エレメンタリー3〜自然に動く

bud自然に動く
2009.2.15 天野泰司

3つ以上の関節が連なると、波のように動く。
ひとつの動きは他の動きを受け継いでいる。
体の全ての部分は、互いに影響し合うひとまとまり。
思考も全身に影響、一人一人もお互いに影響を与えている。

波は行ったり還ったりしている。
自分が出した波で還ってくる波も違う。
いろんな波があちこちから起こるが、結局は
自分がどういうありかたをとるか、ということが重要。
遠くの人に「揺れてくれ」と思ってもできないが、
自分がこうジャンプしてみよう、ということは簡単にできる。
互いの影響を考えるほど複雑になる。
まかせる。
何もなくなる。
まかせた状態のときに一番いい動きが勝手に見えてくる。
それしかない感じになる。

一瞬の、場における最良の動きは一つしかない。
選択肢は無限、その中から一番適した動き。
自然とは、瞬間にそのひとつを選んでいくこと。
今動く、ひとつの動きを見つけ続けていくこと。

動きをコントロールしようとしない。
ある目標に向かった努力をしない。
コントロールを手放し、なおかつ動きが途切れずあるのが、自然な状態。
今ある流れの中に入っていくほうが、正解率がずっと高い。

[禅密功〜波打つ]
体全部のゆるみのポイント、骨盤が変わってくるのが特徴。
骨盤が緊張したままだと、解決されない問題が出てくる。
骨盤がゆるんだ状態は、性が働いている状態。
いのちのエネルギー、最も野性的な部分。
いのちのエネルギーがつかえると、からだにこたえる。
解放されていると、生きていることが楽しい。

禅密功では「密処をゆるめる」という。
骨盤の底、という感じ。トイレに行けてすっきりした開放感に似ている。
ほっとして、背骨や体中がゆるんでいる。
物理的に波を作っていくのではなくて、
内から暖かさがあふれだして、骨盤が自然に動いてくる。とても気持ちがいい。

もうひとつ「慧目をひらく」。
頭のゆるみが大事。目で見るのではなくて、
思考によらずに、ひたいの真ん中あたりに窓が開いて
風が吹き抜け、光がふりそそいでいる感じ。
これは、経験をくずしていくためのひとつのツール。

ゆるみさえすれば動く。動きはいつもある。
とくに骨盤の中にある。

「こういうふうに私は生きていくんだ」というのは、
頭の中ではなくて骨盤の中にはっきりある。
意思を越えて、言葉でなく「もう大好き、抱きしめたい」そんな感じに近い。

9割以上は無意識の動き。
頭で理解して動いているのは、私達の本来のモード(自然)ではない。
体が素直に動いていけるモードは、誰の中にもあり
すぐにメインストリームになる。
小さな流れではない。
それが本流、そこにいけばいい。

|

エレメンタリー補講〜春のてあて

2009.2.14 天野泰司

bud春のてあて

何となく触れたい場所を選び、味わう。
ただ味わっていると、なくなっていく。
探しすぎない。体はそれだけで変わっていく。
位置や高さより、触れた感じ、印象。
印象をつかんでいくとある状態に気づく。
そうすると、触れられている人自身も気がつく。

手あては気づきあい。
気づきが深まるほど変化がはっきりしていく。
それ以上何もいらない。

受ける人、当てる人、それぞれが感覚に集中していく。
全部を整えようとしなくていい。どこをとりたいか選ぶ。

どこかでつかえていて、春の変化の波に乗れていない時は
背負ってきた何か、今背負っている何かがある。それを見つけてあげる。

できるだけ楽な体勢で。
初歩の段階では疑いが起こりやすいが、ぽかんとしてただあてる。

ただ感じ合う。日常の全ての基礎がここにある。
私が感じると相手も感じ、相手が感じると私も感じるという連鎖。
思考のない、感覚の働いている豊かな世界に入ると、信頼、安心が培われていく。

無意識に、相手を責める癖がある。
自分を責める癖がある。
それは同じ、自分で自分に戦争をしかけている。
自分を責めている限り、相手を責めることも起こってくる。
美徳の様に「自分に厳しく」と言われるが、
自分に厳しくしていて相手に優しくできる人はいない。
背負っている罪悪感、責任感を拭っていくのが大事。

それは手あての感覚。
体の感じと一緒に心も拭われていく。
手あての機会は自分自身の争いをなくしていく。

そして、手あての感覚と気功で動いていく感覚は同じ。
気功で動いていく中に自分自身の浄化、争いをなくしていくことが起こっている。

自分を責めるということもあるし、何かを恐れることもある。
恐れはたいてい変化に対するもの。
怖い思いは体験と結びついている。けれど、それは起こらないかもしれない。
そういう頭の中の連鎖を断ち切ってしまえば怖い感じは起こらない。
今の状態に没頭する感じ。
それを気功の動きの中で実現していく。

|

エレメンタリー〜ゆるむ・感じる

2009.1/18、2/1
天野泰司

budゆるむ

ゆるむと、体の感覚が働いてくる。
筋肉の余分な緊張、血管のかたさ、骨と骨との間の沈着、
各部の動きを阻害する何かをはずし本来に戻っていくのが第一ステップ、「ゆるむ」。

赤ちゃんの持っている輝きは、魂に響く。
時間の止まるような透明な感じ、おなかがすいた、居心地が悪いと訴えてくる純粋な感じ。
ゆるむことでその柔らかさ、精神性を目指す。
それはみなさんそれぞれが持っている。不満を隠さないのも大事。
不満はあっていい、それが大前提。

体と心は、同時にゆるんでくる。
頭の中がふわっとゆるみ、精神的にも楽になって、
心の中にゆとりがあってなおかつ体がふわっとした状態。
それを体で発見していく。
自然から学ぶ。体に意識を向け、感じ取る。
問いかけるとわかってくる。
答えは体の中、あるいは自分や相手との関係性の中にある。

「自然が先生」これは気功の学校を通して学んでいくこと。
学びの種は無限にある。誰かから習い続けないといけない、というのは幻想。
次々に体の中に発見がある。
新しいことを勉強しないと成長しないのではなくて、
同じことを続けてもいくらでも発見がある。
「ふりこ」を覚えたら、一生やっていてもいい。ものすごい発見がある。
多くのことをするより、「自然が先生」ということを理解して。

 気功は三千流派と言われ、その中にまたやり方がある。
できるだけ減らして、その中から例えば「動きは3つ」と、体感する為に
最低限必要なものを選んでいるのがエレメンタリー。
純真な心で向かい合って。

bud感じる
「ゆるむ」ところから気功は始まる。
ゆるむと正常にセンサーが働き、自分に必要なものかどうかが判断できる。
それは気功に限らない。

正常な感覚に従って判断していくのが、どれほど重要かを
クリシュナムルティは繰り返し言っている。
普段は条件反射、反応で判断していることがほとんどで、
そうしている限りは私達には自由がない。
判断するすきがないので、そうしていることが正しいと思い込んでいる。
そうした「反応の連鎖」が無意識に起こっている。

改めて冷静に考えて処理するのは、実はとても忙しい。
可能性はいくらでもあり、歩くだけでも大変。

体をていねいに使っていくと、感覚が発達していく。
何気なくしていることに意識を向け、ほどいていく。
今、座っている。
改めて、「座っている」ことに意識を向けるだけでいい。
意思の力だけで解決しようとしても難しいので、体に添ってやっていく。

[立つ] 頭をゆるめ、自分の自然な立ち方を見つけるのが大切。
[寝る] 寝る姿勢が習慣化していないか、寝る前にピッタリ合う姿勢か確かめる。

「誤りを正そうとしない」ことが重要。
自分を否定する中から、本当のありかたは出てこない。
「この癖を直さなくちゃ」といった思考習慣をやめる。

|

新春てあての会

2009年1月から始まった、気功の学校2009年度バージョン。

「気功生活」52号でまとめていくのに先行して、webで順次公開していきます。

会員の方は、「気功生活」が届きましたら
改めてまとまったものとして、読んでみてください。
また、「気功生活」には、各回の内容にちなんだ実習も
少し入れていく予定です。

*UPした後で校正が入る時があります。しばらくしてから、また読んでみてください。

では、今年のはじめの講座、「新春てあての会」から。

snow新春てあて〜夢をテーマに

 今年は「ちょうどいい年」をめざしていきたい。
それぞれにぴったりの夢、ちょうどいい夢を叶えていっていただきたい。
私達は大切なことを後回しにしてしまいやすい。
やりたいこと、やるべきことをまずやっていく、生き方の選択肢を持って進んでほしい。

様々な制約があることは、いろんなつながりがあるということ。
縛りはほどけると強固なつながりになっていく。
丑年の「丑」は、紐でつないでいく意味がある。
縛りあっていたものをほどき、結びついていく年になっていくと思う。

可能性は無限にあり、今できることはすごくたくさんある。
一人一人の中にリソースがあり、みなさんの力が合わさって動いていく場になる。
自分はちっぽけな存在、と過小評価するのはばかばかしい。
今生きていること自体がなかなかない、素晴らしいこと。
たくさんの奇跡が積み重なって今ここにあるか、を思い起こすと、
自分の中の可能性を思い出すのに有利。
生命活動が始まって以来、途切れたことのないいのち。
何十億年も続いてきた私。
今私が生きているという奇跡は、活かさないという手はない。

体から起こってくる反応で不要なものはひとつもない。
気功をしながら自然を学んでいく。
始めから体の中にあるのを振り返るような感覚。
模範解答があるわけではない。
自然な状態は動きがある。変化している。
雪はそれぞれが何となく、自分の行くべきところへ行き、積もり、溶けていく。
自分の体のことだとつい忘れるが、四季は移り、変化は自然の実態。
いのちにとって、気が満ちていることが大切。
気はいのちの働きそのもの、いらないものを出し、必要なものを取り入れる。
息を吸い、吐く。

自分らしさに見本はない。自分の中にしかない。
「自分は何だろう」と考えたとき外に目がいきがちだが、自分と誰かの生き方は全く違う。
内から出てくるものに従って私たちは動いている。
思いと動きはひとつ、それが別々に分かれていないことが大切。
思いを自由にしていくには、体の動きを自由にしていくところからが入りやすい。

日々どういう思いをもって生活しているか、が幸せ不幸せに直結している。
幸せになるとは、心の能力の幅が広がること。
心の能力とは、感じ取る力。
先ほどの「生きていることが奇跡」いう話を体で感じたか。
体からわき上がってくる何か、を感じ取った感覚があると、それだけで幸福に近づく。

幸せを感じる能力が上がると、違和感のセンサーも発達する。
辛い面が出てきているのが幸せに向かっていること。
耳を塞ぐ前に、例えばうまく逃げる。
自分を縛っているものに気づいたらひとつひとつほどく。
その過程で辛い感じが出てくることかあるが、通り過ぎるとひとつずつ幸せが増えてくる。

自然はただそのままにある。
そのものとしてある。
私は私としてある。これ以外にない。
右も左も、前も後も、上も下もない。ただ、そのまま、ありのまま。

|

気脈の会・伊都国 福岡

2008年11月1〜3日

福岡県糸島で、
全国気功愛好者の交流合宿「気脈の会」が開催されました。
地元福岡近辺から15名、各地から15名の参加。
付近の見所も多く、なかなか充実した内容になりました。

宿泊は、グリーンコープ・のべざき遊学山荘。
海が見える岬の高台に立つ、二階建ての研修施設。
ここのお食事は◎。
素材の味がそのままに感じられ、量も多すぎずにちょうどいい。
適当な大きさの広間もあり、また使いたいなぁと思わせる宿。
二階からの眺めはこんな感じ。
Kicx6866_2

宿に荷物を置いてすぐに向かったのが、芥屋の大門(けやのおおと)。
波止場から小さな遊覧船に乗り込み沖へ出ると、
海から三角に突き出したような大岩が目に入る。
船が近づくにつれ、
六角柱の形をした玄武岩でできた不思議な山容、
そして海に向かってぽっかり口を開いた洞窟が見えてくる。
Kicx6796
パイプオルガンが聳える神殿のような入口。
日本最大の玄武岩洞だそうで、
奥行きが90メートルもあるそうです。
船ごとこの洞窟の中に入っていきます。
この磐全体が神社になっているそうで、
洞窟はまさに産道という感じでした。

夜のアトラクションは
ガンちゃんのソウルライブ。
会場からすぐの二見ヶ浦在住の若いお母さん。
生後一ヶ月の赤ちゃんを連れてのパワーのある歌声でした。
リハーサル中に赤ちゃんにてあて(愉気)し、
コンサートを終えたガンちゃんには産褥体操をしてもらいました。
その後、大きなスピーカーを持ち上げようとするので、ちょっと待ったと、
産後に骨盤に負担をかけないようにお話ししておきました。

朝の気功は近くの浜辺で。
Kicx6810
海に近いシルエットは山部嘉彦さん。

海に向かって声を出す気功も楽しかったですよ。

朝食のあとは、糸島観光のバスに乗って一日観光(観気)。
まずは禊を兼ねて、羽金山中腹にある白糸の滝へ。
Kicx6823
おだやかで、気持ちの良いお滝でした。

そこから林道を抜けて雷神社へ。
この林道がくせ者で、
綺麗な舗装道路なのに、木や竹が茂りすぎて道路に張り出していて、
バスの運転手さんはもう大変。
あ〜っ。と何度もため息を付きながら、ゆっくり、ゆっくり進んでいくので、
こちらも冷や汗ものでした。

やっとのことでたどり着いた雷(かみなり)神社、
樹齢900年と言われる二本の大杉も見事ですが、
大銀杏やまわりの森の木も見事なもので、この場所はとても気に入りました。
Kicx6829_3  
雷神社から少し下ると、
大楓と千手観音で有名な
雷山千如寺にたどりつく。
こちらは樹齢約400年。
Kicx6838
良く手入れされていて美しい。
このお寺の拝観はとてもシステムがうまくできていて。
綺麗なお庭を見ながら、階段を上っていくと本堂に至り、
観音様を間近に見る内陣へ参拝者を入れ、
般若心経やら一通りのお経を上げて、なにやらありがたい気持ちになった上に、
ご本尊の千手観音様すれすれの真ん前を通って奥へ回っていくようになっている。
読経は鐘や太鼓にマイクも使い、なかなかよく考えられていて、リピーターが多いらしい。

山を下りて向かったのは、
伊都国歴史博物館。
直径46センチもある、超大型の道鏡がこのあたりから、ごろごろ出て来たらしい。
隣のファームパークで、そうめんちりという珍しい郷土食を食べ、実際の遺跡へ。
平原遺跡は、芝生の公園になっていて、付近の方の憩いの場という感じ。

山部さんが、「さあ、気功を」と音頭をとるが、
まず寝ましょうという声が出て、芝生でごろんと眠り気功。
Kicx6846
奥の方に見えるのが
昭和40年に発見され話題を呼んだ古墳の跡で、
40面の大型鏡、剣、勾玉が出土していて、
三種の神器が揃っているので、伊都国王の墓とされています。

続いて桜井神社と桜井二見ヶ浦へ。
Kicx6848
この楼門の奥が本殿で、本殿裏は磐座になっているようです。
Kicx6855
ほどなく海岸へ出ると、二見ヶ浦。
ここは桜井神社の社地になっています。

伊勢志摩の二見が浦は朝日で有名ですが、
こちらは浦(うら)志摩。
夕日の二見ヶ浦として有名です。
雲が濃く、夕日は拝めませんでした。

宿へ戻る途中、希望者は
海の見える高台の喫茶「カレント」でティーブレイク。
Kicx6856
ゆっくりくつろいでから宿に戻りました。

食後の講座が、私、天野の担当で「いのちの気功」
禅密功を生命論とつなげて紹介。福岡初上陸の大笑いで〆。
春秋社から直送していただいた本もおかげさまで完売しました。
ありがとうございました。

翌日は朝の気功から、田中邦明さんモード。
目が不自由な分、モノがよく見えている田中さん。
今回も楽しく、盛り上がったレッスンでした。

山部さんからはサメの話。
大きな水族館には山部さんを一人ずつ置いておきたいと思うような、
面白い話の展開。
サメは軟骨魚。その神経系統は
錐体外路系と副交感神経なので、
ほとんど気功状態で泳いでいるのではと。
もう一つの特徴は顎。
がばっと上下共に顎を開く。
これは一緒にやってみました。
あくびの感覚に近いと思います。

感想を述べ合って、お昼のカレーを食べてから、
車に分乗して解散。

深江駅近くの、二丈温泉きららの湯に立ち寄り、
露天でたっぷりのラドン泉を浴びて岐路につきました。
今回のホスト役、福岡気功の会の山部さんはじめスタッフのみなさん
おつかれさまでした。そして、ありがとうございました。

来年で、気脈の会も20年。
記念すべき第20回は北海道での開催が早々と決まっています。

十勝千年の森と温泉のコテージ、フロイデ。
例年は11月の開催ですが、
ベストシーズンを選んで、
2009年、6月27日(土)〜29日(月)の予定です。
予定を空けて、楽しみに待っていてください。

天野泰司 記








|

気功の学校・教える 5/18

気功の学校・教える 5月、2回目の開催。
いよいよ師範科に入っています。
4月からだいぶあいた感じがしますが、
講座があって、みなさん集まってこられるのはほんとうに嬉しい。
こられない方のため、今、補講をしている最中です。

5/18の、内容をまとめてみます。

ポイントは、「自分が整うと、場の全体が整う」ということです。
そのために、自分の感覚を自然に戻していく。
中心を、自分の感覚におく。
これはいろいろな場面で、共通して通用することだと思います。

*******************************

教える=自分が中心。

たとえば、バリ島のケチャという芸能。
4つのパートで円陣、前後左右は違うパートの人。中では踊り手がストーリーを展開。
4パートがかみあって、ケチャケチャ・・という音に聞こえるが
早くなったり遅くなったり、小さくまたは大きく、動作の変化も
ひとり合図を出す中心の「ダーク」と呼ばれる人が実はいる。

東洋的な芸能の特徴に、やっている人もおもしろい、ということがあると思う。
自分を越えた、神との交信。
祭り、芸能を通じて自分を取り戻す。
必ず中心がいて、全体が生まれ変わるシステムになっている。

教室をしていく中で、それは同じ。

「気功の学校」を出て、教えるということは
ある型を教えるのではない。
自分が整うことで全員が整う、ということが「教える」の基本。
自分の感覚を通じて、場ぜんたいを整えていく。

型はある。それだけをを守るのではいけない。
時代や、その場にいる人、いろいろな要因で変わる。
型を練っていくことが必要。

たとえば、「てあて」は、自分の直感からスタート。
自分に、常に問いかけていく。
自然という大きな枠の中で、今自分にどんな変化があるのか。
今、ここだ、ここに手をあてる。
そこを見つけられる能力をつけていく。

*******************************

実習は、「波の動き〜禅密功・築基功」に入りました。
心とからだをゆるめて、まっすぐに立つ。
力の抜けるポイントをみつけると、体が勝手に動いてきます。
少し重心が後ろよりなのがポイント。

お互いにフォローして、支えてもらって
まっすぐな立ち方を探しました。
野口体操の「寝にょろ」などを使って、手足をほぐしたのも効果的でした。

宿題は、前後の動き。やりながら、左右の感覚、違和のある骨の感覚をみつけ
左右をあわせていったり、他の骨とそろえていったり。

てあてが2つ。
肝臓・心臓のてあて。そけいぶのてあて。

幸せな、豊かな気持ちで。

Kanshingyoukis

|

気功の学校・修学旅行〜霧島

今年の「気功の学校」、春に恒例になった修学旅行
霧島・旅行人山荘で行いました。

少人数で、温泉。森でてあて、霧島神宮古宮址、千里が滝。
いい場所ををめぐり、とてもリラックスした最高の修学旅行になりました。
初日に、それぞれ解決したいこと、やってほしいことを
ひとりづつ話したことを、Q&A形式でお届けします。
 
Q.「てあて」、特に穴追いをしてみたい。

A. 「てあて」には、自分でするてあてと、お互いにするてあてがある。
 お互いにする時は、一方的にならないほうがいい。
 受け身だと、いのちのスイッチがオフに。
 お互いにスイッチをオンに、交流していく気持ちが大切。
 体はすきまだらけ。物質はみなそう。
 手をあてる時、物理的な肉体と思わず、気体のようなものと思う。
 偏りに気づくと、戻そうとする力が自ら起こる。

 季節に応じて体は変化している。春は骨盤をゆるめる。
 やりたいことがはっきりし、可能性が広がる。開放された感じ。
 秋は、頭をゆるめるといい。てあて自体が感覚を細かくするトレーニングになり、
 心が整って楽になる。整理された感じ。

〔てあての約束〕…3/29夜の講座から
 ・全部がひとつ。
 ・一人が自分を整えていくと全体に広がり蔓延する。
 ・善悪はない。良い悪いが体の中にあるのではなく、光そのものを感受していく。

Q.もっと自分とうまくつきあうには?

A.ずっと出なかった症状が今出て、病気になれたこと自体、体の能力が上がっている。
 ひとつハードルを越えたと言える。

 この質問はみんなに共通する課題。
 今の時代に病気が多いのは、能力が上がっていることを意味している。
 その能力をどの方向にコントロールするかで、世の中が大きく変わる。

 自分の感情を望むままにコントロールするにはどうすればいいか。
 ひとつの感情に固定、固執することなくフリーな状態に。感情を自然に近づけていく。
 また、一つの枠に固定しない動きを練習し、
 感情と動きのリンクした状態を深めていくことで、感情の動きを素直に見ることができ、
 体が動きたい方向へ素直に動けるようになる。

 従来の型重視の気功では突破できないところを、
 活元運動と禅密功の「自由な動き」でつなげていく。
 活元運動には何の制限もない。気功は最終的に整った理想的な状態で動く。
 ゆっくり、なめらかに、とぎれなく、まるく、軽く。

Q.介護の仕事で老人の話を聞くのが大変。

A.ひとつは、完全に聞かない。存在だけを受けとめる。
 本人は、話と気持ちが分離している。向かい合っている充実感だけでいい。
 
 その人そのものを受け入れるのは、てあての感覚。
 話をすっ飛ばし覚えていないようにするのは、
 授業中に先生の似顔絵を集中して描くような感覚。他の所に集中する。

 もうひとつは、完全に同調してもみあいなだれこむ。これは職権の範囲を越えてしまう。

Q.緊張している人が来ると緊張する。
 同調の感覚を開け閉めできるようになりたい。

A.相手のどこに視点を置くか、という経験を積んでゆく。
 周辺情報に惑わされない。
 本質はどこにあるのか、その人の光を見る。
 もしくは自分の重心を移動させ、自分を変えてしまう。

 例えばお化けに会ったらどうするか。
 ひとつは逃げる。自分に取って必要な人だけに会っていればいいのだから。
 もうひとつは、合掌して天に上がってもらう。
 得意な人の処へ行ってもらう方法もある。

|

気功の学校・ステップアップ1 2008

3/2、気功の学校・ステップアップ 1日目が終わりました。

春の恒例の講座、気功の学校。
生活科ということで、基礎を身につけるエレメンタリーと違い
少し自由な雰囲気で、進んでいきました。

冒頭&午後のお話から、まとめてみます。

******************

ステップアップの目的は、生活がスムーズにはこぶこと。
「生活の幸福」をどう実現していくか。

不幸を消そうとすると、却って無意識に強調されたことが残る。

幸福のつくりかたは、
体をゆるめて+幸せをイメージ。

気功をするときは、「幸せのサンドイッチ構造」で。
準備功で心の理想的状態を思い、
収功で、それが確かに実現していて、幸せな感じを味わう。

このサンドイッチ構造で幸せ感を味わうと、
最初にまいたタネが、気功をしている間にふくらみ
味わえさえすれば、具体的な形となって表れてくる。

体がゆるむと、感覚が働き、それにそって自然に動いていくうちに
「幸せだ」という感じを味わうことができる。

******************

春は、生殖器と骨盤の季節。

このふたつはつながりあっていて、骨の動きをふれていくと
生殖器の状況がわかる。

後頭骨、肩甲骨、骨盤。それぞれは対応していて、順に開いてくる。

現代は大脳を過剰に使い過ぎ、
骨盤の働きが衰える傾向。
なので、開いてくる春に、腰に力をはこぶ。もしくは、気をあつめる。

頭は、ポカン。考えすぎない。
そして、腰に気を集める。もしくは力をはこぶ。
それはつまり「やりたいことをやる」。

春は、やりたいことをやる。そして、それに対して遠慮をしない。
ブレーキをかけると身体を壊しやすい。
気功でいえば「自由に動く」。
それは、やりたいことをやる練習。骨盤の動きを導く。

**********************

宿題は、活元運動。次回3/16まで、毎日です。

「自ら動いていく。自ずから、動いていく。

身体のやりたい事しかやらない練習をしていくと、
頭と、身体のやりたいことが一致してきます。

知識や、発想をふくらませていくこと、工夫をしていくこと。
人間の理知的な、すぐれた特質が
身体のやりたいことと、見事にからみあってくるのです。」

今期は受講されていない方も、
活元運動、いっしょにいかがですか。


|

新春てあての会 2008

あけましておめでとうございます。
2008年が、みなさんにとって素晴らしい年になるよう
お祈りします。

無事、事務局の引っ越しも終わり、初講座となった
1/14「新春てあての会」。

30数名だと思っていたら、直前の金曜日に10名ほどの申込があり
定員をはるかに越えましたが、これも縁と受付。

アスニー山科の和室は、満員御礼。
集まった方々は、初めての方も多いにもかかわらず
すーっと、気持ちよくなじんでいい感じ。

山科は、じつは今年2度目。
去年最終講座のときに、ふと目にとまった「初笑い・茂山千之丞」の張り紙。
アスニー主催で、1/9に、無料で2時間ほどのお話があるとのこと。
天野と私はここ数年、茂山狂言がおもしろくてよく行っています。
おお、新しいスタートすぐに「初笑い」。これはめでたい、といそいそ出かけると
100人以上いらっしゃる年齢の高い皆さん。

前半30分は、歌を歌うらしく
おじいちゃんおばあちゃんと、「上を向いて歩こう」「大きな古時計」など。
天野が「なんか泣けてくるわ」。。

千之丞さんは、84才。オレンジ色のタートル、赤茶のジャケットが華やか。
「写実的な芝居」と「様式的・虚構の芝居」に分けるとすると、
狂言はそのまんなかより、ちょいと様式的。
泣く事、笑うことも「せりふ」としてしゃべって表す、ということで、
「小笑い・中笑い・大笑い」をやってくださった後
「大笑い」をみんなで。
横隔膜を下げ、山で「ヤッホー」という要領で
「ハー・ハー・ハ・ハ・ハ・ハ・・・」

これは平和の笑い。幸せ、「和楽」の笑い。
新年3日に見た狂言「福の神」では、
最後に福の神が「大笑い」で笑い止めでした。

さて、「新春てあての会」。お昼前に狂言の「大笑い」も取り入れて。
以下、ノートからです。

*********
きょうのテーマは、「心を自分の好ましい方向へ向けていこう」ということ。

「心」の上に「中」と書くと、中心、となる。
中心が定まること。
野口晴哉さんは、「念ずれば現ず」と言われた。
心の中に、はっきりと描いた事は現実の形となる。
願いは、叶うのが自然。
ただ、自分の体がそれを願っているかどうかが大切。

たとえばお金でも、それがほんとうに必要であれば入ってくる。
違う形で、もらうことがあるかもしれない。
「もしかしたら」、そういうことがあるかもしれない。
可能性は無限。

「気功の学校・教える」という4-12月の連続講座では、
一貫して「自分を整えていく」ことをしていく。
何か、教えるノウハウを勉強するのではない。

起こる事すべては、自分が導いている。
つまり自分を変えると、すべてが変わる。
自分のセンターを変えていく。

小さいとき、3つまでに体に染み通った事が
動いて行く方向を潜在的に決めている。
何回でも、3才に戻ればいい。
「生まれ変わる」、「新たまる」ことは、日本の文化に息づいているが
たとえばお正月、初日の出、初詣にみんなが出かけ
心を切り替える。
このタイミングに、幼いときにみんなで戻り、自分の中心を確かめていこう。

〈実習・活元運動〉
いのちが、自ら動いていこうという性質は
考えられる範囲を超えている。
「生きて何かを行いたい」という自発的なもの。

自発的な動きにブレーキをかけることは、お互いに助け合って生きる、その本質に
ブレーキをかけていることになる。
〈実習・相互活元運動〉
体を整えたあと、幸福感を味わうこと、そしてそれを忘れる事がポイント。

午前中の締めは、狂言の〈大笑い〉。

午後、〈禅密功〉からスタート。

私たちを動かしているのは、幸せになろうとする力。
私たちの多くが、自分で自分にブレーキをかけ
ここまで、と能力の範囲を決めている。
うごくこと。やすむこと。その幅が広がることが
能力が上がること、また生命力が上がること。

変化の中に「楽」がある。
固定してしまうと楽が楽でなくなる。

〈願望を書く〉
夢を過去形で書く。からだの実感が伴っていることがポイント。
書いたことに責任をもつ。叶って困ることは書いてはいけない。
自己責任の心構えがあると、叶う確率が上がる。

マイナスの願望が含まれていないか。
「また、こうなりたくないから」「赤組に入りたくないから、白組に入る」のではなく、
マイナスの願望は「ありがとう」の感覚とともに、水に流して
楽しい願望がふくらんでいくように。

*********

最後、42人が円になると、こんなにたくさんいらしたのかと改めて感じました。
みんないい顔をされています。

願いがかなったことを味わい、なんともいえずすーっとした心地いい時。
みんなで笑って、終わりました。

今回、最年少は広島からいらした
小学校1年生の、みるねちゃん。
最初から最後まで、ちゃんと体をうごかし、お話を聞いてらっしゃいました。
親子でいらした方も、何組も。

みなさんありがとうございました。   (じゅんこ)


| | コメント (0)

2007.7.15 自然身法 無事開講

みごと雨もやんだ、京都山科。
出口衆太郎さんの講座、一日目が終わりました。
良かったです。
私自身も、やはりこうした体の使い方が合っているのだなぁと
改めて思います。

午前中、出口さんの学んだ二人の老師の話。
スワイショウ(ふりこ)の実習。
ベーシックの極み、でもやはり出口さんに習うと自然な深まりが。
張宇先生の外丹功から「拍打功」。
全身をたたいていきます。
これは捨てる(瀉)法、夏向きとのこと。
一時期流行ったこの気功。20年ぶりくらいにして、懐かしい。

午後は波動功。出口さんのオリジナル。
やはり作った方から学ぶというのはいいものです。
太極棒をもったままのふりこ。左右を持ち替えたりして。
波動功を棒を持ちながら行う、太一波動功。
自然に足腰も鍛えられ、気持ちがよいものでした。

やはり気功は、シンプルなのがいい。すべてに通じる良さがあります。
それをわかって、やりこんだ方に習うのもまた。

終わってから、出口さんのリクエストで、
蓮如が山科に一大コミュニティを作っていたという跡地をみにいきました。
公園になっていて、お墓以外は土塁のあとしかありません。
山科は四方が山、どこを見ても山で、やはりいいところです。

明日は午前中、きょうの復習。午後は、波動内功を中心に
気功で心をととのえます。
一日参加、飛び込みも数名OKです。
終わってから希望者で、蓮如の墓跡も見に行く予定です。


自然身法2日目はJRのダイヤが乱れて、半数以上の人が
駅で足止めをくったにもかかわらず、なんとか午前中に
ばらばらと全員集合。
私たちも、このかん講座を続けていて、初めて
10分遅れて会場に到着。むっちゃショック、申し訳ありませんでした。

講座は充実、波動功をみんなでしていると、何ともいえない、ふわっとした細やかな気が
山科の会場を満たします。
予定になかった混元太極拳も紹介していただき、みんなで5つめまで練習。
波動内功はしっかりした瞑想。
最初に波動功の動作が誘導になっているのが面白い。

今年は、
波動功そのもの、太極棒でする波動功、座ってする瞑想的な波動功の3パターンを学び
出口さんのお話とも相まって、とても豊かな講座でした。
次回はぜひ、みなさんも。
来られた方、どうぞ感想をお送りください。先生にもお見せします。



 

|

«2007.7.10 七夕てあての会