LOHAS ロハス ?

気功生活の投稿記事の中に「ロハス」と書いてある。
これは何だろう?と思ったのが、私とロハスの出会いです。

LOHAS(ロハス)とは、
Lifestyles Of Health And Sustainabilityの頭文字をとったもの。

「健康を重視し、持続可能な社会生活を心がけるライフスタイル」のことで、米国の社会学者ポール・レイ氏と心理学者シェリー・アンダーソン氏が提唱しているそうです。

病人も増え、環境も悪化し、このまま行ったらどこかで限界が来るという意識の広がりから出てきた新語が、大きく受け入れられつつあることはまず歓迎すべきことでしょう。

その上で、こうした動きが単なる一時のブームに終らないための工夫を、それぞれの持ち場で一人一人が行なっていくことがとても大切なことです。

どのようにすれば健康ということが実現できるのか。
また、どのようにすれば持続可能な社会を実現できるのか。

実を言うと、
ちょうど今執筆している本の内容が
まさにその答えを書いています。

前著『からだの自然が目を覚ます 気功入門』(春秋社)の中でも少しそのことに触れていますが、簡単に言ってしまうと、「自然の原理にそった生活をする」ということです。
その具体的な自然の原理のことを説明し出すと少し長くなりますので、詳細は本が仕上がるのを楽しみにしていてください。

でも、とても単純なことです。
そして、それらは気功や自然健康法の中の核心でもあります。

私たち気功協会が目指しているのは、
誰もが、とても簡単に、自分の力で健康になり、
また、より豊かで幸福な生活を実現していくということです。

このことは、自然の流れにまかせ、
ちょうど良いタイミングに
まとまったコンセプトとしてお伝えしたいと思います。

もうしばらくお待ちください。

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2003.11.8 日常生活の中の慈悲  

(2003エッセイより移転)

dalailama
 11月5日、奈良県文化会館・国際ホールで「日常生活の中の慈悲」というタイトルの講演を聞きました。講演者はダライ・ラマ法王14世・テンジン・ギャツォさん。法王さんは今回、伊勢そして奈良を初めて訪れ、奈良では興福寺、東大寺にお参りされ、その夜講演会がありました。

やわらかく暖かな空気
 講演中終始感じたのは、力強い言葉の響きとは対照的に、法王さんからふんわりひろがってくるような柔らかく暖かな空気でした。英語からの通 訳でしたが、通訳の間は、体を少しゆらしたり、会場のあちこちを見渡しては、微笑んだり、手で合図したりしてとても楽しそうな様子でした。子どものような純真な感じでいて、なおかつものごとを深くよく考え、慈愛に満ちていることが直接的に伝わって来ます。そんな仕種を見ていると、こちらもやわらかくゆるんできて、思わず微笑みが溢れます。
 こんなふうに「直接伝わっていく感じ 」というのは、私たちがいろんな人と出会う時に心得たいものの一つ、そして気功を通 じて伝えたいことでもあります。法王さんにお会いすることができて、そのことをはっきりと再認識しました。


仏教が仏教を超え、宗教が宗教を超えた日
 講演のテーマは、仏教からも、そして宗教からも離れ、「私たちが人間として幸福に過ごすためには何が必要か」ということでした。その内容からすると、「慈悲」と訳した日本語訳だと、仏教的な感じが残っているので、英語のまま「compassion in daily life」の方が意図がよく伝わるかもしれません。特別な難しいことではなく、日常的にある、共感、思いやり、いたわり、あるいは愛情といった、自分にも他人にも暖かみを与えるような心のあり方のことですね。
 「ひとりひとりの心に平安がおとずれる一番簡単な瞑想を紹介してください」との質問に、どんな答えがあったと思いますか。「私の体験からお話すると、分析的な瞑想をするのがよいと思います。心を一点に集中し、お祈りや祈願をしてただけでは、一時的に心が静まっても、また同じ状態になった時にはまた同じ怒りの感情がでてきてしまいます。怒りがどのような悪い影響を与え、いかに無益なものであるかということを分析し、そのことをしっかりと理解すれば、次に怒りの感情がわいてくるような状況にあっても、怒りの感情に対処できるでしよう」と、普段私たちがなかなか気付かずにいる、本当に当たり前の事をさらりと説明してくれました。

 そうした、心の問題を解決し、心をより良い状態に変えていくためにこそ、仏教が生まれ、様々な修行法が生まれて来たという原点に今やっと立ち返ったように思います。
  仏教が生まれてから2500年。物質的環境はずいぶん変わりましたが、人間の心は変わりません。心の悩み、心の葛藤は変わらず存在していて、だれもが幸福を求めています。この心の悩みを解決する具体的な手法の一つが「日常生活の中での慈悲」の実践、つまり、自分の心の働きの一つ一つを冷静に観察し、分析していく中から、よりよき心のありように日々なじんでいくことだと、法王さんはみなさんにお伝えしたかったのではないでしょうか。

この時の公演記録は
『ダライ・ラマ慈悲の力』(春秋社)
として出版されています。

1300年の時を経て
 日本に仏教が初めて伝わり栄えた奈良の地、当時の為政者たちは、人々の幸福と心の平安とを心底求め、とてつもない大きさの大仏さんを鋳造したのでしょう。正倉院展で光明皇后さんの願文入りの写 経を見て、強く心に響いてくるものがありました。

 私たちが本当に幸福に生きるために必要なのは、自分の心を自分で好ましいようにコントロールできる方法を学び、整理研究し、誰もができるように簡単にし、広めていくことではないかと思います。そのために、当時大仏鋳造に費やしただけの情熱とエネルギーを注ぎ込めば、人と人とが無用な争いに明け暮れることもなく、世界の大半の人々の精神的な幸福は比較的容易く実現してしまうのではないかと思います。

 気功をしていくことは、自分の心身をより好ましいと思う方向へ変えていくこと。
 気功を伝えていくことは、自分の心身ををより良く変える方法を伝えていくこと。

 「心身の自然の原理」を学び伝えていくこと。それが私たちの大きなミッションです。

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2003.1.1 気功的経済

(2003年エッセイより移転)

 大晦日に最後の発送作業を終えて仕事を納め、つきたてのやわらかいお餅を御供えし、伊勢のおかげ横町で仕入れた注連縄を玄関にかけました。注連縄には「笑門」と書かれています。2003年が、みなさんにとって幸多く、笑いの絶えない年になりますようにお祈り申し上げます。


日本一明るい
 朝日新聞の新年1日版に「?日本一?明るい経済新聞」の記事がありました。新聞を読むと、暗く重たい記事ばかりでうんざりすることがしばしばですが、明るい面 に常に光をあて続ける経済新聞は大阪を中心に3万部を発行。編集長、記者、営業を一人でこなす父を見て、娘さんが自発的に手伝いだす様子に、仕事の原点のようなものを感じました。

 自分が他の人達に対して、どれだけ有意義なことをしていけるのか、という、そのことが中心になって仕事をしている人達の話を聞くと、本当に胸がスーッとして、清々しい感じがします。その対極に位 置するのが、お金を儲けることが中心になって仕事をしている人達。大富豪がそうかと思われがちですが、実のところは金額の問題ではないと思うんです。お金がたくさんある人も、少しの人も、お金を中心に考えて動いている場合と、本来の仕事の心を中心に動いている場合の両方があり得ます。お金にばかり心がとらわれだすと本来の仕事ができなくなってしまう。かといって、お金のことを棚にあげてしまって本来の仕事のことだけ考えていると、お金が回らなくなって、仕事が続かなくなる。この矛盾をどう断ち切り、新しい経済生活を創るか?その答えに非常に近いところにNPOがあると思います。
  社会奉仕として志す活動を、非営利で、しかも自力で運営し続けていくのがNPO法人。お金のために働くとか、労働の対価を得るという考え以前に、まずみんなのためにこの仕事をやっていきたいというモチベーションがあって仕事をしていくのが、NPOで働くということの第1義。本当に有意義なことをやりたいようにやるという自由度こそがNPO法人に与えられた最大のメリットです。ただ、言われた仕事だけをするのではなくて、何をどのようにしていくのかという主体的判断ができる人材がそこに求められます。そして、その自ら工夫し新しい何かを生み出していく力こそが、運営の活力になり、確かな次の事業に向けて経済的にも安定した土壌を生み出すことでしょう。

お金という便利な道具
 お金は本来はとても便利なお道具です。効率良く役割分担をして仕事をし、お互いに足りないものをあるていど公平なレベルで自由に補い合うことができます。しかし、お金はその便利さから一人歩きをはじめ、お金さえあればなんでもでき、幸せになれるかのような幻想を生み出してきましたが、みなさんご承知のように、お金があることで不幸な人達もたくさんいます。
 問題は、お金そのものではなく、お金に対する執着心です。執着心をなくすということは、一般 にはとても難しいことと考えられがちですが、私たちはみな執着心のない子ども時代を過ごしてきているのです。だから、そこに戻るための方法さえあれば、執着がまったく無くなることはないにしても、あまり執着しなくなることは確かです。
 気功が本来目指している自然の状態というのは、まさしくそうした執着のない、子どものような純真無垢な状態です。そこに立ち戻った上で、理知的判断力を持って便利なものは活用し、正しく運用していくことが必要です。気功という自然回帰の基本技術をそうした役にぜひ用いていきたい。もっと根源的には、子どもに戻るという以前に、子どもの純真な心と感受性をそのままに育んでいけるような社会と教育の環境を整えていきたいのです。
 気功ということを学びながら新しい執着を作ってしまう場合も多々あるので、そこのところはいつも気を引き締めて、しかし、子どものような自由闊達な心と、こぼれるような笑顔をいつも忘れずに活動していきたいと思います。

気功的経済
 道具というものは、使う人あってのものです。道具に使われるのではなく、道具は道具として目的のために便利に使いこなす。そこに、良い仕事と、物心両面 の潤いが生まれることでしょう。私たちが活動で得る様々なお金は、全て一時的な預かりものであるというように、常々感じています。また、お預かりするお金を正しく生かすことによってのみ、お預け頂いた方々への本当の返礼となり、 またそうした活動こそが真の経済活動となるのではないかと思うのです。こうした、執着のない本来の経済活動のことを仮に気功的経済と呼び、その実現に向けて着実に歩みを進めていきたいと思います。

 

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2002.9.11 争いのない生活

(2002年エッセイから移転)

争いのない生活というのは可能だろうか?
 人とは争いたくないと思いながらも、日々小さな争いが生活の中にたえないのはいったいなぜでしょうか。その小さなことが解決できれば、世界全体の平和はきっと実現するにちがいありません。

 平和問題というのは遠い世界のことでも、だれか偉い人が決めることでも、また、なんの努力もなしに突然訪れるものでもないでしょう。
 自分の生活の中に潜んでいる争いの原因を取り除くことに、もっと智慧を出し合わなければなりません。そしてその生活ということを中心において、日々を充実させていく必要があります。

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 大正10年7月、春秋社から出版されベストセラーとなった「懺悔の生活」という本があります。著者はまさしく「争いのない生活」を真剣に考え、その生活を実践し、またその生活により、多くの人を感化してきたその人、西田天香さんです。人々は親しみをこめて天香さんと呼びますが、その天香さんの生活は、まぎれもない一つの事実として、争い事のたえない現代社会に一条の光を与えてくれるものだと思うのです。

 その生活の一つ一つについては別にゆずるとして、ここでは、その最初の転機と最終的にたどりついた結論だけを手短に紹介したいと思います。

 1904年、天香さん32才の時に転機は訪れます。きっかけはふと聞こえてきた赤ん坊の泣き声でした。自分が食べることで争いの原因になるなら何も食べないと決意して断食を続ける中に、赤ちゃんの泣き声がして、しばらくして泣き止む。乳を与える母と飲む子の間に、自然の、争いのない関係を悟り、自分もそのように生きようと決意し即、実行しだしたのです。

 その生活のために働かない生活は一燈園生活として現代にも生きています。私もたまたま縁あって、子どもを一燈園の小学校に預けることになり、父兄としてその一端を伺うことができたのです。縁というものは本当に不思議なものです。

 「無一物中無尽蔵」。全てを捨ててしまえば、自由自在、全てが自分のもの、尽きることはない。とは、天香さんの生活を端的に示している言葉です。天香さんの書は、その後に「有花有月有楼台」と続きます。ただ自然の造型と美と楽しみがあると歌っているのでしょうか。
 一燈園の学校では、冥想の時間はあっても何か特別なものを拝むということがありません。 作られた偶像は無く、正面の丸窓の向こうに、ただ自然があります。

 自然というと、木や草花、山や川などを思い浮かべますが、ここでいう自然とは、そうした自然もそうですが、全てを成り立たせている、今自分がここに生きているというその自然の摂理。そのことを学んでほしいというのですから、一燈園の学校は本当に恵まれた学びの場です。

 「自然にかなった生活をすれば、人は争い合わなくても、また働きを金に変えなくても許されて生かされる」と天香さんは言っています。

 これは理想論でしょうか。少なくともその生活を実践し、幸せにくらした人々があります。それは特別な例でしょうか。私の肌でふれた感触としては、本当に普通の暮らしです。自然の空気が流れ、人がそのままの自分でいられる場所。一燈園というところはそんな感じがします。

 ここに一つのヒントがあります。人間一人一人が本当に生き生きと暮らせるための理想的な社会のモデルがあるように思うのです。

 一燈園と出会った時、「新生」という天香さんの書が、とても印象的でした。乗り越えるべき何かを感じると同時に、新しく生まれ出る生命の躍動感があり、またとても普通などこにでもあるもののように、ただ自然にそこにあるような感じがしました。

 赤ちゃんに戻る、生命の原点にもどる、何もないスタート、自然なままの執着のない状態を実は誰もが一度は経験しているのです。そこに戻れさえすれば、自然にかなった争いのない生活は実現するでしょう。

 そのヒントから私たちのできることを少しずつでも形にしていかなくてはなりません。私たちが目指す理想の社会は、一人一人がありのままの自分でいられて、全てが自然に調和している社会。そのために、心や体の自然のことを学んでいるようにも思うのです。

 「自然感覚の復興」が私たち気功協会の目的です。

(2002年エッセイから移転)

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健康の学校

3651/28-29に
「健康の学校」が開講されます。

健康が大切なことは誰もが認めます。
しかし、どのように健康を保ち、
病気になったときにどのように対応すれば良いか
という具体的な方法、
そして、そもそも健康とは何かという基本的な部分に関しては、
本当に知っておくべきことがまだまだ知られていません。

私たちは、健康の大切さを語る時に、
健康観の大切さを同時に説いています。

心身本来の働きが十全に働いていることを健康と見て良いのですが、
例えば、悪いものを食べて吐き出すのは、
胃袋の働きが十全に行われているということですから、
健康の証となります。
吐き出せなかった場合には、腸の働きが十全であれば下痢をします。
下痢も出来なかった場合には、皮膚の働きが十全であれば、
発疹が出たり、汗から毒を出したりします。
こうして考えていくと、病気というもののほとんどは、
全て体の自然の働き、それも今の全力を挙げて精いっぱい頑張っている働きだ
ということが分かっていきます。

そうして、健康というものの観方、健康観が変わっていくだけで、
健康な人はぐんと増えてしまいます。
「健康の学校」の第一の目的は、その健康観の快革です。
病気の働きを知ることで、病気を活用してより元気になることができるのですから、
ぜひみなさんに知って頂きたいのです。

では、実際に病気になったら何をしたら良いのか?
その回答は、全力を挙げて頑張っている体の働きを助けてあげれば良いということになります。
様々な症状や原因になっている心身のこわばりに応じて、
具体的に自分でできる簡単なことがたくさんあります。

病気になる原因はたいてい自分自身にあるので、
自分で自分の症状を改善していこうとする心はとても大切です。
自分から改善しようと思えば、
病気の元になっていた生活習慣なども自然に正されてしまうのですが、
誰かに治してもらうつもりでいると、
自分の不摂生や運動不足などはついそのままにして、
また悪くなったら治してもらいにいくというサイクルを不断に続けやすいのです。

だから、まず自分で何が出来るかという意識が大切なのです。
毎日一時も離れることがないのですから、
自分の体は自分自身が一番良く知っています。
ただし、自分でできるためには簡単である必要があります。

そこで、簡単な方法で、体の働きを高める方法を
ピックアップしてまとめておくと良いのです。
それも、症状に応じて、体のある部分の働きを高める方法を知る。
胃が働いている時(例えばお腹が痛い時)は胃袋の応援をし、
肺が働いている時(例えば咳が出る時)は肺の応援をすれば良いのです。

例えば、胃袋の調子が悪い時は、
膝から下を温めるとすぐ楽になります。
膝から下は消化器系の働きを高める重要ポイントなのです。
すると、そのことを知っているだけで、消化器系の病気にはほとんど困らなくなります。
お腹が痛くなったら「脚でも温めようか」ということだけで簡単に治ってしまう。
そうして、体の働きを高めることで治ることを繰り返していると、
その症状を繰り返すことを通じて、体はどんどん丈夫になっていきます。
そしてあまり繰り返さなくなります。

症状を抑えるだけだと、
その症状が無くなったとしても、別の病気に変化しやすいのです。
例えば、皮膚病を抑えると呼吸器の病気になりやすいことなどはよく知られています。

根本的な解決方法は、
ただ、体のある部分の働きを、
その時の状況に応じて助けてあげることなのです。
毒があるなら、その毒を排泄していく体の働きを助ける。
病原菌がいるなら、その病原菌をやっつける体の働きを助ける。
そうして、体の働きそのものを助けるようにしていくと、だんだん丈夫に、
そして病気にも冒されにくくなっていくのです。

長谷川淨潤さんの「東洋医学セルフケア365日」という本には、
だれもが簡単に実践でき、
日々活用していくことで、健康度をどんどん高めていく方法がまとめられています。
それも、いろんな症状に応じて、まとめらているのでとても参考になります。

「健康の学校」では、
この冬から春に重要な季節の健康法や実際のQ&Aも含めて、
実践的な部分をまとめて紹介して頂きます。

みなさんお楽しみに。

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ほたる

家の裏の土手のあたりに、
今年も蛍が舞いはじめました。

一昨日、総会が終わって家に帰ると、玄関先で、
チーカ、チーカと光りながら飛んでいるのを見たのが初蛍。
昨日の夕立で、土手がゆるんだようで、
今日も5、6匹見かけました。

家の裏手の他に、近所には2ヶ所ほど蛍スポットがあるので、
雨の降った後の夜はこれから楽しみです。

今も、窓を開けて外を見ると、
チーカ、チーカと飛んでいます。

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ぬかどこ

この連休を使って、ぬか床を仕込んだ。

話は、去年の11月30日にさかのぼる。
この日、わが家に精米機が届いた。

つきたてのお米を、「かまどさん」という陶器の炊飯釜で炊くと、
美味しいお米が、またいちだんと美味い。

そして、だんだんにたまってくるのが米ぬか。
毎回ためてきた、美味しい無農薬米の米ぬかが、
ちょうど2Kgほどになり、漬物用の瓶もちょうど一つ空になっていた。

まず、いりぬかを作る。
中華鍋に適度な量のぬかを入れ、焦げないように弱火で炒る。
ぬかの香ばしい香りがしてきて、少し色が変わったら、
大きなホーローのボウルにとって冷ます。

炒りぬかに、昆布と唐辛子を適量混ぜ、
ふやかしたパンを混ぜた塩水を加えながら味噌ぐらいの固さにこねる。
パンを加えると発酵が早くなるとのこと。

糠床の作り方の詳細は久松のホームページを参照。
ここで、漬物用の瓶も買えます。
http://www.kyumatsu.co.jp/Files/a/a1foodset.html

地場生協のお店自然館で安心なくず野菜を安く仕入れて、
1週間ほど、すて漬けをする。

途中、京都錦市場の老舗の漬物屋打田で、糠床を少しだけ余分につけてもらい、
仕込み中の糠床に混ぜた。

途中、4日目ぐらいから、ぬか漬けの良い匂いがしだし、
仕込み始めからほぼ10日の今日、
食卓にぬか漬けが並んだ。

少々塩気が強いが、うま味は◎。
美味しい漬物生活がはじまる。

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