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京大入試

2011


2011年の京都大学の入試問題が
試験時間中にヤフー知恵袋に投稿されました。

それを一番に見つけたのは京都大学新聞社。
私が受験した頃は
京大新聞と言えば「合格電報」がすぐ連想されますが、
今はインターネットで合格発表があるので
どうしているのかと思いきやなかなかやってくれますね。

産経ニュースによると
「京大新聞が、投稿に気付いたのは2月26日の正午過ぎ。
英語試験終了後、メディア向けの試験問題配布を受けた学生記者が、
問題文の出典をネットで調べていたところ、
問題そのものが質問サイト「ヤフー知恵袋」に投稿されているのに気付いた。
午後0時19分、ツイッターに「京大入試 試験問題流出か?」
と書き込んだところ、ネット上で話題になった。」
のだそうです。

事の善し悪しはともかく、
京大入試レベルの問題でも
質問をすればすぐに回答を返してくれる人がいるという
この事実をまず賞賛すべきように私は思います。

そして、どこそこに責任があると苦情を言うより前に、
せっかくですから、京都大学の入試問題にチャレンジしてみてもらいたいと思います。

例えば英語。
次の文章(1)(2)を英訳しなさい。

(1)「楽しいはずの海外旅行にもトラブルはつきものだ。
例えば、悪天候や自然災害によって飛行機が欠航し、
海外での滞在を延ばさなければならないことはさほど珍しいことではない。
いかなる場合でも重要なのは、冷静に状況を判断し、
当該地域についての知識や情報、さらに外国語運用能力を駆使しながら、
目の前の問題を解決しようとする態度である。」

(2)「人と話していて、音楽でも映画でも何でもいいが、
何かが好きだと打ち明けると、たいていはすぐさま、
ではいちばんのお気に入りは何か、ときかれることになる。
この問いは、真剣に答えようとすれば、かなり悩ましいものになりうる。
いやしくも映画なり音楽なりの愛好家である以上、
お気に入りの候補など相当数あるはずであり、
その中から一つをとるには、残りのすべてを捨てねばならない。」

いかがでしょうか。
これをさっと回答できる人に巡り会って
短時間のうちにお返事をもらえるって、
もし、ネットがなければ奇跡みたいなことですよね。

私たちが今手にしている豊かさ。
それは、物質や情報の量の多さではなく、
おそらく、本当に大切なものと、
直接出会うことがとても簡単になってきたことです。

例えて言えば、インターネットの環境は、その試験用モデルみたいなもの。
私はコレが知りたいと思えば、必要な情報に、さっと出会うことができます。

それと同じように、
「私が本当に求めている何かが、実は今すぐ手の届くところにある。」
もしかすると、そのことに大勢の人が一斉に気づくために、
センセーショナルな事件が必要だったのかもしれません。

「夢は叶うものです」と言うと
「そんなに簡単にか叶うなら誰も苦労しない」
とおっしゃる方もあるかもしれませんが、
簡単に叶ってしまうからこそ、
私たちは今、様々な問題に直面しているのだとも言えます。

多くの方が、本当に求めているものはどこかすごく遠く、
手の届かないところにあると思い込んでいて、
そんなものにはとうていたどり着けないと簡単にあきらめてしまいます。
そして、その代償として、
ちょっとがんばれば手が届きそうなものを是が非でも手に入れようとします。
でも、その夢は本来の夢ではなくて、すり替わってしまった夢です。
またそのすり替わった夢のために無理な努力を続けることは、
自分が苦労するだけではなく、全体に迷惑がかかることです。

無理な努力を続けていると、夢はどんどん違った方向に走り出していきます。
例えば、カンニングをしてでも大学に通りたいと思ったとすると、
「私の実力では大学に通らない」ということが
意識しない心の中に空想されてしまいます。
そして、おそらく実行してしまった後には、
「カンニングはいけないことだけれども、仕方なくやってしまった、ごめんなさい」
というような気持ちを持つのではないでしょうか。
その自分を責める気持ちも「私は罰せられる人」という連想につながり、
そのことが叶うようにものごとが進んでいったりするのです。

今回の事件で幸いだったのは、
すぐに取り調べを受けて本人が正直に語ることができたことです。
もし、これが明るみに出ないで合格していたとすると、
そのあとにはより大きな苦しみが待ち構えていたはずです。
場合によると、その自分を罰しようとして苦しみを求める夢が
何人もの人を巻き添えにしてふくらんでしまうこともあるわけです。

ですから、ひとまずは、この事件を知った大部分の人が、
「だれかさんが携帯でカンニングしたのね」とわかった時点で、
どこかであーよかった。と思っているのです。

はじめは私も組織的犯罪の可能性を疑っていました。
京大の入試問題を解きながらネットに投稿できる余裕なんてあるはずがないと。
それが、一人の浪人生の単純なカンニング行為だとわかったことで、
どこかほっとするところがありましたし、
大ニュースになり全国の人々が注目する中でごく簡単に発見されたことにも、
どこかほっとするところがありましたし、
取り調べが進む中でひとりの青年の心の葛藤が浮かび上がってきたことにも、
どこかほっとするところがありましたし、
きちんと警察の取り調べを受けたことで、
過った行いに起因する苦しみ、いわゆる業のようなものが
多少なりとも浄化されているだろうことに、
ほっと胸をなでおろすような感じがするのです。

彼が成し遂げた快挙は、
その全国民的な「あーよかったな」感を醸し出したことで、
それは、そうとうに純真な心の持ち主でなければ、
なかなかできるものではありません。

私たちが、意識するとしないとに関わらず、
「京大の入試問題、ネットの掲示板で!」みたいなことは
日本中のほとんどの人の無意識にインプットされることになりました。
京都大学やインターネットはこれからも注目の的です。
そして、なんとなく自分が過って行ってきた
過去の行為に対するちょっとした「ゆるし」みたいなものが
日本中に行き渡ってくれたかなと思っています。
そのことが、これからどんな働きとなって
表に現れてくるのかがとても楽しみな今日このごろです。

夢のことは、『気功の学校 自然な体がよみがえる』(ちくま新書)に詳しく書いているので、
ご一読ください。

写真は、入試当日に京大構内にに出現した「折田先生像」です。
京大と言えば「自由の学風」。その学風を築いたのが折田先生です。
折田先生については折田先生を讃える会をご覧ください。


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