も涙が出た、記念碑的な講座です。
読みながら、いっしょにやってみてください。(純)

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     @朝日カルチャー京都 2011/3/13 天野泰司

(出席をとったのは)こうして一人一人が今ここにいられることがどれだけありがたいか、
そのことの確認なんです。

連絡がとれない方が未だにたくさんあり、
こうして「いらっしゃいましたね」と確認できるありがたさ。
私たちが毎日ありのままに過ごしている日常がどれだけありがたいことか改めて思います。

被災された方々の一刻も早い回復を願うばかりですが、
同時に、遠くにいる私たちがどういう気持ちを被災された方にあつめていくか、も
とても大きなこと。

ネット上で日本の状況が大きく報道されていて、
観測史上最も大きいだろうといわれる地震があって、混乱があるにもかかわらず
日本人は秩序を守って、お互いを助け合って
さまざまな支援が自然に行われていることに、世界中が注目している状況にあります。

私たちが個人として、日本の中の一人として、また人類の一人として
どういうふうに立っていくのかを心に留めて、
生活をしていくことが大きな支援になることを思い、最初に少し瞑想をしていきます。

[左右ゆらし]…体を左右に、ゆっくりとゆらしながら

テレビを見ていると、何度も辛い映像が繰り返し放送されます。
でもそれは、今ではない。その場にいる人達は次のステップに移っている。

不安や心配が重なっていくと、その気持ちがより相手を不安にさせてしまう、
ということがあります。
では明るい気持ちでいたらいいのか、というとそういう訳でもない。

ただ何もない、できるだけ澄み切った心の状態に近づけていきます。

晴れ渡った、何もない感じをできるだけ作っていく、
そのことを瞑想といいます。
心に浮かんできたいろんな情景、悲しみ、不安、そうしたものを
ひとつひとつきれいにしていきます。

左右に揺れていると、感情のゆれが自然に出てきます。
出てくると、感情のとどこおりが消えていきます。
ある感情にずっととどまっている、不自然な状態から
次々に感情が動いていく、自然な状態に戻っていきます。
ただ、まかせていく。
その中で、できるだけ澄んだ感じを見つけていく。
もともと澄んでいる。

ゆっくり止まっていって、まだ体に残っている感情の波を
もう少し洗い流していきます。


[顔をなでる]…ゆっくり顔をなでるように、洗っていきます。

心の波はまず表情に出ますね。習慣化した感情の固定は、
表情を作っていく元になっています。
顔全体をゆるめて。
なでながら、いろんな動きが出てきたりしますので
自然にまかせていきます。

やわらかく、おだやかに。
元々の、ゆるんでいる感じを取り戻していきます。

私がゆるんでいく、ということは
私だけではなくて、私のまわりの人もゆるんでいく。
そうして遠く離れたどこかの人にも、
そのゆるみは、実は伝わっている。

[頭をなでる]…そのまま、頭をなでます。

[胸をなで下ろす]…手を重ねて、
息を吐きながら、ゆっくり胸の前をなでおろします。

だんだん心の落ち着いていく感じ、
そして、心の澄んでいく感じを味わっていきます。

新聞、テレビを見て知ったことであっても、
そのことで大きく心を痛めたり、
不安や心配が高まっていくことがあります。
そういう、心にひっかかるものは、体の緊張となって現れます。
繰り返しおだやかに、こうして体をなでたり
手をあてたり、していくことで
不要な緊張、ずっと続けていなくても本来かまわない、
本来は流れている、自由に動いている
そういう自然な動きを取り戻していきます。

私たちであればやさしくできますが、
渦中にいる方に同じようにやってください、というのは
なかなか難しい。
こうやって、まわりで見ている人が
心を落ち着けて、冷静に対応していく重大さ。
非常に大事な感じが、今、あります。

ひとりひとりが、
だんだん、静かな感じになっていく。

そして、日本全体が静かな感じになっていく。
そして、その静かな波が地球全体に広がっていく。

ほっと胸をなでおろす感じ。

胸に手をあてたまま、楽にゆっくり、息をします。
[首をなでる]…ゆっくり手を離して、首筋をなでます。
あごのあたりから、首の前のほうへ。

[自由に動く]…体をゆるめ、おだやかな波の中に漂います。

自然の流れにまかせて、澄んだ感じ、透き通った感じ、何もない感じ。
そこに戻っていきます。
気持ちよく。


私たちはみんな、同じ一つのいのちの流れの中にあります。
そして、それぞれの波の中に。
それは体が、こうして全体として揺れているのと同じ。
体全体が一つの波の中にあり、体の部分部分がそれぞれの波の中にまたある。

それぞれの自分の役割がある。
大きな流れの中で、どこかひとつでも欠けることができない。
本来の流れというものを思い出して、ただ無心に
澄んだ感じに戻って、おだやかに、その流れに身をまかせるように。

だんだんにゆるみが深まっていきます。
ひとつひとつ、こわばっていた感じが抜けて
もともとの自由な感じ
元々の生き生きとした感じ
元々のまっさらな感じ
元々のやわらかな感じ
元々の暖かな感じ
元々の豊かな感じ
元々の、元々のなかにもどっていきます。


[瞑想]…少しずつ揺れが小さくなって、掌をおなかのあたりに合わせていきます。
形はとくにありません。落ち着いた、安定した感じがあれば結構です。
背骨をすーっとまっすぐに、ゆるんで、すーっとぶらさがるような感じで
わずかな揺れが残っています。
視線は遠くを見て、おだやかに閉じる。

呼吸はゆっくり、自然な呼吸で。
おだやかにゆっくり、息を吐いては、また気持ちよくおだやかに息を吸い込む。

心の中は、何もない感じ。ただ、澄んだ感じだけがあります。

…改めて、自分を抱きしめていきます。
手を開いて、遠くから自分を抱えるようにして、
胸に、またはおなかに、手をあてたい場所に手を重ねます。

楽に息をしながら、体の中をゆるめていきます。
ゆったりした呼吸を感じて、体の中の自然な動きを感じて。

ゆっくり手を下ろして、ぽかん。
静かに目をあけます。

掌をこすり、顔をなでて、胸を撫で下ろす。
最初と同じことをもう一度やってみた時に、すーっと通る感じがあればいいです。

瞑想というのは、例えば
どなたかが元気になりますように、というような願いがあったとしても
そのままその願いをもってくるのではなくて、
その人と波をなんとなく合わせた中で、できるだけ真っ白にしていく
ということの繰り返しなんです。
今回も非常に大きなことですから、なかなか
真っ白にしていくのは大変な面がありますが、
繰り返しみなさんが続けてやっていただくことが、
大きな力になります。

後半は少し立って動いていきましょう。(前半 了)

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京大入試

2011


2011年の京都大学の入試問題が
試験時間中にヤフー知恵袋に投稿されました。

それを一番に見つけたのは京都大学新聞社。
私が受験した頃は
京大新聞と言えば「合格電報」がすぐ連想されますが、
今はインターネットで合格発表があるので
どうしているのかと思いきやなかなかやってくれますね。

産経ニュースによると
「京大新聞が、投稿に気付いたのは2月26日の正午過ぎ。
英語試験終了後、メディア向けの試験問題配布を受けた学生記者が、
問題文の出典をネットで調べていたところ、
問題そのものが質問サイト「ヤフー知恵袋」に投稿されているのに気付いた。
午後0時19分、ツイッターに「京大入試 試験問題流出か?」
と書き込んだところ、ネット上で話題になった。」
のだそうです。

事の善し悪しはともかく、
京大入試レベルの問題でも
質問をすればすぐに回答を返してくれる人がいるという
この事実をまず賞賛すべきように私は思います。

そして、どこそこに責任があると苦情を言うより前に、
せっかくですから、京都大学の入試問題にチャレンジしてみてもらいたいと思います。

例えば英語。
次の文章(1)(2)を英訳しなさい。

(1)「楽しいはずの海外旅行にもトラブルはつきものだ。
例えば、悪天候や自然災害によって飛行機が欠航し、
海外での滞在を延ばさなければならないことはさほど珍しいことではない。
いかなる場合でも重要なのは、冷静に状況を判断し、
当該地域についての知識や情報、さらに外国語運用能力を駆使しながら、
目の前の問題を解決しようとする態度である。」

(2)「人と話していて、音楽でも映画でも何でもいいが、
何かが好きだと打ち明けると、たいていはすぐさま、
ではいちばんのお気に入りは何か、ときかれることになる。
この問いは、真剣に答えようとすれば、かなり悩ましいものになりうる。
いやしくも映画なり音楽なりの愛好家である以上、
お気に入りの候補など相当数あるはずであり、
その中から一つをとるには、残りのすべてを捨てねばならない。」

いかがでしょうか。
これをさっと回答できる人に巡り会って
短時間のうちにお返事をもらえるって、
もし、ネットがなければ奇跡みたいなことですよね。

私たちが今手にしている豊かさ。
それは、物質や情報の量の多さではなく、
おそらく、本当に大切なものと、
直接出会うことがとても簡単になってきたことです。

例えて言えば、インターネットの環境は、その試験用モデルみたいなもの。
私はコレが知りたいと思えば、必要な情報に、さっと出会うことができます。

それと同じように、
「私が本当に求めている何かが、実は今すぐ手の届くところにある。」
もしかすると、そのことに大勢の人が一斉に気づくために、
センセーショナルな事件が必要だったのかもしれません。

「夢は叶うものです」と言うと
「そんなに簡単にか叶うなら誰も苦労しない」
とおっしゃる方もあるかもしれませんが、
簡単に叶ってしまうからこそ、
私たちは今、様々な問題に直面しているのだとも言えます。

多くの方が、本当に求めているものはどこかすごく遠く、
手の届かないところにあると思い込んでいて、
そんなものにはとうていたどり着けないと簡単にあきらめてしまいます。
そして、その代償として、
ちょっとがんばれば手が届きそうなものを是が非でも手に入れようとします。
でも、その夢は本来の夢ではなくて、すり替わってしまった夢です。
またそのすり替わった夢のために無理な努力を続けることは、
自分が苦労するだけではなく、全体に迷惑がかかることです。

無理な努力を続けていると、夢はどんどん違った方向に走り出していきます。
例えば、カンニングをしてでも大学に通りたいと思ったとすると、
「私の実力では大学に通らない」ということが
意識しない心の中に空想されてしまいます。
そして、おそらく実行してしまった後には、
「カンニングはいけないことだけれども、仕方なくやってしまった、ごめんなさい」
というような気持ちを持つのではないでしょうか。
その自分を責める気持ちも「私は罰せられる人」という連想につながり、
そのことが叶うようにものごとが進んでいったりするのです。

今回の事件で幸いだったのは、
すぐに取り調べを受けて本人が正直に語ることができたことです。
もし、これが明るみに出ないで合格していたとすると、
そのあとにはより大きな苦しみが待ち構えていたはずです。
場合によると、その自分を罰しようとして苦しみを求める夢が
何人もの人を巻き添えにしてふくらんでしまうこともあるわけです。

ですから、ひとまずは、この事件を知った大部分の人が、
「だれかさんが携帯でカンニングしたのね」とわかった時点で、
どこかであーよかった。と思っているのです。

はじめは私も組織的犯罪の可能性を疑っていました。
京大の入試問題を解きながらネットに投稿できる余裕なんてあるはずがないと。
それが、一人の浪人生の単純なカンニング行為だとわかったことで、
どこかほっとするところがありましたし、
大ニュースになり全国の人々が注目する中でごく簡単に発見されたことにも、
どこかほっとするところがありましたし、
取り調べが進む中でひとりの青年の心の葛藤が浮かび上がってきたことにも、
どこかほっとするところがありましたし、
きちんと警察の取り調べを受けたことで、
過った行いに起因する苦しみ、いわゆる業のようなものが
多少なりとも浄化されているだろうことに、
ほっと胸をなでおろすような感じがするのです。

彼が成し遂げた快挙は、
その全国民的な「あーよかったな」感を醸し出したことで、
それは、そうとうに純真な心の持ち主でなければ、
なかなかできるものではありません。

私たちが、意識するとしないとに関わらず、
「京大の入試問題、ネットの掲示板で!」みたいなことは
日本中のほとんどの人の無意識にインプットされることになりました。
京都大学やインターネットはこれからも注目の的です。
そして、なんとなく自分が過って行ってきた
過去の行為に対するちょっとした「ゆるし」みたいなものが
日本中に行き渡ってくれたかなと思っています。
そのことが、これからどんな働きとなって
表に現れてくるのかがとても楽しみな今日このごろです。

夢のことは、『気功の学校 自然な体がよみがえる』(ちくま新書)に詳しく書いているので、
ご一読ください。

写真は、入試当日に京大構内にに出現した「折田先生像」です。
京大と言えば「自由の学風」。その学風を築いたのが折田先生です。
折田先生については折田先生を讃える会をご覧ください。


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