気功の神髄・最終回

劉漢文・禅密功の世界
全9回の講座が終了した。
tamayura


〈写真は終了後の会場にて撮影〉

4月から毎月月例で続けてきた講座。
9回全参加の方が9名。
うち1名は鳥取から。

皆勤賞は『気功入門』の裏表紙にも使われている
ニコちゃんの缶バッジ(今回のためにUDONレコードで注文)と、
たまちゃんレンチャンとうちゃん手作りのリンゴジャム。

続けてきて本当によかったなあと思える講座だった。
講師の私自身がとてもいろんなことを勉強でき、
いろんなことが話をしていくうちに自然にまとまっていくのは、
自分でも不思議な感じだった。

4月清明節に劉漢文先生の納骨式に丹東に行ってから、
禅密の学びはとてもスムーズになっていた。

天力と自力が結びついて発展していく、
まさに禅密功を学ぶ理想的な形。

今、新たな境地へと一歩進んだような気がする。
参加してくれたみなさん本当にありがとう!!!

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双至法

2000年に大連を初めて訪れた折りに、
劉漢文先生から始めに習ったのが双至法だった。

双至法は、双止法とも、また蛇蓮功とも呼ばれる。
禅密功独特の陰陽双修法である。

一人で練功する「自性交融」と、
ペアで練功する「両気相合」と、
2つの練習方法があるが、
どちらも、練習する前に必ずしておくことがある。

まず第一に、笑うこと。
何のこだわりもなく素直に笑えること、
つまり、小さな子どものような自然な心身の状態であることが
第一の関門になる。

第二に、練習の目的をはっきりさせること。
よこしまな心で練習を続けても良い結果は生まれない。
目的がはっきりしていると、その目的を達成する方向へ気が動いていく。

第三に、性に対する正しい認識を持つこと。
劉先生は、
「性ということの本来の性質は光明である」と板書した。
一般的な快楽を小楽とすると、
禅密功で求めていく境地は大楽。
宇宙自然の原理と一つになった大いなる楽しみの境地であり、
そのために、性という生命の元、生きていくエネルギーの元になっている自然の働きを
純粋に昇華し、活用していく方法が求められる。

その具体的方法を公開したものが双至法だ。
双至法を体験して、変わったのは、一番基礎の築基功だった。

気功の神髄・最終回の明日は、
双至法を学び、また原点の築基功に戻っていく流れになる。

ゼロに戻って始まる。
しかし、そのゼロポイントは螺旋を昇るように、
どんどん次元が変化していく。

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陰陽合気法・人部

人と宇宙全体とが
一つになって輝いていく。
いわゆる「人天合一」ということが
禅密功の大きな目的です。

その、禅密功の完成形がここにあります。

陰陽合気法・人部には
練習以前に日常行なうべきことがいくつかあります。
それらは以下の3つです。

・冷冲熱貫
・零飲倒走
・虎躍風鳴

冷冲熱貫
朝起きたら頭頂部に冷水を受け、夜眠る前に温水に足を浸す。
簡易には、朝は頭部を指先で手早くこすり、夜はてのひらでゆっくり足をなでます。

零飲倒走
冷たい水を少しずつゆっくり飲み、後ろ向きに歩く。
飲んだ水が全身の隅々にまで至ることをイメージします。
後ろ向きに歩くのに慣れてきたら、後ろ向きに歩いているイメージを持ちます。

虎躍風鳴
仰向けの姿勢でゆっくり背骨を反らしてゆるめ、耳の穴に指を入れて動かしその音を聞く。
後頭部と臀部、あるいは後頭部と踵で支えて背骨を反らします。
指はゆっくり様々に動かし、その霊妙な音に注意を集めます。

人部に共通しているのは、
人為を打ち消し、徹底的に元々の自然に戻っていこうとすることです。

日常から後ろ向きに歩いたり、背骨を逆に反らせたりということで、
本来の感覚を取り戻していくのです。
これらの準備は「儀規」と呼ばれています。


人部の「正功」は、大きく5つのプロセスに分けられます。

・肉中肉
・気中気
・息中息
・五心通
・大円満

個々の詳細にはふれませんが、
宇宙全体の輝きと私の輝きとが一つになって広がっていくことが
この気功の特徴です。

このところ、夜空が美しい日が続いています。
星々を眺めて、その光と一つになるようなつもりで、
少しぼーっとするのも良いかもしれません。

「大円満」とは
別名「大手印(マハームドラー)」と呼ばれ、
真に自在な境地を得るための方法です。

明日の「気功の神髄」講座では、
その境地にできるだけ肉迫していきたいと思います。

ただやり方の解説をするのではなく、
その境地への誘導を第一に考えて進めていきます。

「気功の神髄」も残すところあと2回。
皆勤賞は何にしようかなあ。

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朱剛さんと葉楓さん

syugo
「気功生活のすすめ」講座は
とても素晴らしい内容でした。

気功で本当の元気を取り戻していくための
動から静への心身両面の成熟のプロセスがていねいに解説され、
気功本来の目的がはっきり示された講座でした。

講座の後は自然食レストラン
マサラバザールで交流会。

鯛、蛸、イカの炊込みご飯とシジミのお汁が大好評。
朱さんはひとりひとりとていねいにお話されていました。

交流会の後に気功協会の事務所にも立ち寄られました。
写真は、劉漢文先生の写真が飾られた床の間の前で撮ったもの、
右は奥さんの葉楓さんです。

ぽっ と、ほんわかした温かさの残る
良い講座と交流会でした。
朱剛さん、いらっしゃったみなさん
ありがとうございました。

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「気功生活のすすめ」と「気功入門」

朱剛さんが、
この「気功生活のすすめ」の執筆をされているのを知ったのは、
去年のお盆の時に、東京を訪ねた折りでした。

この時のメインの目的は、
氣道主催の整体法修得講座に参加することでしたが、
なかなかない東京滞在だったので、
春秋社の編集の方と初めてお会いして、
「気功入門」の執筆に関する打ち合わせをすることを決め、
また、朱剛さんの東京の教室にご挨拶に伺うことにしたのでした。

結果、この3日間の収穫は私にとっても、
気功協会全体にとってもとても大きなものでした。

「気功入門」出版はその最も分かりやすい収穫です。
これは、今までにない、大きなインパクトをあたえる気功の本でした。

今までにないというのは、
気功のとらえ方そのものです。

そして、氣道で整体法を学んだことも、
朱剛さんとこの時期にゆっくりお話が出来たことも、
同様に気功そのものを根底から再構築する大きな力となっています。

禅密気功の初代伝人、劉漢文先生がお亡くなりになったのが、
去年の6月20日。
この時期に、
朱剛さんは、「気功生活のすすめ」をほぼ書き上げて入稿。
初版はちょうど一年前の2004年10月11日になっていて、
一歳の誕生日を迎えるところです。

「気功入門」は、お盆に編集の方と初顔合わせしてから、
しばらくして、正式に執筆依頼を頂き、
9月から執筆を始め、約1ヶ月ほどで入稿。
初版は2004年12月20日です。

「気功入門」の後書きにも書きましたが、
私は、自分が原稿を書いているという気がしないのです。
魂の深いところから、出てくる言葉に従っているというのか、
何ものかに書かされているというのか、
何とも表現しにくいのですが、そういった感じなのです。

朱剛さんもおそらく、
そうした感覚を持って
「気功生活のすすめ」を執筆されたのではないかと想像しています。
この本を読むと、
禅密気功という一つの気功の流れからひもといていながら、
一流派という枠を大きく超えてほとばしり出るものがあり、
大自然の基本原理へと、
本流が向かっているように思えるのです。

一方、「気功入門」は、
多次元の枠組から、多くの支流が集まっていくように、
大自然の基本原理へと流れ込んでいきます。
そして、もうすでに、その基本原理は、確固としてそこにあることを前提に、
様々なものごとがやさしくひもとかれていくのです。
多くの支流があるなかでも、源流となる中心の流れがありますが、
その本流は間違いなく禅密功なのです。

この2冊の本は、劉漢文さんの
この世への置き土産とでも言うべきものかもしれないと思っています。

さて、
本題の「気功生活のすすめ」の
中身については、明日の講座および、
その講座レポートでお伝えしていくことになるでしょう。

お楽しみに。

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天然の森から4

2005tennen4

芦生の森の中でも、
下谷のトチノキ平は
森で気功を楽しむ
ベストスポットの一つだろう。

大きな枝を自由かつ大胆に広げる
栃の巨木に囲まれたなんとも落ち着く空間だ。

ここでは、まず
水筒のお茶を飲んで一休み。

そのまま、みんな森の気配に
溶け込んでいく様だったので、

呼吸と共に周りの気と交流する
潔身法をした。

吐く息と共に森の中に溶け込んでいく、
吸う息と共に森の気が溶け込んでくる。
そんな感覚の一時だった。

ふと気付くと、
森の気が霧のように立ち込め、
私たちを取り囲んで渦巻いているようだった。

感覚を澄ますと、
天然の森そのものが、
私たちに気功を教えてくれる。

ケヤキ峠で待っているバスに着くと、
美山牛乳をもらって、河鹿荘のお風呂へと向かった。
静かに、そしてぐっすりと眠りながら。

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天然の森から3

2005tennen3
長治谷から由良川源流に沿って
歩く下谷コース。

林道をしばらく歩いて、
谷へ下ると、
「下谷の大桂」の木と出会う。

芦生の森でも最も大きな木で、
幹の途中からいろんな種類の木が宿生している。
宿り木には山桜も混じっていて、
5月上旬には、桜の花の咲いた大桂を見ることができる。

桂は清流のあるところに生え、
古来ご神木とされてきたとのこと。
聞くところによると、
榊を供える以前は、桂を使っていたそうだ。

この大桂の前で、
みんなで陰陽合気法をした。
この日はちょうど陰陽がバランスする秋分の日。
大桂と一つになり、
大地の綺麗な水脈と天の陽気を感じ、
気持ちの良い時を過ごす。

周辺にもとても気持ちの良い場所があって
なかなか去りがたいところだったが、
大桂にお礼の挨拶をして、その場を後にした。


ところが、
天然の森体験はまだまだ序の口。
次に向かったところがこれまた素晴らしかったのだ。

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天然の森から2

2005tennen2

芦生の森ツアーについている
河鹿荘特製のお弁当。

山々を眺めながら、
芝生の上でいただくのがまた素晴らしい。

河鹿荘で仕入れた、万願寺唐辛子とジャコの炊き合わせも
みんなで分けて美味しく頂きました。

腹ごしらえができたら
さあ、天然の森の中へ。

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天然の森から

2005tennen1
2005.9/23 禅密・美山合宿 天然の森へ

春分の日の23日、JR園部駅を10時にバスで出発。
途中、河鹿荘でお弁当を積み込んで、
お昼過ぎに、芦生研究林の中心部、
長治谷作業所に大笑いしながら到着。

小さな小屋の周りが芝生の広場になっていて、
芝生の上を歩くと、大きなコオロギがピョンピョンはねる。

気功で足腰をほぐしてバスの疲れを抜いて、
お弁当の前に左右の波の動きで消化器系を整える。

さて、お弁当は…。

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潔身法

潔身法は、劉漢文先生が禅密功の最後に加えた気功だ。

2004年の夏に、双入法と共に学ぶ予定だったが、
旅行直前に劉漢文先生は他界され、
直接学ぶことは果たせなかった。

気とは自然の働きであり、
自然の働きには、
いらないものを捨てていく働きと
必要なものを集めていく働きとがある。

そのことを、古くからの中国の言い回しで
「吐故納新」と言う。

潔身法は、その「吐故」と「納新」からなる。
まず、全身からいらないものを吐き出す(=吐故)。
そして、全身から必要なものを取り入れる(=納新)。
そうした気の呼吸を実際の口と鼻の呼吸と同調させて行う。

簡単でシンプルだが、
心身のゆるみと、背骨の微動が基礎になっている。
初学者はやはり、基礎から学ぶ必要がある。

この潔身法は、心身の浄化法とも、
また魂の浄化法とも言えるもので、
身につけておくととても便利だ。
特に、治療やマッサージなどをしている人には大変役立つはずだ。
そして、日常のどの場面でも用いることができるとても本質的な気功だ。

細かい技術よりも、
気の実感が重要だ。
感覚があれば、作用も確かにある。

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禅密冥想への誘い

「気功の神髄」講座
第6回目のテーマは「明心見性」

こんなにも本質的でシンプルな冥想を他に知らない。

「明心」とは主として禅。
自分の感覚を用い、自分に役立てる自利の冥想法である。
陽光(大自然の気)を取り入れ、
自らの心をその基底部から明るく照らす。

「見性」とは主として密。
明心を基礎として、他人を感化する利他の冥想法である。
体内に満ち満ちた光は自発的な笑いの波となって、開花し、
あまねく全ての本性を照らし出していく。

これは、気功協会が行っている社会貢献活動の本質と完全に重なっている。
私たちは、「からだの自然が目を覚ます」ことを目的にしている。
それは、生命本来の自然の働き、
命の光り輝いている部分を見ていこうということである。

ところが、私たちはふと、影の部分に余分に気をひかれる。
自分を低く見過ぎたり、病や問題点ばかりを意識してしまいがちだ。

しかし、影は光がなければ無いもので、影のみが存在することはあり得ない。
そして、光が広がっただけ影は少なくなり、
どこもここも輝きだすと、影はほとんどゼロに近づく。

人のことでも、影の部分を拡大して見やすい。
影を見ようとすればするほど、光は少なくなる。

しかし、自分が輝いている人が見るのは常に、
相手の光に照らされて輝いている面なのだ。

光は光を呼び覚まし、
世の中全体が光輝くようになる。

まず、自分が輝いていること。
それが、明心の冥想である。

その光が伝わり、周りも輝き出すこと、
それが、見性の冥想である。

具体的な技法以前に、
まずその原理を知っておくことはとても重要だ。

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食べる気功

気功の神髄 第4回目。
今日は一日で6つの功法を学ぶ密度の濃い一日でした。

中でもシンプルなのが、食べる気功「食之法」です。

ちょうど私たちが習慣的に
「いただきます」と手を合わせて食事を頂くように、
まず、そっと目を閉じて、
天地自然の恵みとしての食べ物に「ありがたい」という気持ちを持ち、
また、その自然の恵みを受け取る力を授けてくれた、
お父さん、お母さんに「ありがたい」という気持ちを持ちます。

器を受け取ったら、
合掌ではなく、
器に軽く手を添えて、
右手を上向き、
左手を下向きにします。
自然の恵みを受け取り、その受け取った恵みを
人のために活かしていくという意味の形です。

食事中は無駄話をせず、
黙って食べます。

質素な食事を常として、
ゆっくり味わい、
たとえ粗末なものでも、
足るを知る心持ちで、ありがたく頂きます。

食事が終わった後には、
手と足の三里の筋をゆっくりなでます。

この、食之法の目的は、
「食べる」という誰もが欠かすことの出来ない行いを通じて、
心と体を元々の自然の状態へと導くことです。

その元々の自然の状態のことを「先天」と言います。
先天は、ありのままにあるので、そこに嘘はありません。
ゆるぎない確かなものです。
禅密功では、どの功法も、この先天の境地を目指しています。
それはとても豊かで、深く、
おだやかな感動にあふれ、慈愛に満ちたものです。

気功の神髄 第二部は
先天を探る三ヶ月、
一人一人の体感をサポートしながら、
充実のスタートです。

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気功の神髄 第二部

禅密功創始者、劉漢文先生の
一周忌追悼の集いを終えて、
7月から、気功の神髄・第二部が始まる。

第一部が動作を伴う一般的な気功、
いわゆる動功が中心だったのに対して、
第二部は、気や心の動きが中心となる。

重要なのは、その気の動きが
意図的に作られた作為的な気の動きではなく、
元々自然にある気の動きであること、
つまり、先天の気の動きであることだ。

先天の気持ちには嘘偽りがない。
その、嘘偽りのないありのままの世界を感じ取った時に、
私たちの心身の土台はゆるぎないものになる。

様々な気功のやりかた(功法)はその方便であり、
その目的ではない。
ならば、できるだけシンプルで効果的なものが良い。

劉漢文先生は晩年、
「やさしくて、効果の高いものが大乗」と言っていた。
劉先生が実践してきた気功のエッセンスが詰まった第二部、
先天の気功世界への道案内をこれから私が務めさせていただく。
劉先生の伝えてくれたものの原形を正確に押さえながら、
その形の奥にある真意を明らかにしていこうと思う。

あくまで、私が理解し、体験してきた世界までのものとはなるが、
みなさん一人一人の先天世界への旅のはなむけとなれば幸いである。

そして、みなさんと共に学び、
気功の王道、自然の道を歩んでいきたい。

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降魔杵と築基功

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「気功の神髄」第3回目は、金剛降魔杵と霊動法。
一日で金剛降魔杵の基本をマスターして、
あとは自分で練習できるようにすることが目標。
その課題をほぼクリア。充実の一日だった。

今日の山科は曇り時々晴れ。
始めに基本動作を練習したら、
疎水公園まで移動して、のびのびと大きな動作を練習。
初夏の日差しが木漏れ日となってキラキラまぶしい中、
心地よい汗をかいて、気分も晴れ晴れ、爽快。

午後からは、築基功、慧功、霊動法も交えて、
禅密功の柔と剛の両面を体験できたバランスの良い講座になった。

今も、心身共にしゃきっとした感じがずーっと続いている。
基本を押さえれば、動きは自由自在。
マイペースで深めていける良い気功だ。


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金剛降魔杵

金剛降魔杵(降魔杵)は、禅密功の中では少々異色だ。

築基の「柔」を土台に、「剛」を練る。
金剛の気(=純陽の気)を練ると言う。
金剛とは、ダイヤモンド。何ものにも壊れない強さを持つもの。
即ち、魔を打ち砕くもの。

個々の身長に合わせて長さ80〜90cmほどの杵(=木の丸棒)を使う。
正式な杵の形は、陰陽2匹の蛇が絡み合い、両端がそれぞれの頭になる。
これは、陰陽のエネルギーの結合を象徴している。

片手に杵を持ち、片手は指3本を立て、親指を小指で押さえる印をつくる。
3本の指は、それぞれ、天地人を象徴し、その3つの合一を示す。

杵を使う時には、神、氣、意、力の四つが同時にあるようにする。
神=精神的気迫。
氣=氣が通っている実感。
意=意識の集中密度。
力=型とその作用力。

杵は身体の一部となり、また魂の一部となって動き、
前後左右上下全方位に気の場を広げ、
動きは縦横無尽、神出鬼没。

ポイントは杵をただの棒のように使わないこと。
心を込めて杵を扱い、身体の一部のように動く。
伸びやかで、溌剌としていて、爽快である。

気力、体力、精神力が同時に養われ、
足腰が鍛えられ、肚が座る。
上体の自由度は増し、心身共に自在となる。

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智慧を開く

禅密功には、慧功(けいこう)という名の、
智慧の開発を伴う気功のやり方があります。

慧功は3つのプロセスにわけることができます。
中国語のまま書くと、
1.鬆展放収(しょうてんほうしゅう)
2.衝上貫下(しょうじょうかんげ)
3.周通空霊(しゅうつうくうれい)
中国語の慣用句などは通常最も一般的な音読みを当てて読みます。

1は基本練習、つまりこの気功の核心です。
心と体をゆるめ、広がって全体とひとつになり、自分の中心に戻るということをします。
2は天地、背骨を貫く上下の鉛直の方向に、無限遠まで気を貫いていく練習です。
3は全方位に開き、収めてくるなかで、自分自身の枠を超えて存在している自然界の霊妙な働きにふれていくことです。

では、あらためて智慧について考えてみましょう。

慧功の中心は「放」、つまり、自分の枠を超えて全体と溶け合っていくことです。
自分がとてもとても薄く軽くなっていき、
結果として全体が自分になっている状態です。
この時心はおだやかで持続的な喜び、楽しさ、ありがたさに満ちています。

この実体験そのものが智慧と言えるのではないでしょうか。
日常的な知識や思考はいわゆる意識の働きです。
ところが、意識化できていることというのは、広大な海の中に浮かぶ小島のようなものです。
島に住んでいると、そこだけが全てのように思いがちですが、
よく見ていくと、根っこは一つの大きな地球だったりします。
つまり、ここで考えるべき智慧というのは、
世間一般で言う頭が良いということとは少しニュアンスが違い、
自然界全体の働きをそのままに知り、その働きを用いるということです。

「外為我用」(=宇宙全体の働きを私自身のために用いる)
という言葉がそのあたりを象徴しています。

私が全体であり、全体が私であるという体験と実感に支えられて、
本当の智慧というものが働き出すように思うのです。

気功の神髄・第二回目はこの慧功を中心に、築基功を深めながら進めていきます。
お楽しみに。


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