stepup終 全力で生きる

 気功の学校・ステップアップ最終日 2011/3/21春分 天野泰司@山科
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いま日本中が全力を出している。
全力で生きる。=「全生」、
あますところなくいのちの働きを発揮して生きていくこと。
地震によって灯された火に従って、消さないように、萌え続けていくように
今何をなしていくのか、一緒に探していきましょう。

[座ったまま、ゆっくり体をゆらす。
動かしたい方へ、途切れなく。
だんだん止まっていって、静かに座る。
心にいろんな想いが浮かんできたら、
その思いに従って、またゆれる。また、静かに座る。]

ゆれることは、固定した思考がほどけること。

仮に分けると、できごとから思考が生まれ、
思いが生まれ、思いから感情が生まれ、反応が起こる。

できごとと、体の反応は切り離して扱うことができる。
気功では体を整える(ex.ゆれる)ことで、
心の悩みを調整していくことができる。

西田天香さんが関東大震災のときに立てた「3つの大願」。
個人として、国民として、人類として。
その二、「こくみんとしましては、
 こわれぬところにざいもつをたくわへ、
 たのしく、ぐわしんしようたんして、ちじょふにも、
 こんかいのそんがいにますたからをあましゑるように」
臥薪嘗胆して、楽しく。
今、自分の立っている中で、全力を尽くしていく楽しさが
呼び起こされている。その波に入ってかまわない。

今回、流通などの復興のスピードはとても早く、
神戸の震災の頃はまだ混乱していたような気がする。
日本は天災が多く、
「天然の無常」と山折哲雄さんが表現されていたように、
自然の豊かさと、荒々しさ、私たちは両方を味わってきた。
被災地に向かい、何かしたいという思いと
災害にあった方達の「お世話になってありがとう」という思い。
長年にわたって、そうした暗黙の了解が培われてきた中に私たちはいて、
また、世界がそのことに注目している。

例えば大きな傷を受けて、体は七転八倒して治ろうとする。
今の状態も同じ。
自然の働きが自然のままにあるように、体と心を整えていく。

意識と無意識を、理性と体を分け
思考、意識を主体に動いていくのではなく、
自分の中にある自然、無意識の流れに乗り、主に据えて動いていく。

まず、大きな自然の流れに乗る。
体の部分にも、ひとりひとりにも、それぞれ不完全な部分があって
足りない処を補う働きが起こってくる。
大きな自然の流れが、体の中にはっきりあることをしっかりつかんでいれば、
意識・思考はそれを補い、微調整する働きをしはじめる。

今、打つべき最高の一点を。
休む、動き出す、やめる、また動く、自然の働きにはひとつも無駄はない。
今、最適な動き、最高の動きはひとつしかない。
澄んだ心、澄んだ体で選択していく。
それはゆるしている心、ゆるんでいる体。

それぞれの役割は違う。
いつも心を澄ませ、体をゆるめ、必要なことをやっていく。

役割とは、自らが楽しみつつ、全体の益につながること。
どういう役割をもって生まれ、生きているのかを体に聴いていく。

「楽しい」という字は、神に向けて鈴を振っている字。
神=自然とつながっている状態、
そこに自分が入っているかどうかが、いつも問われる。

自分の役割は、どこにでもある。
どんな処にいても、その場でできることを全力でやっていく。
社会的な役割は、どこにでもある。
仮のもの、仮の枠組と見ることで、自由になる。
全部捨ててもいいんだ、ということ。

[活元運動〜活元操法]、動きたい方へ動く。
今、最適な動きはひとつしかない。

・・午後・・

「全力で生きる=全生」の中に、陽の力、陰の力の両方がある。

陽の力=表に出ている、これならまかせとけといった側面。
力仕事ならok、絵を書くなら、計算ならまかせとけ、といったような。
陰の力=なやむ力、落ちこむ力、忘れる力、逃げる力など。
陰面を否定することは能力を閉ざすこと、
もっている力の全てを受けいれていく。

陰陽は、体のリズムとして現れてくる。
一日のリズム、昼活動して夜、休む。
私たちは陽面を見ていきがちだが、体にとっては陰面、休むことが大切。
その間に成長、回復、変化が起こっている。
陰の休んでいる時間を大切にしていくと、陽面もふくらみ
能力の幅が広がる。
時間ではなく深さ、眠りを深くしていくことが健康の秘訣。

一日の波、月の波、宇宙全体の動きが体に反映されている。
月の波では、一番高潮期に排卵、一番低調期に生理。
一緒にいると生理が同じ頃に起こることがあったり、
波と波は互いに影響を与え合っている。

年の波、今は春の波に乗っていく。
性の働き、=人の役に立ちたいと思う働きが強まり
新しく生まれ変わる時期。

[骨盤のてあて〜穴追い]
きょうはていねいなブロセスを踏むが、
澄んだ気持ちで最後のてあてをすることが、いちばん大切。

無意識に、確実なように思っていた交通システムや建物は、
無数の人がそうしたいと思ってきた努力の結果。
無くなってみて、その上に私たちはあることに気づき、
ありがたい思いが起こる。
家も、いのちも、今あることがありがたい。
そうして日々気づき、
ありがたいな、と味わうことが、枠が無くなっていくこと。
=自然界とひとつになっていくこと。
それは気功が目指しているところでもあり、
今、皆が思っていることでもある。

[宿題]
・後頭部、または骨盤に手をあてる。
・生活のひとつひとつを、ありがたいと感じて生きる。
 (*ありがたくないと思われるようなことがあっても、
 まず「ありがたい」と思ってから始めてみる。)
・お互いの足をなであう。

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新春2nd

朝に積もっていた雪が、とけて
少し暖かくて楽な夜です。
どこか、浅い春・・といった感じ。

2/11新春2nd、2/13朝日カルチャー京都と、
2つの講座を終えました。

新春2nd、活元運動と寝ること、願いを書く事、
それだけのシンプルさが印象的。
かなり体が揺れ動いた講座でした。
天野のお話を中心に、全体をご紹介します。

ゆるむ=ゆるす。=夢が叶うこと。
ゆるす、とは、心をすっからかんにして
今時分の置かれている状況を受け入れること。

例えば、風邪をひいているとする。
初期は体をゆるめようとし、
中盤は潜在的疲労を調整し、
最後に体をより活性化していく働きが起こっている。
休んでいる間に、体は大きく変わる。

そうした「自然の働き」を知ると、
「ゆるす」ということが起こる。
風邪は邪という文字が使われているが、
もともとの働きには正も邪もない。
正邪を分ける事で苦しみが起こる。
戦争は、正邪を分ける事でできあがっている。
自然か、不自然かの価値判断でみていく。
自然の現象として、どういう働きがあるのか、
という視点。
それが、ゆるしている状態。

例えば、どこかを打ったとする。
それに関連する所も防衛反応が起こり、緊張する。
戒厳令を解除しないと、
ずっと戦う状態に置かれてしまう。
対人関係でも、以前の出来事のはずが
ずっと心を戦闘状態に置く。
体のなかの防衛反応をなくしていく。
それが、ゆるす、ということ。
自分でつくっているものだから、自分で消せる。

何か嫌な事を言われた、とする。
その現象、と、起きた感覚、生じた反応。
それぞれを切り離して
現象として、感覚として、反応として理解していく。
現象として理解すると、もしかすると
自分の判断と事実は違っているかもしれない。
身の回りの事を見直すと、あることを嫌だと思う必然性はないかもしれない。

結果として、なんとなく、いい感じ、を作る。
原因はなんでもいい。
心の状態は、ほわんとする、たのしむ、笑う、気持ちのいいことをするなどたくさん。
体の状態は、みぞおちがゆるんでいる状態。
ふれた感じでわかる。
つきたてのおもちのような感触。
そっとさわる。
さわった瞬間に、わかる。

…活元運動にだんだん入っていきます。

邪気呼出法、正も邪もない、邪は想像上の産物。
なので、思いとともに吐き出す事ができる。
吐いた時点で無くなり、頭の中のもやもやがなくなるから
部屋の空気はだんだん澄んでくる。
みぞおちは、つきたてのおもちみたいなやわらかさ。

活元運動は、何もしなくていいために
春に集中してやっておく。
そうすると、あとは自然に必要な時出てくる。

相互活元運動は、お互いの気に学ぶ。
自分の中にないものを学ぶ。

夢を書く。
何もないところに戻り、
ふつふつと湧いてくるものを書く。
「何故生きているんですか?」
みな、生きようとしてここにいる。
集っている。それは奇跡。

体に聞いて、気持ちのいい、楽しい、幸せな
感じのすることを書き入れる。
体の状態を反映して書く。
叶うので、自己責任で書く。

あらゆることの積み重ねで、今ここにいる。
それと同じように、夢がかなう。

自分がしても、誰かがしてくれても同じ。
限定を作らない。そして、自ら動く。
まずはじめに、気の動きがある。

書く事で、夢を手放せる。

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エレメンタリー2 感じる

立春大吉、寒いけれど
どこかに春の気配。
年末によしふみさんにいただいた、門松の
梅を活けていたのが、開いてきました。
春だからかな。講座の多い2月です。

2/6、「気功の学校・エレメンタリー」2回目。
咳をしている人、朝もどした方、
「きょうは、体調の変動のある方が多いので
一日で一年分の調整になります」と天野。

テーマは「ゆるむ〜感じる〜自然に動く」から
「感じる」。
午前と午後がまた違った味わいで、
充実の一日、ほんとうにいい講座でした。
ダイジェストでお送りします。(純)

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[実習]
・安静体操…一番楽な姿勢をとって、休む。
・操体法… 楽なほうへ動く。
 どちらが楽か、確かめるたびに感覚を使う。
 習慣ができると、比べなくてもどう動いたらいいかわかる。
・脱力体操…のびをする。
・活元運動…連続して起こってくる、脱力体操。

*ひとつひとつこの実習を積み重ねて活元運動に入ると、
必要な動きが次々に出てくる感じが顕著でした。
新しい発見があった、との声も。

運動の特性に、先天的なものと後天的なものがある。
先天的なものを野口晴哉さんは「体癖」と名付けた。
後天的なものは、「体勢」。
例えば季節的な変動や、打撲をしたことの調整で
臨時の偏りなので、乗り越える必要がある。
例えば、ころんで、右肘をうち、腰椎にひびいているとする。
じーっとして楽な姿勢をとると、また違う姿勢に変化する。
順々に楽な姿勢を取り続けていくと、整っていく。
これは寝返りと同じ。不必要な偏りがなくなる。

かくれている「ゆるまない部分」、潜在的な偏りが
ある部分がゆるむと、次々にゆるんでくる。
次はここ、と楽な姿勢をとることで、顕在化する。
意識すると「潜在的」でなくなって、整う。
イメージ、呼吸(その部分で息を吐く)、
動作(のばしたいところをのばす)を使って
順々に、部分をゆるめていくとよい。

寝る前に安静体操をすると、体の修復にかける時間が短くなり
体を育てる睡眠、深く安らかな睡眠がとれる。

[午後]
「楽な方へ動く」のは、自然の原理。
自然界のすべてのものは、
楽な方へ動こうとしているから、安定している。
地球と私は、同じ力で引き合って、とどまっている。
引き合う力によって、運動がいろいろに成り立っている。

「自己責任」とは、全てのものが同じ力で
引き合っていること。
すなわち、私の中に自然の働きがあり
引き合いながら微妙に、運動が起こっていること。

たとえば、私の体重が軽くなると、地球の引く力も軽くなる。
反対に、体重を軽くしたいなら、地球を小さくすればいい。
そうするとどうなるか。
そのように、相手に変化を求めることを私たちは考えがち。
そうではなくて、自らが整う。
自分が変化していく。自分が、できることをする。

日常生活のほとんどは活元運動、意識的なものは脱力体操。
どちらも無意識。
本来無意識の動きを、改めて意識運動としてするのが気功。
「有意無意」、その2つの融合のおもしろみ。
なので、気功の動作は自然な運動でなければならない。
不必要な体の使い方、
不自然な心の使い方を長く続けていると、ゆり戻しが起こる。

まず、気づくこと。正しいと思っているすべてを疑う。
「気功の学校」の判断基準は、
正しい・間違っている/良い・悪い ではなくて、
自然か、不自然か。

例えば、肩こりには肩こりのミッションがあって、
敵に回したら進めない。
原因を特定し、分離することは、敵をつくり
自分を切り刻んで無くしていくこと。

分離ではなく、融合していく。
実は仲間なんだ、と意識する。痛みに入っていくと
全体的に変わる。

融合の手順は、
1.ゆるむ … 緊張関係を抜いていく。
       ゆるめられるところを全部ゆるめる。
 それだけで解決することもある。
 自分で立てていた壁がなくなって、問題が解決に向かうから。
2.自分の一点を変える … 体から。
 例えば今とっている姿勢を意識し、手の位置を変えたり
 足を組み替えるなど、ひとつ変えることで心もほどけていく。
3.融合してから、自分の最もやりたいことをする。
 そうすると、全体を動かす力になる。

[実習]ふりこ→円の動き

ふりこから円、それは「ゆるむ」から「感じる」という流れ。
ふりこの中にある動きを、改めてゆっくり、
体中に意識をはりめぐらしながら動く。
ふりこはぽかんとした動き、「無意」運動。
円はすみずみに行き渡るような感じ、「有意無意」運動。
運動の質としては同じもの。

有意と無意がつながるような練習をしていると、
意識側から無意識へのコントロールがしやすくなる。
無意識の心と体の状態に敏感に気づくようになり、
気がつくと、自動調整作用が起こる。
それが、活元運動。
円の動きそのものが活元運動の誘導にもなっている。

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最後に、みなで丸くなって合掌、
手があたたかくなったところで、手をつなぎます。
みんなで円になったまま、後頭部のてあて。
とてもあったかい、つながった感覚がのこりました。
みなさん、ありがとうございました。

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気功の学校・新春 ゼロから

旧暦の新年と節分が重なり、なんだかあたたかい日が続きました。

12〜1月の、会計の〆も終わってスッキリ。
ずっと、まとめたいなと思っていた
初講座「気功の学校・新春」の
講座レポートをお送りしますね。

午前中は「初心に戻って学ぶ」こと、
午後は「気功の学び方」について
核心的なお話がありました。
冒頭のお話から。

・・・・・・2011/1/10 天野泰司@気功の学校
午前・ゼロに戻る
毎年「気功の学校」を開講し、1年終えて、
またゼロに戻って始めていく。
私自身も、それによって多くのものを得ている。
みなさんも今までつちかってきたものを、
一度全部なくして
改めて、何もない、というところに戻っていくことで
とらわれずに、
「今、ここで起こっている気功」を純粋に体験できる。

著書「いのちの気功」は、気功協会設立当初から作りたかった本。
それは、原点が大切だから。
人が成長し、学んでいく一番はじめは、おなかのなかにいる時期。

受精から誕生、そして13ヶ月(男の子は14-15ヶ月)。
この間学ぶ事は、人の本質を左右している。
その学びは、学校教育のようなことではなくて
おなかのなかの、あたたかさや
生きていることの充実度、すばらしさ。

言葉で思いを表現できない、
歩けない、自分で生きられない時期。
周りの人が「愛」を注がない限り、生きていけない。

この期間に私たちは「愛」、
人として生きていく、いちばん本質的な何かを学ぶ。
愛から「絶対的な安心」が生まれ、それは自立の土台となる。
自分の足で立って、自分の意思で動いていくために
土台になる安心感がないと、むつかしい。

もし、愛されずに育った、と思っていたとしても、
誰の愛情も受けなかったとしたら、今生きていない。
程度の差はあるかもしれないが、
全面的な愛に包まれて育った時間があるから
今、生きている。
気功で一番大切大切なのは、その原点に戻っていくこと。
この部分を学んでいく。

知識ではないそうしたことを、
どうすると学ぶことができるのか。
赤ちゃんの頃を振り返ると、わかる。
大切なのは、絶対的な安心感。
そして、見返りを要求していない、
無償の愛というべきようなもの。

学びやすくするために、できるだけ
赤ちゃんの状態に近づいていくようにする。
子どもはもちろん有利、
年齢が進むとまた似てくる。
「老人力」という言葉はおもしろい。
無邪気な、初めと同じような感じに戻っていくことを
力、と表現した。
どの状態にあっても、それぞれの良さがある。

スタートラインに戻って学ぶこと、
つちかってきた知識、経験を一度全部はずしていくこと。

私たちは、今まで学んできたこと、経験と比べやすい。
「去年の気功の学校は、こうだったから
こうに違うない」などと思うけれど、
それは、原点のゼロではない。

100+1と、0+1はまったく違った意味をもつ。
同じ1でも、0からのプラス1は、無限の広がりがある。

無から有が生まれる。
何もないところから、常に生まれ続けているのが
私たちの、いのち。

[実習・あくび]
一人がゆるむと、隣の人もゆるむ。お互いに先生。
「ぽかんとしてください・・」と言われてできるのが、気功をしてきた力。
体を思うようにできる、ということ。
自分で発見する。自分の体に聞いていく。
あくびや、首のぶらさげで、頭がゆるむ。
無意識にやっていること。
気功は、無意識に切り込んでいき、活かしていく。

[実習・活元運動]
錐体路系を走って情報が伝達される。
それは頭で考えて、体が行っていること。
それ意外の錐体外路系は、体が勝手にやっていること。
その錐体外路系がよく働くようなトレーニング、として
考え出されたのが活元運動。

錐体路系の働きをまず、弱める=ぽかんとする、と
思わず調整してしまう。
例えばテスト前に、知らない間にその部分を勉強していて
翌日テストに出る・・など
思わず、してしまうことが大事。

自分の身を守る、種としての生命を守る働きは
体の中にはっきりとある。
表に出てこない、そうした働きを表に出すことで
無意識が協力し、やりやすくなる。

春、今頃から4月頃に集中して活元運動をすると、
いつでも思わず必要なことが起こる。あとはしなくていい。
頭より腰、本能的な部分がメイン。

ぽかんとする。/リラックスする。/重心を腰に落とす。
体の働きはパーフェクト、まかせきる。

体は日々成長し、進歩している。
今までを思って信用しないが、どの瞬間にも
体は完璧な働きをしている。
体への信頼がベース。

「相互運動」は、他者の働きに学ぶこと。
自然の働きに添っていることが、快いこと。
今日は種まきの日、種をまき、自然に伸びていくと気持ちいい。

午後・気功の学び方
 
・原点のゼロに繰り返し戻る… 0 気功の学校・新春
・自然な動きに繰り返しなじむ… 1 気功の学校・エレメンタリー
・不自然を減らす
・自然の変化(移り変わり)を感じる   
・からだにきく=自分の体を自分で整える
 …2・3 気功の学校・ステップアップ&教える
 
無理を捨てたところに成就がある。
気功にも、目的をもって作られたものがあり
(がんの人のための気功、など)
合わないと体を壊す。
自然な気功をすること。
気功の学校では、ふりこ、太極気功(波動功)…円の動き、
禅密気功…波の動き を基本にしている。
 
時間帯をとりあえず決め、「気功の時間」をもつ。
当たり前に生活に入り込んでいるのが大事、
時間は長くても短くてもいい。
休んでいる間も大切、楽な姿勢をとる。
 
講座のノートはポイントだけ、録音がよい。
無意識の共鳴をしに集まっている、皆が先生、自然が先生。
自分の体の中にも、誰の中にも、自然がある。
 
[実習・てあて]
てあては自然なもの。無意識にふと手をあてる、そして効果がある。
伝わり、共鳴するもの。邪気も愉気も本来は無い、
ただ、天心がそこにある。
 
[実習・今年の夢を書く]
夢が叶うのは自然で、当たり前のこと。
夢だと思っていない他人の夢、社会の夢が、
体の中で夢として走っていることがある。
自分にとっての本当の願い、
体から出てくる願いを探す。
ほんとうに嬉しいか、思い浮かべて味わうことで
フィルターになる。
無意識は時間の感覚がないので、
過去形、完了形で書く。
 
自分の夢が叶うことが、相互運動のように伝わって
みんなの夢をかなえる手助けになる。
遠慮なく書く。幸せな感じが内からあふれるように。
自己責任で、書く。

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2010教える・Last

2010.12/19 「気功の学校・教える」最終日です。

さまざまな紆余曲折をへて、すべてがひとつところに
すーっと落ちていったような、
収まるべきところにぱちっ、ぱちっとはまっていったような
一日でした。

お話部分のみではありますが、
全体的にまとめてみたいと思います。

・・・・・・・

1.夢について。
今年の年末から、新年に向けて、自分の夢を書いていく機会が何回かある。
それが本当の夢、自分の夢なのかどうか。
社会や誰かの思い込みで、当然こうすべき、こうなるものだというものが
沢山混じっている。そんな時は、うまくいかなくて当然。
夢は、叶わないほうがおかしい。自然の働きと同じくらい、叶っていくもの。

すべてが自己責任。
なぜ、そのことが起こったのかは
何故生きているのか、と同じくらい、わからない。
原因があり、現象があり、結果があるが
その結果をどのようにとらえるかは、限りなく自由。

例えば、ガスが急に止まって困った。これは自己責任だろうか。
ガスが止まって、今回は、困った。
ガスが止まって、喜んだ、笑った、という結果もありうる。

〈良かった vs 悪かった〉という判断は、頭で考えたこと。
その中に真実があるか。

リフレーミングという技術があって、
とらえ方の枠組みを変えていく。
こんな見方もあるね、こんな見方もある・・と
そのことに対する見方を変えることで、
違う世界があることがわかる。
枠は自由に作る事もでき、外すこともできる。

けれどそれも枠、本来は、枠自体もいらないもの。
空の上は、必ず快晴。元々は、ただ、青空がある。

意識は無意識のほんの一部。
意識で状況を判断したら、
最終判断は、無意識〜体の細胞ひとつひとつにまかせる。

良い・悪い、と考えたとたんに、誰かが良い人、悪い人になる。
意識の連鎖が、世界全体を縛っている。

体の中に自然が働いている。

例えばガスが止まり、ガスやさんがおわびにきて、ああいいですよ、と
その心の通った感じの嬉しさ。
私たちはその「分けられない何か」によって生きている。

「自己責任」、自己=分け隔てないすべて。
すべてが自分の中にあり、
自分の責任で全てをやっていくことができる。
すべてが自己であり、すべての責任が自分にある。

自己責任、という自覚から離れたとき、
「相手が悪い、あいつが先に殴ったんだ」と、争いが起こる。
それが大きくなると戦争、
その反対が、ことばにしにくいが
「全てが愛」というような感覚。

人が意識を生み出した時点で、責任が生じている。
責任を持って動いていくことを作り出した。
それは、自由を得たということ。
思いによって、自由に進んでいく方向を変えることができる。
なので夢は、思うままに叶っていく、といえる。

2.活点
「活点」は、不自然な情報を消すためのもの。
体の自然を取り戻すポイント。
その点がつながっていくと、「穴追い」になる。

今の時期は、頭部・脳・化膿・胸・肩甲骨活点などがポイント。
けれど、自然に手がいく方が優先。

〈実習・頭部活点をお互いにとる〉
意識的、感情的な枠組みを外す場所。
お互いに手あてする関係性は、気功を教える関係性に似ている。

体は、はじめからわかっている。
「わからない」と思うのも、ひとつの習慣。
知らない事に出会ったときに張るバリアみたいなもの。
迷っていること、自体が迷い。
お互いに頭の中の枠がなくなった状態に入っていくのが、手あて。

(手あてを終えて)
今の静けさ、いい状態を元に戻すのはかんたん。
不自然なものを付け加えると、元に戻ってしまう。
「自然に戻る」のは、掃除をするようなもの。
落葉を掃く、また落葉が舞って落ちてくる。
「なんでまた隣の木の葉を掃かないとならないのか」、と思う、
それは後から付け加えられた感情。
落ち葉がある、ただ掃く。

付け加えて元に戻すことを、やりがち。
不自然なものを消していき、
何も必要なくなっていくことをめざす。

活点は体が正直になる場所。
ふれただけで起こる変化がある、
そうした細かな変化が、気功でしていることの大半。

必要なのはほんのわずかなきっかけ。
私たちは欠ける所のない存在、
ほんとうは点をとる、といったことも余分かもしれない。

〈実習・一点をとる〉
「一点をとる」というてあて。
うつぶせ、座って、あおむけ各1分くらいで相手をさっと見て、(触れて良い)
ここ、という一点にてあてする。

すべては意識と無意識の共同作業、
一番大切なところは無意識に任せる。
意識は大事なところを見つけるきっかけ作り、
型があると大事なところをみつけやすくなる。

いつも、最良はひとつしかない。
最良の一点をとる、ということが自然。
その一点の連続に、常に出会い続けていくのが自然。

(「気功の学校」前半で行った)「活元運動」も、
最良のひとつをやっていくこと。
ただ、バタバタと動くことではなくて
誘導の型(パターン)と、無意識の共同作業で
最良の一点を取り続けていくと、動きが起こる。
それが、「生きている」ということ。

気功、活元運動、さまざまな体操、
どれひとつとして分かれていない。
その前提で、気功をしていく。

「気功の学校」は、言葉にならない、
漠然とした言い表せない何か
文字に尽くせない何かを、伝えていく。
劉漢文先生がよく仰った。

「言語道断 不立文字」 言語ハ道ヲ断ツ。文字ハ立タズ。

ことばにし、文字にするともう違っている。それをからだを通し、ことばを通し、
いろんな手段で伝えていく試みをしている道場。

先生も生徒もいない。
クリシュナムルティが「話し手」と表現した、
ただ加わってほしい、肯定も否定もせず、と。
私(天野)はただこの場に起こっていることを
ことばにする役割で、その表現を借りれば「教え手」といったようなもの。
この場にあふれているものを一緒に探っている。

劉漢文先生が仰った、「自然が先生」。
すべてそこへ戻る。
自然から学び続けるのが、「気功の学校」。
学びは終わらない。自分の中にある。

また、来年、何もないゼロからのスタート。
ゼロ=初心に戻ること、
それが、気功の学校で学んできたこと。

(文責・吉田純子12/22)

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気功の学校・公開レッスン

2010.12.18
「気功の学校・教える」
10-11月補講&公開レッスンがありました。

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「気功の学校」では初めて使う京都アスニー。
北白川から行くのは初めて。
地下鉄を下りて丸太町通に至ると、
見慣れた場所に出て、ひと安心。
氣道の長谷川淨潤さんや、出口衆太郎さんの講座をした時を
懐かしく思い出しつつ、
無事、時間通りに到着できました。

日の当たる茶室は、お庭や水屋もきちんとある広い場所。
春のようにぽかぽかしています。

テーマは、「からだの自然」。
2004年に「気功入門」が出版されてから
ずっと深まり続けているテーマです。
天野のお話から、いくつかご紹介します。(純)

・・・・・

気功は、さまざまな伝統が混ざり合って
常に発展しつづけているもの。
今、この瞬間も。
「昔はこうだった」と、とらわれすぎると
本質を見失う。
目的に応じてあるもの。

そして、その目的は
「からだの自然が目を覚ます」こと。
反面、からだの自然が目を覚ましていないと、
気功にはなっていない、とも言える。

(実習・ふりこ)

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体と心は連動している。
例えば、財布を落とす。自分を責める。
声が出ない、体が縮こまる。
けれど、心と体の反応は切り離してもいける。
以前の経験をもとに、すりかえてしまって起こる反応もある。
ただ、財布を落とした事実があるだけで、
落ち込んでもいいし、落ち込まなくてもいい。

筋肉が、緊張を最大に持続しつづけられるのは10秒程度。
筋肉としては、緊張を持続し、同じ反応を繰り返し起こすのは不自然。
思考、感情とは別に、自由に体が動く状態を目指していく。
習慣に左右されないように、頭を休める。
頭の過剰な緊張が維持されるのは不自然。
抜いていく。

(実習・首を前後にゆっくり倒す)

気功では、気持ちのいいほうへ動く。
そのこと自体が、体の能力が上がっていくこと。
だんだん、気持ちがよくなく思うものも
そうではなくなってくる。

ただ、気づくだけで変化してくる。

Q: 歯をくいしばるのをやめたい。
A: くいしばる、ということを気にしないこと。
 その上で、仮にくいしばった状態を再現してみて
 どこが緊張しているか、体の中で見つける。
 そのことでもう、変わってくる。

Q: いろんな人に会ったときに、緊張するのは。

A: 自分の価値観を保とうとしない。
他人は自分のリソース(湧いてくる泉)のようなもの、必要な時に出会う、
別物でなく自分そのもの。
自分自身がそうした反応を起こしたい時なので、
それに対して何も思わなくていい。
自分の分身が、必要な時に集まっては離れていくようなもの。
苦しみと感じられるときはあるけれど、
一人一人の存在があるからこそやりやすく
それは、大きなメリット。

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2010教える 10月講義録

いよいよ佳境に入ってきました。

天野のお話から・・

・・・・・・・
午前中は、「教える」について。
(教える、ってどんなことですか。
どんなことに気をつけていますか、と聞かれる)

教える=相手の感受性を目覚めさせていく=自分の感受性のレベルを上げていくこと。
例えば、教室で人が来る前にお掃除をする。
生徒さんが来て、気持ちいいなと思った時点で
相手の感覚が変わっている。
人は自分を閉ざすことで守っているところがあるので、
一気に開くときもあるが、徐々に感受性の枠が広がっていく。
「これをすると、こうなる」という表現は感受性を下げる。
自分で気づいてもらうように、声をかける。

どんなことでも同じ、
治療だとしたら、ふれることや言葉かけ、
自分でできる動作をしてもらうことなどを通して
相手の体の敏感度を上げる。
つまり、自分の体のレベルを上げる必要がある。
共感と受容の上で、気持ちいいレベルへ昇華していく。

たとえば、ふりこ。
はじめと、おわりで感じが違っている。
同じ事を繰り返すほうが感覚の変化がありやすい。

逆に、テレビをずーっとつけているなど
同じ刺激を受動的に受け続けると、鈍る。

情報を減らし、情話への感受性を敏感にしていこう。
世の中の情報のほとんどが仮定。仮説の立て合い。
真実の情報はひとつもない。

教えるとき、言葉を自分にひびかせる。
ひびきがあると心が伝わる。
体に落としこんで、おのずとあふれてくる言葉に原点がある。
教える動作や、存在自体も、
自分が鳴っている、その音色を澄ませていく。
=自分を整えていく。

90分のクラスならひとつだけすることを決め、(その時は、ふりこ)
終わったらこうなっている、という夢、目標を無意識に落としていく。
(その時は、感覚を高める、だった)

自分の言ったことばを聞く。
言葉尻や、助詞もたいせつ。
「けど、が、のに」など多用する人は世の中を否定的に見がち。
あえて肯定的にも否定的にもみない。
「こうしなきゃ」という気持ちはすっと消す。
「相手がそれをできていない」ことは気にする必要はない。
いちばん感覚の繊細な人に合わせる。

すべては自分で決めている。全て夢の結果。(=自己責任)、
好きなように決めていい。(=自己中心)。
本当の夢を探す。
今の時点で、何か違うなと思った人は新春の夢を見直すように。
本当の夢を探すことが習慣になったら、
書くという基礎トレーニングは必要がなくなる。

例えば、勉強ができても、できなくてもどちらでもいい。
自分で決めること。
できる、と決めたらとことんやる。
できるようにやるのが大切。基礎を積み重ねていると、あるところから飛躍的に伸びる。
できないと決めたらやらない。
できることをさせていくのが自立を導く。
自分で判断して動いていける、ということが本当の自立。

手あては、相手の感受性を敏感にしていくツール。
相手の体の感触をつかみ、自分の中をよく感じる。
結果、自分の体の透明度が増していたらよい。
自分と相手は、仮に分かれていて、なんの区別もない。
たとえば仮に男と女が分かれていることで、出会って
エネルギーが一気に昇華する。

自分の言葉をきく。
言葉をきくことで責任をもつようになり、
縛っている自分に気づく。響きをきいていく。
鳴らしていく。

例えば、「苦手だな」はできないことの暗示。
苦手だということがある、ということを「だ」で断定し、
「な」で味わってしまっている。
周りにも影響を与える。
自分に、家族にお互いにかけあっている催眠をといていく。→「得意かも。」

穴追いは深い層が健康になる、心のゆるみ(=ゆるす)を導く。
反応が出たら、楽になる姿勢をみつけたり、
そうしたいと思ったらあたためるなど、
知っていることで充分対応できる。

今、余分な事をせず、ゆるみの中に集中する。

宿題は、ただ、きく。
環境のいいところで、ふっと、きく。
全身が耳になり、耳もなくなるような感じ。

そして、自分の言葉をきく。

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教える 2010年4月

気功の学校・師範科、「教える」。
初日から気功の真髄、教えることの真髄。
これから12月までの、芯になるお話でした。
要は「その場全体と共調して、自分が整う」
「自分を大切にすることに、妥協しない」といったこと。

宿題は、「変化を感じながら、ふりこをする」でした。
始めと終わりの変化、動いている時の、全身の各部の変化。

以下、午前中のお話から。加筆し正確にしました。

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推薦図書
これから一年かけて「教える」実力をつけていきます。まず推薦図書から。
最初に読んでもらいたいのは『躾の時期』。
興味があれば『体運動の構造』『体癖』と順に読んでもらうと面白いです。

野口晴哉さんは名人であったと同時に、
「気」「心と体」「人間の読み方」「育て方」を本に整理できた人。
両面ができる人はなかなかなく、
晴哉さんの本を多くおすすめするのはそのためです。

 『躾の時期』は教える人の必読書。「人の育て方」がわかります。
「こうしなさい」と意識に言うのではなく、
相手の心を直感的に感じながら、無意識にその人が変わってしまうような
話しかけ、働きかけをして、その人を導く。
それが「潜在意識教育」です。

気功を教える時もここがポイントで、形を直すのではなく、
自ずと正しい形になるように導く。
心を正すのではなく、自ずと心の波が静まるように導く。
それを言葉の面でも体の面でもやっていくのです。

言葉は便利なので、つい簡単に済ませようとしてしまう。
言えば判って相手は動くと思うのは間違いで、
その言葉から何が無意識に伝わったかによって、相手の行動が変わるのです。
自分で自分の言葉を感じるようにして話します。

 体に働きかけることは全て「潜在意識教育」で、
それを生活面から整理したのが『体運動の構造』、
人間の面から整理したのが『体癖』です。

抑えたこと、つかえたことはどこかで爆発しようとし、
そうした偏ったエネルギーは体のどこかに潜在します。
季節の体の変化や、食べる、眠る、冷えるなど
生活面のつかえを知ることで、
病気や精神的な苦しみも、潜在した偏りとして対応できます。
「これは、春の体の変化かも」と気づく、といったように。

 ひとつの出来事をどう受け取るか、その感受性は人によって違います。
それをまとめたのが『体癖』で、
感受性は運動の特徴として現れます。
それが「気功の学校」の5つの運動です。

例えば今皆さんが集中して聞いている、その無意識の姿勢に
1人1人特徴が現れています。その特徴を活かしていく。
偏りを無くそうとするのは大変な誤りです。
それぞれの人をみていくことと、あわせていく自由度、両方が必要です。

例えば、これだけをしなさいと指導すると、
合う人にはいいがその他の人には負担になります。
12の体癖があれば、1/12の人だけ合うことになります。

 そうして、こうした体の叡智を知れば知るほど、技術がいらなくなる。
技術だけとらわれていると本当に必要なことができない。
探求の回答はたくさん出ているけれど、学んで、捨てると、本質が残る。
それが、「からだの自然」ということです。
自然は精密で、その時々、一番良いという選択肢はひとつしかない。
その瞬間にひとつ、次の瞬間は変わっている。
最良の一点を追っていくのが、自然に添った対処法です。
そして、体はいつもそれをパーフェクトにやっています。
赤ちゃんは教わらないのに息をし始め、
死ぬ4日前には死への準備が始まります。
不安や疑問が、ブレーキをかけているのです。

教える
「教える」ことの要は、「全体と同調する」「その上で、自分自身が整う」こと。
 今、自分が、直接に体験している、そのことをできるだけストレートに、
純粋に感じていく。
「ありのまま」を体験すること。これが気功の大切な技法です。

[実習・歩く→ふりこ]
単純な同じ動きの繰り返しで、全身を直感的にとらえ、部分を隅々まで観ていくこと。
この2つが同時にあるのが、「気が行き渡っている」ということです。
細かく観過ぎるのでもなく、ただ漠然としているのでもない。
ただ感じることに集中していきます。

動作が終わっても体の中にいろんな変化があります。
体の中の変化。表面の変化。周囲や空間の変化。
そのまま目を開いて、全体を観ていると同時に自分の中を観ていきます。
その感じが「ありのまま」に近い。

ていねいに体と向き合っていると正解は自ずと見つかり、
違和感は自然と抜けていきます。
教える時も、相手の動作を直すのではなく、
相手と響き合っている自分自身を感じます。
感じつつ、シンプルな動作を自分に合わせて組み立てていく。
自分の体が、選択していくのです。
「自分が整った感じで終わっている」ことが1つの指標になります。
中心は、自分自身です。

皆さんが集まってくださるから、私を通じて
いろんなものが引き出され、また私が伝えたいものがあるから皆さんが集まってくる。
お互いに響き合って、必要な人を引きつけているのです。
教室に難しい人が来た時は、自分のそうした部分がほどけていくタイミング。
必要なくなるといなくなります。
迷惑と思うことにも、余分な抵抗はしないこと。

つまり、自分自身をどうしていくか、に尽きるんです。
そこに妥協しない。
自分自身の中にすべてがある。ただ、自分を大切にする。
心の底から、妥協なく。
ないがしろにしない、責めない。
自分をていねいにみる。
そうすると、「こんなことしてちゃいけない」といった
心の持ち方をしなくなり、葛藤がなくなるのです。

自分を責める必要はどこにもない。
自分を責めることが、どれだけ苦しみを生み出してきたか判らない。
だから、ただただ自分を大事にする。そのことに妥協しない。
まぁこんなものか、というのが妥協です。
赤ちゃんに妥協はない。
「人生こんなものさ」「しょせん大人は」などと赤ちゃんが言いますか(笑)。
みんな知らず知らずにそうした妥協をやっているのです。

みんな赤ちゃんだったのだから、既に体験していますね。その元々に戻る。
元の元の元々の、ありのままに戻る。

その何もしないということが案外難しいので、
そのために、いろいろなテクニックが生まれてくるのです。
人間が手を加えたものは全て脚色があって、それが面白い一面もあるが、
そのために多くの人が苦しむような面もあります。
気功の動き、「ふりこ」ひとつでもかまわない。
「すわる」だけでもかまわない。そうすると座禅ですね。
できるだけシンプルな動作、余分な力みの無いものを選んで、
それを自分が整うように妥協なく自由に組み立てていく。
そして、自分が整って終わる。
それが「教える」ということです。

年間を通じて、体の自然な変化を学び、
自分で自分を調えていく力を身につけていきましょう。
          文責・編集部

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ステップアップ最終回

ステップアップ最終回。春らしく、いい講座になりました。

午前中。

「首をゆるめ、楽なほうへ・・」というところから
始まりました。

それだけで、場がすーっと変わり
あくびが出て、みなさんゆるんでこられ
「首だけでなく、体も動かして・・」と
天野が言葉にする前に、体も動いてきます。

楽な方へ、心地いいほうへ
みなさんのリセットがどんどん深まっていき
「横になって」で、ますます楽な姿勢を
それぞれが探し、深いゆるみに包まれ
いい感じで大きく変化が起こっていましたので、
「ああ、この3ヶ月でこんなにええ感じに。
もう大丈夫やなぁ、」と感動しました。

自分で体が楽な方へ変わっていける。
ということは、心も楽な方へ自然に流れていける。
そうした力が十全に、自然についてこられていることを感じ、心が満たされました。

後半、型のあるやりかた。
といっても、ゆるいほぐしから波の動き(禅密功)。
キース・ジャレットの「ステアケイス」がほんとに心地よく、
食事にいくときも無意識にエレベーターホールで歌っていたようで、
子どもに「恥ずかしい」と注意されました(笑)
まだ漂っていたんでしょうね。

午後、てあて。
てあての心、についてのより詳しい説明。
「教える」についての説明。
それを語る事で、「気功の学校」の中心、真髄のようなものがはっきりしてきます。

では、お話から・・

・・・

生活が幸福であること。
幸福は、ひとりひとり違う。
自分にとっての幸せ、ピッタリの生き方を見つける。

気功も同じ。自分にピッタリの動き方を見つける。
まず、体から。

例えば「手を挙げる」。
動こうとすると、心が動き、気が動き、全身が変化する。
今までやってきたこと=記憶と結びついた反応は、
新進に残っている。それをできるだけ少なく。
経験は役に立つが、経験に頼らない。
新鮮な気持ちで体とつきあう。
つまり、勘で動く。

データは扱い方次第で結果が変わる。
生活に多くのデータは不要。頼らずに、消していく。
大脳の流れをよくしていくことで、
記憶は役割を果たし、直感的な判断もできる。

「ゆるむー感じるー自然に動く」。
これは、幸せに到るプロセスと同じ。

自分が健康だと、周りにも自然に健康が振りまかれ
相手も健康になっていく。
自分が幸せだと、相手も幸せにする。
それは、直接的に伝わる。

やりたいことをやりたいように、自由にやっていく。

「いのち」として、「生きたい」という
根底にある流れをつかむ。
それは、人生を貫く幸福感。
赤ちゃんは、喜びながら生まれてくる(青木愛子)。
気功はそうした、元々の自然に還っていく習慣。

全部の可能性があるなかで、今の自分はひとつしかない。
今の自分があり、今の誰かがある。
それは固定しているものでなく、
日々刻々と変わる。
「自分はこう」というものはなく、
常に崩れ、なくなる。

自分の固定観念が、相手を縛る。
それから開放されること。
日々、新しい自分と向き合う姿勢。
それが真実なので、見極めていけばいい。

習慣としてつちかってきた思考は、変える事が不安に感じる。自分がなくなったような感じ。
でも、それこそが気功のめざすところ。

けれど、
脳のすべての能力はとても使い切れない。
私たちは脳の同じところだけ使っている。
その、あやふやな、自分のない感じこそ、思考の変わるとき。

リセットする。清め、祓う。
たとえば「お祓い」の、なんとなくすっきりした感じ。
その「なんとなく」が、無意識のチャンネル。
浄化は難しいことでなく、元々の心の状態に戻ること。
それが、「てあての心」。自分のない感じ。

底に流れる幸せな感覚、自然な感覚に近づき、
いつもそこに戻る。
てあては、いのちの本質とコンタクトすること。

気功で「動いている」=気持ち良さを味わう。(動)
てあての感じ=ない、という感じを味わう。 (静)

・・・

みなさんでとった写真は、とっても春らしい
ほわんとゆるんだ、集合写真になりました。
みなさんほんとうに、ありがとうございました。

引き続き「教える」も、よろしくお願いいたします。
再受講のかたも、お待ちしています。

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エレメンタリー初日〜ゆるむ〜

2010.1.17 「気功の学校・エレメンタリー」初日。

かなりよく動いた1日でした。
「ゆるむ」がテーマだったので
気功は、ゆるむことから始まってゆるみを深め、
ゆるんでいることを再確認して終わる
、という
話からはじまりました。
以下、ノートから。

今までの経験に照らして聞くのでなく、
初心に戻り、ゼロに返って。

努力が強すぎるとうまくいかない。
ゆるむともう一度力を使う事ができる。

ぶつかりあわないように、ずらす、抵抗をのぞく、
力をぬく、相対するどちらかをやめる、
そんなふうにすると、今の半分くらいの力で
みんな幸せになれるんじゃないか。

自分の感じ方の枠を広げると、現実が変わる。

ときに、自分がなくなるようで不安になるときがあるが、
なくなったものは例えば耳あか、鼻くそのような
ほんのぽっちりしたもので、
自分が自分だと思っていたものがなくなると、自分が出てくる。

本来の自分は生まれながらにしてある。
体をほどいていくことだけで、枠から自由になることができる。

あと、「眠りを深くする」というのをしっかりやりました。
耳をつまんだり、鎖骨のあたりをなでたり、
アキレス腱をゆるめたり。

40人近くいらした自己紹介は、感動的でした。
それぞれの思いをもって
各地から集まってくださっていることに感謝です。

宿題は、楽に動く、です。
どんな場面でも・・

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«ゆるす気功