京大入試

2011


2011年の京都大学の入試問題が
試験時間中にヤフー知恵袋に投稿されました。

それを一番に見つけたのは京都大学新聞社。
私が受験した頃は
京大新聞と言えば「合格電報」がすぐ連想されますが、
今はインターネットで合格発表があるので
どうしているのかと思いきやなかなかやってくれますね。

産経ニュースによると
「京大新聞が、投稿に気付いたのは2月26日の正午過ぎ。
英語試験終了後、メディア向けの試験問題配布を受けた学生記者が、
問題文の出典をネットで調べていたところ、
問題そのものが質問サイト「ヤフー知恵袋」に投稿されているのに気付いた。
午後0時19分、ツイッターに「京大入試 試験問題流出か?」
と書き込んだところ、ネット上で話題になった。」
のだそうです。

事の善し悪しはともかく、
京大入試レベルの問題でも
質問をすればすぐに回答を返してくれる人がいるという
この事実をまず賞賛すべきように私は思います。

そして、どこそこに責任があると苦情を言うより前に、
せっかくですから、京都大学の入試問題にチャレンジしてみてもらいたいと思います。

例えば英語。
次の文章(1)(2)を英訳しなさい。

(1)「楽しいはずの海外旅行にもトラブルはつきものだ。
例えば、悪天候や自然災害によって飛行機が欠航し、
海外での滞在を延ばさなければならないことはさほど珍しいことではない。
いかなる場合でも重要なのは、冷静に状況を判断し、
当該地域についての知識や情報、さらに外国語運用能力を駆使しながら、
目の前の問題を解決しようとする態度である。」

(2)「人と話していて、音楽でも映画でも何でもいいが、
何かが好きだと打ち明けると、たいていはすぐさま、
ではいちばんのお気に入りは何か、ときかれることになる。
この問いは、真剣に答えようとすれば、かなり悩ましいものになりうる。
いやしくも映画なり音楽なりの愛好家である以上、
お気に入りの候補など相当数あるはずであり、
その中から一つをとるには、残りのすべてを捨てねばならない。」

いかがでしょうか。
これをさっと回答できる人に巡り会って
短時間のうちにお返事をもらえるって、
もし、ネットがなければ奇跡みたいなことですよね。

私たちが今手にしている豊かさ。
それは、物質や情報の量の多さではなく、
おそらく、本当に大切なものと、
直接出会うことがとても簡単になってきたことです。

例えて言えば、インターネットの環境は、その試験用モデルみたいなもの。
私はコレが知りたいと思えば、必要な情報に、さっと出会うことができます。

それと同じように、
「私が本当に求めている何かが、実は今すぐ手の届くところにある。」
もしかすると、そのことに大勢の人が一斉に気づくために、
センセーショナルな事件が必要だったのかもしれません。

「夢は叶うものです」と言うと
「そんなに簡単にか叶うなら誰も苦労しない」
とおっしゃる方もあるかもしれませんが、
簡単に叶ってしまうからこそ、
私たちは今、様々な問題に直面しているのだとも言えます。

多くの方が、本当に求めているものはどこかすごく遠く、
手の届かないところにあると思い込んでいて、
そんなものにはとうていたどり着けないと簡単にあきらめてしまいます。
そして、その代償として、
ちょっとがんばれば手が届きそうなものを是が非でも手に入れようとします。
でも、その夢は本来の夢ではなくて、すり替わってしまった夢です。
またそのすり替わった夢のために無理な努力を続けることは、
自分が苦労するだけではなく、全体に迷惑がかかることです。

無理な努力を続けていると、夢はどんどん違った方向に走り出していきます。
例えば、カンニングをしてでも大学に通りたいと思ったとすると、
「私の実力では大学に通らない」ということが
意識しない心の中に空想されてしまいます。
そして、おそらく実行してしまった後には、
「カンニングはいけないことだけれども、仕方なくやってしまった、ごめんなさい」
というような気持ちを持つのではないでしょうか。
その自分を責める気持ちも「私は罰せられる人」という連想につながり、
そのことが叶うようにものごとが進んでいったりするのです。

今回の事件で幸いだったのは、
すぐに取り調べを受けて本人が正直に語ることができたことです。
もし、これが明るみに出ないで合格していたとすると、
そのあとにはより大きな苦しみが待ち構えていたはずです。
場合によると、その自分を罰しようとして苦しみを求める夢が
何人もの人を巻き添えにしてふくらんでしまうこともあるわけです。

ですから、ひとまずは、この事件を知った大部分の人が、
「だれかさんが携帯でカンニングしたのね」とわかった時点で、
どこかであーよかった。と思っているのです。

はじめは私も組織的犯罪の可能性を疑っていました。
京大の入試問題を解きながらネットに投稿できる余裕なんてあるはずがないと。
それが、一人の浪人生の単純なカンニング行為だとわかったことで、
どこかほっとするところがありましたし、
大ニュースになり全国の人々が注目する中でごく簡単に発見されたことにも、
どこかほっとするところがありましたし、
取り調べが進む中でひとりの青年の心の葛藤が浮かび上がってきたことにも、
どこかほっとするところがありましたし、
きちんと警察の取り調べを受けたことで、
過った行いに起因する苦しみ、いわゆる業のようなものが
多少なりとも浄化されているだろうことに、
ほっと胸をなでおろすような感じがするのです。

彼が成し遂げた快挙は、
その全国民的な「あーよかったな」感を醸し出したことで、
それは、そうとうに純真な心の持ち主でなければ、
なかなかできるものではありません。

私たちが、意識するとしないとに関わらず、
「京大の入試問題、ネットの掲示板で!」みたいなことは
日本中のほとんどの人の無意識にインプットされることになりました。
京都大学やインターネットはこれからも注目の的です。
そして、なんとなく自分が過って行ってきた
過去の行為に対するちょっとした「ゆるし」みたいなものが
日本中に行き渡ってくれたかなと思っています。
そのことが、これからどんな働きとなって
表に現れてくるのかがとても楽しみな今日このごろです。

夢のことは、『気功の学校 自然な体がよみがえる』(ちくま新書)に詳しく書いているので、
ご一読ください。

写真は、入試当日に京大構内にに出現した「折田先生像」です。
京大と言えば「自由の学風」。その学風を築いたのが折田先生です。
折田先生については折田先生を讃える会をご覧ください。


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今日から、京都府のNPO法人に

Kyotohucyo

大阪府から京都府への所轄庁の変更を伴う
2009年7月15日に申請した定款変更が
本日10月15日付けで京都府知事より正式に認証されました。

実際には7/22に大阪府高槻市から京都北白川に事務所の引越をしていますが、
本日より、晴れて京都府認証のNPO法人として
京都での活動が正式に始まったことになります。

上の写真は今日初めて訪れた京都府庁。
正面に見える洋風の建物が重要文化財でもある旧本館。
明治37年の竣工、現役の官公庁建物として日本最古のものだそうで、
府民力推進課NPOパートナーシップセンターもこのレトロな建物の一階にあります。
Npocenter

建物の中は、天井が高くとても落ち着いた雰囲気。
旧知事室が公開されていて、窓から比叡山や大文字が見えるようになっていました。
空間が広々としているせいか、時間の流れに余裕が感じられます。

「訂正があるので、法人印を持参して来庁してください」というお電話をいただいて
日程を調整して伺った今日がちょうど申請から三ヶ月の認証日!!!
その場で認証書類を手渡していただく事ができました。

帰り道、
出町ふたばで
できたてほやほやの豆餅と栗赤飯を買って帰りました。

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新型インフルエンザをどう活用するか

新型インフルエンザが流行しているらしい。

新型だから免疫を持っている人が少ないという理由で、
弱毒性と確認されていながら、厳重な感染拡大防止策が取られている。

ここ高槻でも、保育所、幼稚園、小中学校が休校、
高齢者介護施設、障害者通所施設が休所、
図書館、公民館他社会教育施設が休館、
市の主催行事が全て中止、
という通達が5/19に出ている。

大きな薬局ではマスクが品切れ。
マスクと手洗いの励行以外に
生命力を高め、免疫力を活性化させるような
対応を考えてもよいように思う。

さらには、
呼吸器を丈夫にするのに適した今の時期に、
インフルエンザにかかることで、
体質改善を図るという積極的活用法まで考えておくと、
インフルエンザを過剰に恐れる必要はなくなるのではないか。

WHOによると
メキシコで発生した今回の新型インフルエンザ(H1N1)の
死亡率は0.4%と推定されている。
死亡例に多く見られるのは、
他の病気治療等をしていて
免疫力が落ちている例が多いと聞く。
また、日本で感染した症例では
特に重い症例が多数報告されている訳ではない。


そこで、冷静に現状を見据え、
体の力をつけていくために、
誰でもすぐにできることを提案しておこう。


■ 眠りを深くする ■

充分な休養ということがよく言われる。
ところが、体力が落ちている場合に、
ただ休んでいるだけでは、体の活力を呼び覚ますには不十分で、
効率的に休み、体力をつけていく工夫が必要だ。
オススメは、後頭部を温めたり、手をあてたりすること。
後頭部は生命力の源のようなところで、
呼吸、脈、眠りなどの生命維持に関係する中枢になっている。
その生命力のセンターのようなところを
活性化させるのにいちばん簡単な方法を紹介しておく。

手のひらを枕のようにして後頭部にあてて休む。
そして全身の力をできるだけ抜いて、
呼吸を楽にする。

手のひらの暖かさが後頭部に伝わってきて、
体の奥の方がゆるんでいく感じになるので、
そのまま楽な姿勢でしばらく休むといい。
もちろん眠ってしまってもかまわない。

ただ、じっとしているのと違って、
短時間で体が元気になったような感じがしてくるのは、
後頭部の生命維持機能が活性化した証拠。

こうした効率期な休み方を身につけると、
深く眠れるようになって、お目覚めもスッキリ!
眠りが深くなると体力も免疫力も自然についていく。

マスクもいいけど、
後頭部にてあてをして休むこと。
この積極的な方法を活用してもらうことで、
予防と同時に体の元気も高めることができて
一挙両得。
せっかくなので、ぜひ試してみてもらいたい。

■ 病を活用する ■

そうして、体の抵抗力が養われていると、
病気にかかっても、たいした不安もなく、冷静に対応ができる。
そして、病気にかかることを積極的に活用できるようになる。

私たち人間は、ずっと無病でいることはありえない話で、
なんらかの病気にかかりながら成長していく。
そして、様々な病気の経過を通じて
身体機能が大きく成長することが知られている。

病気を活用することに関しては、
野口晴哉著『風邪の効用』(ちくま文庫)
天野泰司著『生まれて育つ いのちの気功』(春秋社)
などを参照してほしい。

例えば、インフルエンザにかかった場合に
まず、発熱、頭痛などの症状が共通して発症する。
さらに咳や鼻水などの呼吸器系の症状に発展する場合が多い。

すると、発熱することで、全身の消毒ができる。
ふだんなかなか熱を出せない人も、熱が上がると
全身の代謝も上がっている状態になるので、
それだけ体が活性化し老廃物の排泄もスムーズに行われやすくなる。
また頭痛がおこることで、先ほどのてあてと同じように、
中枢から全身への指令が巡るようになりやすい。

さらに、咳や鼻水が出てくれば、しめたもので、
そうした呼吸器がよく働いている状況を
自力で乗り越えることで、呼吸器が丈夫になり、
基本的な体力がしっかりと付いてくるのだから
こんなチャンスを活用しない手はない。


薬で症状を抑えてしまうと、こうした体力向上の効果は期待できない。
タミフルを飲んでも、発熱が1日短くなる程度で、なおかつ副作用の危険性も大きい。

病気に対する基本的な考え方や
対応を考え直す時期にきているだろう。

家にじっとしていないで、
心地よく体を動かし、楽しいことに打ち込み
ストンと眠るようにしとて、
しっかりと休むような生活を提案したい。

『うごいてやすむ 幸福になる気功』(春秋社)を読んでみてほしい。


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環境省から

独立行政法人 環境再生保全機構から、
環境省の政策提言募集のメールが届きました。

環境省のホームページを覗いてみると、
常時提言を募集しているようでしたので、
さっそくこんなメールを送ってみました。
以前、高槻市に提案した内容が下敷きになっていますが、
全国規模で考えていくともっと楽しくなってきます。


《 提案 》

主要駅前にサイクルセンター

車優先の社会のために便利さを得ましたが、
失ったものも大きいことは誰もが認めるところだと思います。
ガソリン資源の消費や排気ガスによる汚染のみならず、
自動車事故により怪我や病人を生み出し、
またのんびりと心を開いて街を歩いたりする楽しみが
車の利用増のために生活の中から消失してきているように思います。
また、車になれてしまったことで、
近くでのちょっとしたおでかけや買い物にも
車を使うようになって自分の足を使うことが少なくなり、
健康上も車から離れた生活がもたらす恩恵はかなり大きなものでしょう。

人間は正直な生き物ですから、
快適かどうかということがものごとを大きく動かしていくだろうと思います。

つまり、今は車が快適と思うから車を使うことになるわけで、
自転車の利用を促進しようとすれば、
自転車を使う事が快適で楽しいように
道路や街を整備していくことが大切になるでしょう。

今、車社会の影響で車を使いにくい街中はむしろ空洞化しています。
その空いてきているスペースを使って、
サイクルセンターを各地に設置していくことを提案します。

最近の傾向として、
駅前には2時間を越えると300円もの料金のかかる駐輪所をよく見かけますが、
違法駐輪は減っても自転車の利用はむしろしにくい状況になっているとも言えます。
そうした、違法駐輪のしめ出しではなく、
市街地には
気持ちよく自転車を利用してもらうための
設備やクルー(職員)を配置していくことが
自転車の利用を促進する大きな力になることでしょう。

そして、郊外型のショッピングセンターが
広い駐車場とセットになっているように、
街中のサイクルセンターにいけば、
自転車で出かけるのにちょうどよい
気持ちのよい自然派のショップや
お食事どころなどがモールのように集まっていて、
エコな情報を発信するNPOセンターがあったり、
チャリティーコンサートなどが開かれるような中規模のホールなどがあり、
また施設周辺は一定の緑化を進めていきます。

大きな駅前には、最低一つのサイクルセンター。
これで、日本の環境意識はものすごく変わると思いますし、
空洞化して来た中心部が自然と共生しながら活性化するでしょう。

ぜひ実現させてください。

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ちょうど よい とし

2009年がみなさんにとって

ちょど よい と

になることをお祈りします。

トップページにも書いた
「ちょうどよい年」。
それは、気功協会が想い描いている
自然で理想的な社会のビジョンとつながっています。
その意味を、つづっておきます。


気功は
心も体も自然に戻っていくことです。
そして、
心身が自然になると、
生活も自然になっていきます。

その、「自然になる」というのが
「ちょうどよくなる」ということです。

ただ、「よくなる」のではなく、
もちろんわるくなるのでもなく、
「ちょうどよくなる」。
そのちょうどいい加減が大切だと思っています。

良くなるということを
強く思い過ぎると、
余分にやり過ぎてしまって、
かえって困る場合があります。

例えば、共産主義というのはその代表といえるでしょう。
資本の偏りをなくし全国民に平等に利益を配分するという
崇高な理想の元に誕生した国々の大部分が、
あるところで行き詰まり、
自由と発展を求めて次々に方向転換をしてきました。
一方、資本主義の競争原理のために、
目先の利益が優先され、環境破壊や多くの貧しい人からの搾取が行われたり、
一部の人があまりにもたくさんのお金を持つようになったり、
モノやお金はあっても、精神的に貧しい状態になってしまったり
するようになり、こちらの方でも方向転換が叫ばれています。

意外と知られていないのは、
今の中国では、この両面の矛盾が同居していて、
大変な混乱状態にあるということです。
共産主義の中の開放経済。
考えてみれば、これほど不思議なことはなく、
もうどうにもこうにもならないところまで来ていることは
『わが祖国、中国の悲惨な真実』陳 惠運著 (飛鳥新社)
などを読むとよくわかります。

見方を変えると、
今、中国がこの混乱から立ち直ることは、
世界中にある矛盾を乗り越えるような
大きな変革になるだろうということです。

その具体的な表れとして
注目したいのが前の記事にも書いた
「08憲章」です。
詳細は、日々是チナヲチさんの
ページを見ていただくと良いと思います。

さて、
本題の「ちょうどよい」に戻りましょう。

2008年は
『ザ・シークレット』からはじまり、
「引き寄せの法則」ということが盛んに言われるようになりました。
良いと思えることも悪いと思えることも、
みんな自分自身が引き寄せている。
だから、日々イメージすることを変えるだけで、
欲しいモノが集まってくるようになる。
だいたいそういう内容のものが多かったように思います。

そして、欲しいモノが手に入るということに違和感を持って
一歩引いてしまう方も多かったのではないかと思います。

人間が持っている「欲」
その中にも自然な欲と
不自然な欲とがある。

その不自然な欲のために誰かが苦しんだり、
自分自身が苦しんだりすることがある。
そのことを
みんな無意識の中で知っていて、
違和感のあるものには飛びつかないのでしょう。

自分にふさわしくないものを持ち過ぎると
それだけで不自由になり、苦しくなる。
同時に、自分に必要なものがなくても
不自由で苦しくなる。

自分にとって必要なものを、必要なタイミングに、ちょうど良いだけ持ち、
自分の持っている能力をいちばんいい状態で発揮していく。
また、不要になれば、要らないモノを手放し、必要な人に手渡していく。

その全てがそろって、
幸福が成り立ち、
また、私の幸せが、周りの人を幸せにしていくことになります。

この、ちょうどよい幸せ。
そこに近づいていくことが2009年の目標です。

自分にとって何が不要で、何が必要か?
自分が本当にやりたいことは?

と、自分に問いかけていこうとすると、
自分自身のクリーニングが大切なことに気がつきます。

まずポカンとして
からだをゆるめること。
そして、同時に心をゆるめること。

すると、不自然な状態から開放されて、
心も体も清々しくなっていきます。

その清々しい心と体で、
夢を想い描くとき、
夢は「ちょうどよい夢」になっています。

気功をして心身をゆるめることと、
「ちょうどよい夢」が自然に叶っていくことと、
この二つが車の両輪のように働くことで生まれてくる
自然な調和を持った幸せな暮らしを
イメージしながら、
2009年の活動を進めていきたいと思います。


2009年1月1日 天野泰司

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2009 変化の年

Usihanco

気功生活も50号になりました。
みなさんに支えられ共に成長して来た足跡を見ていると
感謝の想いでいっぱいです。そして、
2009年は新しい時代の風が吹きそうです。
バラク・オバマ氏の勝利演説を聞いて
時代が確実に変わったと感じました。
「Change has come to America(アメリカに変化が訪れた)」。
それは単にアメリカ合衆国のみならず、
この私たちの心、地球上に生きている全ての人の心が
変化しつつあることの象徴のように思います。

変化の年、2009年を展望していきましょう。

●気功は変わる

中国四千年の歴史と共に練られて来た
心身技法が気功の源流でもある一方、
「気功」と言う呼び名が一般的になったのは
劉貴珍氏が『気功療法実践』を著してからのことで、
ここ50年ほどの間に、
気功にはさまざまな趨勢や混乱がありました。

その気功を生んだ中国も今、
大きな変化の時期にさしかかっています。
12/10に中国で人権活動をする作家や弁護士ら303人が、
中国共産党の一党独裁から連邦共和制への移行を求める
「〇八憲章」をインターネット上で発表しました。
憲法改正や集会の自由を求め、
「民主憲政の枠組みで中華連邦共和国を設立する」ことを提唱し、
北京オリンピック以前には考えられなかった前向きな動きが
これからも続くのではないかと思います。
中国が民主化に成功すれば、
チベットの完全な自治も実現し、
台湾を含む連邦国家が生まれる可能性も開けます。

一方アメリカでは、
資本主義の弊害と武力や対立の過ちを乗り越える動きが始まっています。

その間で、私たちが今何を為していくか
ということの意味は大きく、気功の役割も変わるでしょう。

●自分が変わる

今までの常識や価値観も変わるでしょうし、
経済や社会も、もっと理想的な形へ移行していくでしょう。

自然は常に変化していますから、
安定した同じ情況が続くことを幸せだと考えていると、
それは自然に逆らっていることになります。
ですから、新生したような真っ白な心で
変化を受け容れることが大切なのです。

私たちは、生れ、育ち、老い、死んでいきますが、
そのどれも止めることはできません。
この世への誕生を喜び、
日々成長していくことに夢中になり、
日々老いていくことを愉しみ、
死の世界への旅立ちを神聖な心持ちで迎える。
そうして、ひとつひとつの変化をそのままに受け容れていく、
それが瞬間瞬間に生きているということなのです。

私たちの生活は、過去の記憶に縛られて
不自由になっていることがとてもたくさんあります。
だから、その縛っているものをほどいて、
身も心も生活も自由になっていくことが大切です。
そして、自分が自由になっていくことの影響は
次々に広がっていきます。
まず身近な家族や親しい友人など周りの人を自由にしていきます。
それから、職場や、地域などで会う人達も自由にしていきます。
そして、無意識につながり合っている全ての人の自由が、
私が自由になることと大きな関係があります。

●心と体の大掃除

部屋が散らかってきたら片付け、
汚れたら綺麗にするように、
私たちの心と体も時々お掃除が必要です。
それも、ものの考え方が根本から変わるような
大きな変化の時期には、
生まれてくる新しい何かのための座を準備する必要があります。
特にこの年末はしっかり大掃除をしておきましょう。
心身を充分にゆるめ、心と体の風通しを良くしておく。
この一年にため込んできたいやなことや大変だったことは、
ハーッと大きな息を吐きながら全部吐き出してしまう。
「ごくろうさま」「ありがとう」と
自分へのねぎらいや感謝も大切です。
そうして大掃除をしていると身も心もすっきりしてきますし、
片付けが進めば進むほど、
必要なものがさっととり出せるようになります。

年内はとにかくクリーニング一筋。

自然に還り、自由自在になっていく。
そのためのやさしい方法、
自分が知っている簡単な気功を一人一人が実践していきましょう。

会報・気功生活Vol.50 より転載

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LOHAS ロハス ?

気功生活の投稿記事の中に「ロハス」と書いてある。
これは何だろう?と思ったのが、私とロハスの出会いです。

LOHAS(ロハス)とは、
Lifestyles Of Health And Sustainabilityの頭文字をとったもの。

「健康を重視し、持続可能な社会生活を心がけるライフスタイル」のことで、米国の社会学者ポール・レイ氏と心理学者シェリー・アンダーソン氏が提唱しているそうです。

病人も増え、環境も悪化し、このまま行ったらどこかで限界が来るという意識の広がりから出てきた新語が、大きく受け入れられつつあることはまず歓迎すべきことでしょう。

その上で、こうした動きが単なる一時のブームに終らないための工夫を、それぞれの持ち場で一人一人が行なっていくことがとても大切なことです。

どのようにすれば健康ということが実現できるのか。
また、どのようにすれば持続可能な社会を実現できるのか。

実を言うと、
ちょうど今執筆している本の内容が
まさにその答えを書いています。

前著『からだの自然が目を覚ます 気功入門』(春秋社)の中でも少しそのことに触れていますが、簡単に言ってしまうと、「自然の原理にそった生活をする」ということです。
その具体的な自然の原理のことを説明し出すと少し長くなりますので、詳細は本が仕上がるのを楽しみにしていてください。

でも、とても単純なことです。
そして、それらは気功や自然健康法の中の核心でもあります。

私たち気功協会が目指しているのは、
誰もが、とても簡単に、自分の力で健康になり、
また、より豊かで幸福な生活を実現していくということです。

このことは、自然の流れにまかせ、
ちょうど良いタイミングに
まとまったコンセプトとしてお伝えしたいと思います。

もうしばらくお待ちください。

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2003.11.8 日常生活の中の慈悲  

(2003エッセイより移転)

dalailama
 11月5日、奈良県文化会館・国際ホールで「日常生活の中の慈悲」というタイトルの講演を聞きました。講演者はダライ・ラマ法王14世・テンジン・ギャツォさん。法王さんは今回、伊勢そして奈良を初めて訪れ、奈良では興福寺、東大寺にお参りされ、その夜講演会がありました。

やわらかく暖かな空気
 講演中終始感じたのは、力強い言葉の響きとは対照的に、法王さんからふんわりひろがってくるような柔らかく暖かな空気でした。英語からの通 訳でしたが、通訳の間は、体を少しゆらしたり、会場のあちこちを見渡しては、微笑んだり、手で合図したりしてとても楽しそうな様子でした。子どものような純真な感じでいて、なおかつものごとを深くよく考え、慈愛に満ちていることが直接的に伝わって来ます。そんな仕種を見ていると、こちらもやわらかくゆるんできて、思わず微笑みが溢れます。
 こんなふうに「直接伝わっていく感じ 」というのは、私たちがいろんな人と出会う時に心得たいものの一つ、そして気功を通 じて伝えたいことでもあります。法王さんにお会いすることができて、そのことをはっきりと再認識しました。


仏教が仏教を超え、宗教が宗教を超えた日
 講演のテーマは、仏教からも、そして宗教からも離れ、「私たちが人間として幸福に過ごすためには何が必要か」ということでした。その内容からすると、「慈悲」と訳した日本語訳だと、仏教的な感じが残っているので、英語のまま「compassion in daily life」の方が意図がよく伝わるかもしれません。特別な難しいことではなく、日常的にある、共感、思いやり、いたわり、あるいは愛情といった、自分にも他人にも暖かみを与えるような心のあり方のことですね。
 「ひとりひとりの心に平安がおとずれる一番簡単な瞑想を紹介してください」との質問に、どんな答えがあったと思いますか。「私の体験からお話すると、分析的な瞑想をするのがよいと思います。心を一点に集中し、お祈りや祈願をしてただけでは、一時的に心が静まっても、また同じ状態になった時にはまた同じ怒りの感情がでてきてしまいます。怒りがどのような悪い影響を与え、いかに無益なものであるかということを分析し、そのことをしっかりと理解すれば、次に怒りの感情がわいてくるような状況にあっても、怒りの感情に対処できるでしよう」と、普段私たちがなかなか気付かずにいる、本当に当たり前の事をさらりと説明してくれました。

 そうした、心の問題を解決し、心をより良い状態に変えていくためにこそ、仏教が生まれ、様々な修行法が生まれて来たという原点に今やっと立ち返ったように思います。
  仏教が生まれてから2500年。物質的環境はずいぶん変わりましたが、人間の心は変わりません。心の悩み、心の葛藤は変わらず存在していて、だれもが幸福を求めています。この心の悩みを解決する具体的な手法の一つが「日常生活の中での慈悲」の実践、つまり、自分の心の働きの一つ一つを冷静に観察し、分析していく中から、よりよき心のありように日々なじんでいくことだと、法王さんはみなさんにお伝えしたかったのではないでしょうか。

この時の公演記録は
『ダライ・ラマ慈悲の力』(春秋社)
として出版されています。

1300年の時を経て
 日本に仏教が初めて伝わり栄えた奈良の地、当時の為政者たちは、人々の幸福と心の平安とを心底求め、とてつもない大きさの大仏さんを鋳造したのでしょう。正倉院展で光明皇后さんの願文入りの写 経を見て、強く心に響いてくるものがありました。

 私たちが本当に幸福に生きるために必要なのは、自分の心を自分で好ましいようにコントロールできる方法を学び、整理研究し、誰もができるように簡単にし、広めていくことではないかと思います。そのために、当時大仏鋳造に費やしただけの情熱とエネルギーを注ぎ込めば、人と人とが無用な争いに明け暮れることもなく、世界の大半の人々の精神的な幸福は比較的容易く実現してしまうのではないかと思います。

 気功をしていくことは、自分の心身をより好ましいと思う方向へ変えていくこと。
 気功を伝えていくことは、自分の心身ををより良く変える方法を伝えていくこと。

 「心身の自然の原理」を学び伝えていくこと。それが私たちの大きなミッションです。

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2003.1.1 気功的経済

(2003年エッセイより移転)

 大晦日に最後の発送作業を終えて仕事を納め、つきたてのやわらかいお餅を御供えし、伊勢のおかげ横町で仕入れた注連縄を玄関にかけました。注連縄には「笑門」と書かれています。2003年が、みなさんにとって幸多く、笑いの絶えない年になりますようにお祈り申し上げます。


日本一明るい
 朝日新聞の新年1日版に「?日本一?明るい経済新聞」の記事がありました。新聞を読むと、暗く重たい記事ばかりでうんざりすることがしばしばですが、明るい面 に常に光をあて続ける経済新聞は大阪を中心に3万部を発行。編集長、記者、営業を一人でこなす父を見て、娘さんが自発的に手伝いだす様子に、仕事の原点のようなものを感じました。

 自分が他の人達に対して、どれだけ有意義なことをしていけるのか、という、そのことが中心になって仕事をしている人達の話を聞くと、本当に胸がスーッとして、清々しい感じがします。その対極に位 置するのが、お金を儲けることが中心になって仕事をしている人達。大富豪がそうかと思われがちですが、実のところは金額の問題ではないと思うんです。お金がたくさんある人も、少しの人も、お金を中心に考えて動いている場合と、本来の仕事の心を中心に動いている場合の両方があり得ます。お金にばかり心がとらわれだすと本来の仕事ができなくなってしまう。かといって、お金のことを棚にあげてしまって本来の仕事のことだけ考えていると、お金が回らなくなって、仕事が続かなくなる。この矛盾をどう断ち切り、新しい経済生活を創るか?その答えに非常に近いところにNPOがあると思います。
  社会奉仕として志す活動を、非営利で、しかも自力で運営し続けていくのがNPO法人。お金のために働くとか、労働の対価を得るという考え以前に、まずみんなのためにこの仕事をやっていきたいというモチベーションがあって仕事をしていくのが、NPOで働くということの第1義。本当に有意義なことをやりたいようにやるという自由度こそがNPO法人に与えられた最大のメリットです。ただ、言われた仕事だけをするのではなくて、何をどのようにしていくのかという主体的判断ができる人材がそこに求められます。そして、その自ら工夫し新しい何かを生み出していく力こそが、運営の活力になり、確かな次の事業に向けて経済的にも安定した土壌を生み出すことでしょう。

お金という便利な道具
 お金は本来はとても便利なお道具です。効率良く役割分担をして仕事をし、お互いに足りないものをあるていど公平なレベルで自由に補い合うことができます。しかし、お金はその便利さから一人歩きをはじめ、お金さえあればなんでもでき、幸せになれるかのような幻想を生み出してきましたが、みなさんご承知のように、お金があることで不幸な人達もたくさんいます。
 問題は、お金そのものではなく、お金に対する執着心です。執着心をなくすということは、一般 にはとても難しいことと考えられがちですが、私たちはみな執着心のない子ども時代を過ごしてきているのです。だから、そこに戻るための方法さえあれば、執着がまったく無くなることはないにしても、あまり執着しなくなることは確かです。
 気功が本来目指している自然の状態というのは、まさしくそうした執着のない、子どものような純真無垢な状態です。そこに立ち戻った上で、理知的判断力を持って便利なものは活用し、正しく運用していくことが必要です。気功という自然回帰の基本技術をそうした役にぜひ用いていきたい。もっと根源的には、子どもに戻るという以前に、子どもの純真な心と感受性をそのままに育んでいけるような社会と教育の環境を整えていきたいのです。
 気功ということを学びながら新しい執着を作ってしまう場合も多々あるので、そこのところはいつも気を引き締めて、しかし、子どものような自由闊達な心と、こぼれるような笑顔をいつも忘れずに活動していきたいと思います。

気功的経済
 道具というものは、使う人あってのものです。道具に使われるのではなく、道具は道具として目的のために便利に使いこなす。そこに、良い仕事と、物心両面 の潤いが生まれることでしょう。私たちが活動で得る様々なお金は、全て一時的な預かりものであるというように、常々感じています。また、お預かりするお金を正しく生かすことによってのみ、お預け頂いた方々への本当の返礼となり、 またそうした活動こそが真の経済活動となるのではないかと思うのです。こうした、執着のない本来の経済活動のことを仮に気功的経済と呼び、その実現に向けて着実に歩みを進めていきたいと思います。

 

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2002.9.11 争いのない生活

(2002年エッセイから移転)

争いのない生活というのは可能だろうか?
 人とは争いたくないと思いながらも、日々小さな争いが生活の中にたえないのはいったいなぜでしょうか。その小さなことが解決できれば、世界全体の平和はきっと実現するにちがいありません。

 平和問題というのは遠い世界のことでも、だれか偉い人が決めることでも、また、なんの努力もなしに突然訪れるものでもないでしょう。
 自分の生活の中に潜んでいる争いの原因を取り除くことに、もっと智慧を出し合わなければなりません。そしてその生活ということを中心において、日々を充実させていく必要があります。

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 大正10年7月、春秋社から出版されベストセラーとなった「懺悔の生活」という本があります。著者はまさしく「争いのない生活」を真剣に考え、その生活を実践し、またその生活により、多くの人を感化してきたその人、西田天香さんです。人々は親しみをこめて天香さんと呼びますが、その天香さんの生活は、まぎれもない一つの事実として、争い事のたえない現代社会に一条の光を与えてくれるものだと思うのです。

 その生活の一つ一つについては別にゆずるとして、ここでは、その最初の転機と最終的にたどりついた結論だけを手短に紹介したいと思います。

 1904年、天香さん32才の時に転機は訪れます。きっかけはふと聞こえてきた赤ん坊の泣き声でした。自分が食べることで争いの原因になるなら何も食べないと決意して断食を続ける中に、赤ちゃんの泣き声がして、しばらくして泣き止む。乳を与える母と飲む子の間に、自然の、争いのない関係を悟り、自分もそのように生きようと決意し即、実行しだしたのです。

 その生活のために働かない生活は一燈園生活として現代にも生きています。私もたまたま縁あって、子どもを一燈園の小学校に預けることになり、父兄としてその一端を伺うことができたのです。縁というものは本当に不思議なものです。

 「無一物中無尽蔵」。全てを捨ててしまえば、自由自在、全てが自分のもの、尽きることはない。とは、天香さんの生活を端的に示している言葉です。天香さんの書は、その後に「有花有月有楼台」と続きます。ただ自然の造型と美と楽しみがあると歌っているのでしょうか。
 一燈園の学校では、冥想の時間はあっても何か特別なものを拝むということがありません。 作られた偶像は無く、正面の丸窓の向こうに、ただ自然があります。

 自然というと、木や草花、山や川などを思い浮かべますが、ここでいう自然とは、そうした自然もそうですが、全てを成り立たせている、今自分がここに生きているというその自然の摂理。そのことを学んでほしいというのですから、一燈園の学校は本当に恵まれた学びの場です。

 「自然にかなった生活をすれば、人は争い合わなくても、また働きを金に変えなくても許されて生かされる」と天香さんは言っています。

 これは理想論でしょうか。少なくともその生活を実践し、幸せにくらした人々があります。それは特別な例でしょうか。私の肌でふれた感触としては、本当に普通の暮らしです。自然の空気が流れ、人がそのままの自分でいられる場所。一燈園というところはそんな感じがします。

 ここに一つのヒントがあります。人間一人一人が本当に生き生きと暮らせるための理想的な社会のモデルがあるように思うのです。

 一燈園と出会った時、「新生」という天香さんの書が、とても印象的でした。乗り越えるべき何かを感じると同時に、新しく生まれ出る生命の躍動感があり、またとても普通などこにでもあるもののように、ただ自然にそこにあるような感じがしました。

 赤ちゃんに戻る、生命の原点にもどる、何もないスタート、自然なままの執着のない状態を実は誰もが一度は経験しているのです。そこに戻れさえすれば、自然にかなった争いのない生活は実現するでしょう。

 そのヒントから私たちのできることを少しずつでも形にしていかなくてはなりません。私たちが目指す理想の社会は、一人一人がありのままの自分でいられて、全てが自然に調和している社会。そのために、心や体の自然のことを学んでいるようにも思うのです。

 「自然感覚の復興」が私たち気功協会の目的です。

(2002年エッセイから移転)

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